美と生と死

話題:生命・死について…

ふとしたときに目に入る、青々とした木とか、澄んだ青空とか、そのへんに咲いている雑草とかが、酷く綺麗で美しいなあと思う。一面に広がる田んぼとか、そこで仕事に精を出す人とか。ごくごくたまになんだけど・・・

ところで、死に瀕した人の目には、世界は輝いて見えるらしい。
「電車の窓の外は 
光にみち 
喜びにみち 
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見慣れた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福に満ち溢れている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実に幸せそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる
私の胸に感動があふれ
胸がつまって涙がでそうになる」高見順『詩集 死の淵』

良い詩だなぁと思う。私も、死ぬときくらいは、何かを怨んだり憎んだりしないで、地球の美しさというかなんかそういうものを思いながら死にたい。
死があってこその生って、本当なんだろう。死があるから、死が傍にあるから、美しいんだろうなぁーなんかくさいなーごめんなさい。
よく、容姿の美醜云々って言ってきたけど、本当に美しいっていうのは、容姿でもなんでもないような気がしてきた。

今から大地震が起こって死ぬかもしれない。明日バイクで事故して死ぬかもしれない。明後日、・・・・
そうやって死を意識したら、少しはよりよく、後悔することなく生きていけるだろうか。

『徒然草』にこんな言葉がある。「人皆生を楽しまざるは、死を恐れざるゆえなり。死を恐れざるにはあらず、死の近きを忘るるなり」
十四世紀からこんなことを言われていたというのに。何だか人間は本当に何も変わっていないんだなと思う。


だらだら長くなるのでこの辺で切るけれど、本当に生活していて思うのは、死って本とかドラマの世界でしか滅多に遭遇しない。死っていうものが見えてこない。
「死の見えない社会は生の真の姿も見えない社会なのである」って、結構よく言われているけれど、そうだよなぁ。だから死にたい死にたいと軽々しく(軽々しくないと反論するする人もいるかもしれないけれど)いえてしまうし、生きていても仕方がないとか思えてしまう。
何でも国やら社会やらのせいにしてしまうのはよくないけれど、それは個人の問題だけではやっぱりないはず。

ところで教育基本法でいう「心身ともに健康な国民」の育成なんて、これまで一人でもできているんでしょうかね。どうやってしていけばいいんだろう。いや、「心身ともに健康」って、どういうことだろう。どういう人間を指すんだろう。よく分からない。






09/20 21:37
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