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ハワイで出会った四国 金刀比羅宮

今日はハワイ長期滞在を長年続けていらっしゃる奥村繁さんの体験記をご紹介いたします。私たち夫婦はハワイに滞在する日数が多くなるにつれて、日本人や日系人がどのようにして望郷の思いと移住地での民族結束を共有しながら異国に溶け込んで行ったか、その足跡を尋ねることに興味を覚え、ハワイに存在する有形無形の日本関係の施設や催事を訪れるようになりました。

私たちが日本にいるときは、余裕をつくっては車であちこち旅をしています。小さな車ですが車内で寝泊りができるため、一旦出掛けると結構な日数に及ぶことがあります。昨秋、かねてからの念願であった四国を一周してきました。ハワイにもある「四国」を訪れることが大きな楽しみでした。その中から今回は「ハワイと日本の金刀比羅宮」をレポートします。

[金刀比羅宮]
昨年10月はじめ、四国を車泊旅行中の私たちは、香川県にある本家金刀比羅宮で秋の例大祭が間近いことを知りました。金刀比羅宮にはかつて行ったことがあり、今回も行く予定に入ってはいましたが、秋の例大祭に遭遇するとはこの上無いラッキーです。これもハワイの金刀比羅宮のご利益かもしれないねぇ!と心躍らせて琴平町に向かいまし
た。
本家の金刀比羅宮の秋の大祭は、幾つかある催事の中で最も重要かつ盛大なもので、年に一度御神体が本宮を出て山を降りる神事なのです。夕方から本宮での宵宮祭に続いて幾つかの神事が執り行われた後、御神体が夜の9時に本宮(お山)を出発、石段を降り2キロほど離れた宮下の御旅所まで御神体が乗った金色の御神輿(ごじんよ)の前後に500人ほどの行列が連なり、しずしずと厳かに進みます。
神聖な橋を御神体が渡る渡御(とぎょ)」を経て御旅所へ到着するのは深夜の0時、御神体は御旅所で一夜を明かし、翌日夕刻からの儀式を経てまた深夜にお山に帰るものです。夕方6時に宮下に到着し、9時まではまだ時間がある私たちは、名物の785段の石段を登り、本宮に到達しました。まだ時間と体力に余裕があるので、ここから急に灯りが乏しくなる583段を昇り、奥宮に参って本宮まで降りてきましたが、まだ御神輿の出発までは時間があります。御旅所までの行列の道中を歩いてみようということになり、石段を降り始めて気が付くと、道沿いの店の前には敷物が敷かれ、御神輿をお見送りする用意ができているのです。
御旅所には「金刀比羅宮御神事場」の標柱があり、鳥居をくぐった奥にやや質素ながら白木の本殿のような建物があります。御神事場の参道には何十もの屋台店が軒を連ね、お山の上よりもはるかに多い客で賑わっているのには驚きました。「秋の大祭」はここがメインの場所だったのです。
そろそろ、御神輿が山を降り始める午後9時です。私たちは沿道の行列が見やすい場所を探します。石段道には戻らず商店街の道端で腰を降ろして行列の通過を待ちます。待ちながら、「少し人出が物足りないなぁ」と妻と話していると、地元の見物人から「昔はこんなものではなかった」と懐古の言葉を聞かされ「神事は廃り、祭り栄える」などと意味不明な理屈を口走ります。先ほどから降り出した雨がやや強くなってきました。 
その頃になって御神輿の行列がやってきました。案内役の神官に続き、数々の御幟、神馬にまたがった男児の頭人(とうにん)、御籠に乗った女児の頭人、さらに白馬が載せた宝物、御神木に続いていよいよ行列はクライマック
ス、と云いたいところですが、登場した主役の御神輿は雨を避けるためビニールに蔽われていて中が良く見えません。カメラを構えて待ち続けていた私たちは大いに拍子抜け。行列の人たちをよく見ると、烏帽子を被った若者の髪は茶色、白装束の濡れた裾の下からはスニーカーが覗くなど、とても「古式豊かな時代絵巻」と云うわけにはゆきません。
平安時代にタイムスリップした幻想的なお祭を期待していた私たちは「現代の姿」を見せ付けられることになりました。雨がますます激しくなってきたこともあり、御旅所入りまで見届けることを断念して琴平の街を離れました。
ともあれ、楽しみにしていた金刀比羅宮の参詣が叶った上に、年に一度の珍しい祭事に遭遇したことは本当に幸運でした。そして、合計1368の石段を登り、脚を鍛えることができたことも大いなる収穫でした。
[ハワイ金刀比羅宮]
ホノルルにある金刀比羅宮は「ハワイ金刀比羅神社」と呼ばれていて、1920年に香川県琴平の金刀比羅宮の分霊を奉祭し建立した直系の神社です。もちろん本家とは比較にならないほど小さく質素なものですが、時を刻みながら粛然と立つそのたたずまいは、ハワイで暮らす同胞が心のふるさととして崇敬できる存在となっているようです。
同宮は、1941年の太平洋戦争勃発によって、神社の財産は没収、神社活動は停止を余儀なくされましたが、戦後返還訴訟に勝ちハワイ金刀比羅神社として州政府に登録されたものだそうです。同敷地内には大宰府天満宮も在地しています。
私たちは、滞在中のあるとき、秋の大祭があることを知り、撮影程度の軽い気持ちで訪れたところ、式典参列者と同様本殿に招じ入れられ、床几に座らされてしまいました。本殿を見廻すと、奥に並べられている一升瓶のお酒に書かれている奉納者の団体・名前が英語であることには少し違和感を持ちました。また、儀式では司会者と氏子総代のスピーチが英語なのに戸惑いを覚えましたが、神官の祝詞(のりと)は日本語、巫女の舞は和式だったのでホッとしました。そして、お祓い、玉ぐし奉天、なおらいまで関係者並みの扱いを受け、思いがけない体験
をしました。後になって、私たちが儀式に参列を促されたのは、参詣者が少なく数合わせのためだった
のでは無いかと思い、内心では少し淋しい思いがしました。
本家の金刀比羅宮でも善男善女の興味は、少しずつ厳粛な神事よりも華やかな祭りへと様変わりしているのでしょうか。また、ハワイにおいても、かつて望郷の思いと同胞結束のシンボルの役割を担ったハワイ金刀比羅宮が4世5世の時代となって、祭礼に集まる人も減少してきていることは抗うことができない時代の答えなのでしょうか?
あと数十年先のハワイ金刀比羅神宮の祭礼はどのような姿になっているのでしょうか。「神官の祝詞が英語に、雅楽がハワイアン・ミュージックに、舞がフラに」とって変わる
夢は見たくありません。(了)
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