剥と一緒に暮らして、2年4か月が経ったと
先日数えて気が付いた

自分は、必用最低限
というか病院くらいにしか外出はしない。

部屋から一歩も出ること無く
剥以外の誰とも、話すことも、繋がることも、
姿を晒す事も無い。

強いて他にコミュニケーションをとると言えば、
チロル・ベリー(愛猫)くらいか


『飼われる』という表現が、とても適切に感じる毎日…心地良い

此処まで縛られなくては、安心出来ないんだ
『愛されてる』って、思えない

ねえ、
今日もイイコにしてたよ。
剥だけの自分でいたよ
一点の曇りも無く、剥だけの…


こうして愛情を毎日示すこと
人はオカシイと評価したりするけれど
構わないよ

だって、剥も、
全部棄ててしまえるくらいの相手じゃなきゃ
『愛されてる』って感じられないの
自分だけは知ってるから。

剥は寂しがりだから。
憂葵は剥だけをオカシイくらいに見ててあげる。
満たしてあげる為に居るんだよ
他は、皆裏切るよね…
悲しいね…

要らないでしょ?
そんなの。



ねえ、憂葵が居なきゃダメって
言ってよ
憂葵しか要らないって

イイコにしてた、ご褒美に

聴かせて?