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和気の気功の頂上に見えるもの

【和気の気功の頂上に見えるもの/気づき・思索】11月28日

 気功とは気の訓練のことだ。
 気の訓練を通して、身と心の安らぎを獲得していくのだ。

 その「気の訓練」には正しい手順がある。
 「緩感貫採練(かんかんかんさいれん)」という手順だ。
 その中で、最初の二つ「緩」と「感」が礎となり、後の「貫、採、練」の訓練を積み上げていく。
 それに併せて、体の使い方、動かし方や呼吸法の練習を併せ「気の訓練」は己の気功という作品として作り上げられていくのだ。
 そして、その「気の訓練」の完成された状態は如何なる形をしているのだろうか。
 即ち、その状態を表現するとするならば、それは如何なる状態、如何なる形、如何なる動きになるのだろうかということだ。
 僕は思う。
 それが「自由な気の舞」ではなかろうかと。
 気功は東洋医学に基づいた心身の健康法であって、舞のような芸術ではない。
 しかし、分野に関わりなく、完成された人の形や動きは美しく芸術作品と言える。
 僕に「ふぁんそん気功」の探究の道へのヒントを与えてくれた湯偉忠(タン・イチュウ)さんが口癖のように言っていたのを思い出す。
 「和気さん、気功はキレイじゃないとダメー!」

 そして、僕は、この「自由な気の舞」の楽しさを伝え、その完成を目指して練功に励むことにしよう。
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