昨日の夜中に心底自己嫌悪しましたが
自分を責めてばかりでも、変わらなければ意味がないのです。
自分を責めることで「変わりたい意識はある」という現状に満足しては、元も子もない。
だから今日からとにかく、思うことはすぐに行動に移そうと思い立ち、
先ほども緊張が来る前に教授にメールしてしまえ〜とそそくさとメールを送りました。
案の定今は後悔しておりますが、これは行動した証です。
それに後悔する事柄から逃げていたら、それは「自分らしく生きている」のではなく「自分を甘やかしている」に過ぎなくなってしまいますから。
「後悔するため」に、思い立ったら、躊躇が顔をのぞかせる前に動く。
そうすることで、いつかの今を生きていられた時に、私が後悔せずに済むように。
話題:決意表明
「自分らしい」とか、「自分らしさ」とかって、自分が決めるものでは無くて。他人が自分を見て判断するもの。
なんだそうですよ
コメントありがとうございます。
そうですね、その通りです。自分を見ているのはあくまでも周囲の人間ですから、周囲からした「私」こそが世間的に認識される「私らしい姿」であることは重々承知しております。
クオリア、という言葉をご存知でしょうか?
うまく言葉では説明しづらいのですが…赤色に対して自分自身が感じる「赤み」のこと、などを指し示すらしいです。
でも自分と同じ色が、他人からも同じように見えているかどうかってわかりませんよね。
それと似たようなものです。
他人から見た「私」が、本当に正しい「私」だとは言い切れません。
例えばの話、私は基本的に周囲から甘えられる側の人間が故に「しっかり者」と言われることが多いですが、
ほんの一部の年上の方からは「甘えたさん」だと言われます。
双方からした「私らしさ」はこの時点で正反対です。
見る人によって変わってしまうものを正しい「らしさ」だと言うのは心許ないし、何より
他人に決められる「らしさ」って、そういう役を演じるように言われているみたいで私はちょっと嫌です。
他人からの印象が、その人の行動を制限してしまうことだってあります。
誰にも言わない気持ちや志だってありますし、本気だからこそ他言しないということだってあります。それを知っているのは他でもない私だけなのです。
勿論、自分ではみえない長所や短所もありますが……それは「らしさ」とは違うと私は思っています。
私の思うらしさとは、性格のように見方によって捉え方が違ってしまう事象ではなく、誰が見ても変わらない「確固たるもの」です。
何が好きかとか、何を志しているのかとか。
自分が何をどう思っていて、なぜ、何のために、どうしていきたいか。
それは私が決めること。私以外の誰にも左右できないし、させたくありません。
いかんせん捻くれ者なので、
自分のことを他人に決められてたまるか!と思ってしまうのです……苦笑