白く光る辺りから、ぼんやりと景色が浮かびだす。白壁のコンクリートの建物。レンガをはめられた道路。人は住んでいるのだろうか?街並みは所々廃れている。
「ここは…?」
「知らない街だと思うよ」
そりゃ当然だ。いきなり車に乗せられ大分移動していたのだから。だけど大体の感覚からして車を走らせたのは2時間。そう自分の住む場所と違いはないと思うけれど私の目に広がるのは普段見慣れた景色よりももっとずっと洒落た雰囲気を醸し出していた。
「…外、国…?」
けれど、テレビで見たような異国の建物の造り。たった二時間、しかも車だけで外国まで来たと言うにはあまりにも常識に外れているが。
「…まぁ、そうなるかも知れない」
歯切れの悪い返事で困った顔をする男に私はとても絶望した。殺されるなら良かった。でももしかしていや、もしかしなくとも私は生きて、売られてしまうのか。そんなのは嫌だ。そんな、それならいっそ、私は――
そんな青ざめた顔した私の目の端に彼が映る。
「っ!!君、何考えてるの!!」
「いやだ、いやだっ!私は…私はそれなら死にた―」
「落ちついて、誰が売るなんて言ったの!」
「痛…」
「ごめ、なさい…!!」
跳ねる胸。失敗した。叩かれた手をさする男を見てそう思わずにはいられなかった。
息が上がる。
失敗をするといつもこうだ。怒鳴られ、叩かれ、胸が酷く痛くなる。いつも私はいい子でいたから。失敗をすると怒られるのだ。思い浮かぶ情景にはいつも広い部屋が映る。優しい母と優しい父。その二人の変わる表情に罪悪感が襲う。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私は怖かった。打たれる事じゃなく、彼女達に見放されることが、失望されることが…怖かった。思考が恐怖に支配される。私は目線を上げた。
「あっはは、どこでそんな顔覚えてきたの?大丈夫。ほら、怒ってない。怒ってない。」
細い両腕をあげにこやかにひらひらと振ってみせる男に、私は少し面を食らった。子供を誘拐するような男のくせに、やけに人懐っこい表情をしてみせる。ただ、子供が好きなだけなんだろうか…。男のほつれている袖の紐を見ながら私はいつの間にか落ち着きを取り戻していた。
「君はなかなか毒舌だね」
そこでまたハッとした。この男は先ほどから私が思っている事をピシャリと当て、口にだすのだ。まるで私の心と普通に会話しているような感覚になる。私はまた不安な顔をしてみせた。
「私、そんなにわかりやすいですか?」
「いや、わかりにくいよ。君は感情をあまり表には出さない子供だから。普通の人じゃ君の心の変化にあまり気づく人はいないと思う。僕は特別だからね」
「特別?」
「そう。僕は心理カウンセラーなんだよ」「あぁ…だから――」
―心がわかってしまうのか。
「違うよ。僕は人の心の声が聞こえるから心理カウンセラーになったんだ。この能力の方が先だよ」
心の疑問にすらすらと答える男に面食らう自分がいる。いくら表面上冷静(というか無表情)に見えてもこれには少しくらい動揺はする。普通ではありえない事が実際に自分のすぐ目の前で起こっているのだから。そう思えば自然と視線を男に送り口を開いていた。
「それは…生まれてからずっと、ですか」
「そうだね」
「どんな風に聞こえるんですか」
「うーん」
男は軽く悩まし気に腕を組み、首をひねった。何かに興味を持つなんて久しぶりで不安と少しの好奇心に彼の返事を待った。周囲の霧はだんだんと薄れていく。
「意識をしなければ夏の蝉…くらいには聞こえるね」
「…常にうるさい、…ですか?」
「そうだね。でもすぐに慣れるよ。他の環境音と同じさ。遮断機の音、車のエンジン音、サイレンとかね」
「そう、なんですか」
私ならきっと耳を切り落としてしまいたくなる。私は少し上辺で物事を考えた。そして考えながら目配せすると辺りの霧がだんだん薄れその場所がぼんやり見えてきている事がわかった。
「霧が晴れるね」
「君のよく知らない町だろう」
「…そうですね」
「なぜ、ここに来たかわかる?」
「わかりません」
「帰りたいかい?」
「…いえ」
深い霧が辺り一面に広がっている。はっきり見えるのは今自分が乗ってきただろうブルーの軽自車だけだった。視線を逸らし、足を少し動かせば、白い土が乾いた音を鳴らす。
男に促され、車から身を降ろした時、私はこの男の顔を初めて見ることができた。痩せた細身の体系。肩にかかる長さの少し痛んだ茶色の髪。目は垂れていて、優しそうに見えるが、一見病的にも見える。綺麗な整った顔。それが逆に私の神経に触れる。
今から殺されるのだろうか。抵抗しないとわかったのだろうか。…どちらにせよ、私にもう自由は無い。
「君は、頭がいいね。まだ子供なのに」
「……」
¨その子供をさらった貴方が言う台詞じゃない¨そんな事を思ったけれど、これを言ったところでこの男がどんな気性の持ち主かわからない。いきなり首を絞められたり、ぶたれたりするかもしれない。
この男に殺されるとしても自ら死を煽るような馬鹿な真似はしたくない。死にかかってさえ尚、私はそう思っていた。
「¨安いプライド¨」
「…え?」
「今、そう思っただろう?」
表面上では優しい笑顔を見せる男は、急になり何かを言い出した。“何”か、私は彼の言ってることがわかってしまった。私が今思った言葉だ。しかし、これは偶然だ。私は多分感情が顔に出やすいんだろう、たったの15歳しか生きてない私の心なんてたかが知れてる。きっと。
「ごめんなさい」
「いや、いいんだ。せめている訳じゃない。それに、思ってもいないのに謝る癖は止めた方がいい」
「…え…?」
「それは、家の中での癖なの?年齢は16歳なんだ。子供なんて言って悪かったよ。」
そう言って、頭を撫でようとした男の手を気づけば私は思いきり払ってしまった。
パシッ
¨ シ マ ッ タ !! ¨
私の中で心が一瞬、酷く跳び跳ねた。