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ゲド戦記

金曜ロードショーでゲド戦記でした。ゲド戦記、あまり世間の評価はいまいちだったと言われる作品ですが、私は好きです。けっこう。
テルー役の手嶌葵さんの声が、歌う声も話す声も、本当にきれいな声だなあと思って、それがすきの理由の一つでもあります。
透明で、凛としてて、まっすぐで。歌は、練習すればそれなりに上手くはなりますが、声質は生まれ持ったものなので変えられません。だから、いいなあと思うとともに、テルーの唄は自分が歌っても、下手さを突きつけられるだけだなあと改めて苦笑してみたり。

もちろんゲド戦記、作品自体もすきです。まだル・グヴィン原作のほうは読めていませんが(読まなきゃ!)、ジブリのよさがでてるなあ、なんて。
テナーの、昔を振り返ってのシーンや、クモの館でのアレンに言うセリフ、アレンが剣を抜くシーンも。最後の、テルーの目が赤く光るところも大好きです。

今日は久しぶりに、本当に久しぶりに、大学の友人の家にお邪魔して鍋をしてきたので、途中自宅に戻る数分間だけ見逃してしまいましたが、前に放送したのを録画してあるので、また時間のできたときに見たいと思います。
はじめの25分くらいは友人宅で見ていたのですが、思わずあれこれと語ってしまい、いっしょにジブリ作品を見るとこんなにうるさいとは思わなかった!と言われてしまいました。
自覚はしていますが、かなり、うるさいです。ジブリが本当に、大好きなので。話し出したら止まらないレベルですね。台詞すべて覚えてしまったくらい見てます!


5月のスパコミで発行されるアンソロジーに参加させていただきます。そのため、こないだおおよそのページ数申請をして、原稿締め切りは3月。
せっかくなので、少しでもよいものになるように、と思っています。しかしなにせ、全く文章を書いていなかつまたため、書けないこと書けないこと。
まったく、なんでもすぐにできなくなってしまうので、困りもんです。とほほ。
出来上がってから数日〜数週間寝かせないと完成できないため、今のうちから少しずつ、少しずつ、書けたらいいなあと。思いながら書いています、いや、書こうとしています。結果はまあ…、とても芳しくない、といったところです。まだしゃーない!

ゲド戦記みたいな雰囲気の文章になったらいいなあ。もののけ姫とか、紅の豚とか。
理想です、叶いそうもない夢です。言うのはタダ、でも願い事は誰かに言ってしまうと叶わなくなる、んでしたっけ?
だったらやだなあ。でも、理想を叶えるためには努力あるのみなので、四苦八苦しながら書きましょう、負けない!めげない!努力あるのみ!!
教えていただいたサイト様や、昔から大ファンだったサイト様の作品を読むと、この人は神か、と思います。素敵な薄い、本とかも。

どうしたらこんなにすてきなものが作れるんだろうと、ぜひとも説明会を開いて欲しいです。なんちゃって。

ああーっ、すてきなものを作りたいなあ!素晴らしい壮大な物語じゃなくっていいから、読むたびに新しい発見ができるような、読んでから時間が経ったら、また違う見方ができるような。理想です、夢。

妥協点

なあなあで済ませていることが多すぎて、自分は適当な人間なんだなと思ったんだけど、もとから適当人間じゃあなかったよなって思い出したわけでして。
要は理由に流されて、仕方ないやで片付けてることが多すぎるのかなと。やりたいことが増えすぎて、それが自分のキャパシティーをオーバーしてしまって、だからひとつひとつに避ける時間も労力も限られてしまって。もちろんそれじゃあ自分の納得できるものになんてなるわけがなくて。でも仕方ないや、まあこんなもんか、って妥協してるんだな。
コスプレもしかり、アンソロもしかり。
でもね、コスプレはまだいいんだ。そりゃあいっしょに併せてくれる人には申し訳ないって思うけど、お金は自分達で出すわけだし、やりたくて遠くまで行ってるわけだし。これほんとに、私が遠征する方でよかったなって思ってしまう。わざわざこっちに来てもらうんだったらまた話は変わってきたと思うから。時間とお金と労力をかけて、わざわざ遠くまで来てもらうのに私がぜんっぜん準備が中途半端だったら申し訳なさ過ぎる。
今も、私みたいなクズでド底辺で低クオリティ野郎といっしょにやってもらえるのに、本当に申し訳ないと切腹したい気持ちでいっぱいなのに。せっかく会わせてくれるのに、だめだめすぎて本当にいつも申し訳ないとしか思えない。楽しいんだけど。やっぱり楽しいんだけど。すきなヒトと併せができるのは、本当に楽しいんだけど。だからこそ、ああなんでもっとちゃんと準備しなかったのとか、もっと小道具綺麗に作れなかったかなとか、化粧練習足りなさすぎるとか、ダイエットしろよ自分とか、ポーズとか、もう改善点しか見つけられない。
そう、ぜんっぜんよくなんてないんだよね。

アンソロがとくにそう。せっかく誘っていただけたのに、それも大好きな大好きな大好きなCPだから、いいものを作りたい。人様から見たら格段に劣っていたとしても、これならなんとかって自分で納得できるものにしたい。妥協じゃなくて。妥協しての「まいっか」じゃなくて、納得しての「まいっか」で出したい。まだまだ自分は本当に足りない、拙い作品だし改善点だってたくさんあるだろう、それでも今、わたしの精一杯はおそらくこれだ、だから納得だって、そうやって提出したいのです。
本当に拙くて、こんなものお目汚しにしかならないと思いますが、それでも精一杯書きました、精一杯詰め込んでみました、無精物ですが、どうかこの子をよろしくお願いします、ってお渡ししたいの。
自分の作品なんてだいっ嫌いだし読みたくもないし、読み返したくもない、愛情なんてこれっぽっちもないよってタイプなんだけど、愛しさがないわけじゃないんだよ。一生懸命向き合って、悩んで、頭痛いくらい考えて、搾るようにして紡ぎ出した言葉で綴ったものに、愛しさがないわけないんだよね。それを愛情と呼ぶことはできないけど、大切にもしてやれないけど、お前はわたしが作ったよ、不出来だけど、それでも頑張ったよ、だから、って背中を押して送り出してあげたいんだよ。

時間がない、能力がない、才能がない、ほかにやらなきゃいけないことがある、そんなことをやっている場合じゃない、まあ理由は探すまでもなくいくらでもあるんだけどさ、それでも作るならいいものを作りたいしそれなりに納得してこれなら、って思えるものにしたいし、じゃなきゃ提出したくないし、まがなりにもお金を払って買ってもらうものなんだからそこんところをちゃんとしたいのです。ってね。いくらお安くても、原価なんてこれっぽっちも取れなくても、それでもお客さんからお金を貰うのならそれ相応のものにしたいんだよって思うこれは自分勝手なわがままです。わがままです頑固なこだわりです。でも、これがわたしの流儀です。譲れない筋って奴です。

ほんとはさ、適当なんてだいっ嫌いなんだよ、きちっとしたいんだよ、中途半端じゃなくてさ、妥協じゃなくてさ。とことんこだわって、とことん突き詰めて、とことん納得したいんだよ。じゃなきゃ気持ち悪いんだよ。そのままなあなあにしたまま進むとか、気持ち悪くて仕方がないんだよ。

いつかさ、とことんこだわって、とことん突き詰めて、とことん納得した上で、進めたらいいなあ。今は無理かもしれないけど。今のわたしじゃ無理かもしれないけど。

七夕の、怖い話の、あれはけっしていい出来ではなかったけど、それなりにこだわって、時間をかけて、自分の頭をひねって作ったものだったから、まあまあ納得してた。終わりかたにすっごくこだわって、でもあんまりストレートには伝わらないようにするのに頑張った。あれは、ああ気づいてよかったね、じゃなくて、せっかくメッセージに気づいたのに大事なところには気づけなかったんだねっていうかなしい話なのです。お父さんって呼ばれたのに、自分のことだとは気づけずに、ほかの誰かのことだったんだなって納得してしまう愚かな男を書きたかったんです、伝わってるのにけして伝わらなかった、伝わってるだけにそれはひどく残酷だって。でも私はそういう愚かさがたいすきで、そこが美しいと思うし、愛しいと思う。だから前日くらいに不意に思い立って最後を書き直したの。歪だけどね、なめらかじゃないけど、でも頑張ったって思えるからまあ納得かな。

ほた辰のもそう。あれはなにもなくて、なにもない話。ただ私が、お風呂上がりに作りかけのままほっぽりだしてた舞曲水に躓いて、ああこんな兄弟いたらよかったな、って思ったから衝動的に書いてしまっただけ。
こっちのほうが昔の作り方に似てるな。ふっとした情景が思い浮かんで、そこからわいわいいろんな物を付け足して削って、形を整えて。
あんまり納得してないけど、まーこんなものっしょ、ってかんじで。

自分の作ったものについて長々と話すのはあまりよいこととされてないみたいだけど、私は話したいし、作品のそういうの聞きたいからなあ。
だから、死ぬまでに〜は本当にその点で、ひどく思い入れの強い、たくさんのことを詰め込んだものだなって。自分の死生感とか、二人の関係性とか。だから、好き嫌いあるだろうしあんまりにも自分勝手すぎるからやめようかなと思っていたけど、評価とブクマいただいて、すごくすごくすごく嬉しかった。

反対に馬鮫ちゃんは、もともと好きな人少ないってのがあるから分かってたけど、いまいちなのかなーって。私なりに、当時はけっこう頑張って書いてたんだけどなって少しだけ自嘲。
マイナーだとは思ってないけど、までもマイナーなのかなって思った。ちょっとだけ。
王道は王道だもんね。私もすきだし。でもその横道になにかあったっていいんじゃん?ってくらいに思ってるからぜんぜんへーき。趣味でやってることだもん、すきはすき、それで充分じゃん?って思う。

だいぶ話逸れたし、文章構成がまったくなってないけど、長々と書いたのほんと久しぶり。ついったーって気がるで楽しいけど、私はだめだなって思った。楽しいと、だめなタイプだから。苦しくないと、辛くないと、だめなタイプだから。
だからねー、頑張りたいんだ〜。ちゃんと。手抜きしないで、頑張ってみたいんだ、今度こそ。せっかく誘っていただきた、人生初のアンソロなんだもん。ほかの人に迷惑かけたくないってのもあるけどさ、頑張りたいんだよね、いいものを作りたい、誰の心に響かなくったっていい、飛ばされても笑われてもいい、私がぽんって放てるものであればそれでいい。



リハビリ、しなきゃなあ。
本当になにも書けなくなってるから。

ぼやきぼやぼや

せっかく話していても、ああ邪魔かなあって、いったんそう思うともういーやってなるから、すっと消えるよね もともと仲良しだった人たちの仲に割り込むようなことはしなくないので そういうの、すきじゃないんだよ、合う合わないとかあるかもしれないけど、自分がその人より仲良くなるのは申し訳ないから、忍びないというか そんなこと言える立場じゃないし、そんな偉くないんだけどさ。
誰と仲良くなろうが、いつ仲良くなろうがそれはその人の勝手だから、誰かに口出しされたり制限されたりする必要はないけどさ、遠慮ってやつなのかな?どうにもそういうの、図々しくなりきれないというか、反感を買うのがいやというか、不快な気持ちにさせたくないし、そんな覚悟もないし、責任とれないし、邪魔だって思われてるのにそれに気付かずにそのままそこに居続けるのがいやだっていうかなんていうか、そんなん。

嫌われるのは怖くない。仕方のないことだから。でもそれに気付けないでいるのが怖いだけ。

もともと自分がなかよかった人が、自分が紹介した人と自分以上に親しくなっていくのをみるっていうのがいつもなので、なんとなくそんなことを思って、遠慮がちになってしまうというか。
なんかだめだなあ。子供っぽいというか大人げないというか、心が狭いというか。もやもやするんだよね、それどうなのって。あんまり言って気持ちのいいことじゃないから言わないようにはしてるんだけど、そのまま消えてくれるときもあればそうでないときもあるから、たまに文字にしてみて言葉にしてみて、日のもとに晒して消毒する、みたいなそんな。

いい人になりたいです。気持ちのいい人に。

手紙

こないだお昼に放送されていた、東野圭吾さん原作の映画「手紙」を見ました。録画していたものを、映画が見たいし、ブルーレイの容量もいっぱいになってきたので、そろそろ消さなきゃなあと思って見たんですが、泣きました。ぼろぼろ泣きました。あまり涙もろい方ではなく、めったに泣かないのですが、泣きました。当社比で言いますと、泣きじゃくるレベルで泣きました。
ネタバレになってしまいますが、ラストに部分で、刑務所にいるお兄さんのもとに弟が昔の漫才コンビの相方とともに、漫才をしにいくシーンで、うっかり相方がその弟に、お前にもお兄さんがいたよね?ということを聞いてしまうんです。弟は今までずっと、刑務所にいる兄のせいで、何度も何度も理不尽な目にあってきました。自分ひとりならいくらでも耐えられる、でも自分の家族 にもその差別が向けられるなら、と弟は兄を切り捨てる決心をしました。
それから、兄が起こした犯罪の被害者に謝りに行って、そこで兄からの手紙を読んで、気持ちが変わったんだと思います。

お兄さんの涙にもらい泣きしました。ぶわっと。ぎゅっと胸が苦しくなって、瞬きをする暇もなくただひたすら泣いてしまいました。いい映画でした。



そういえば、こないだ22になりました。 
数日前までは覚えていたんですが、 ばたばたとしているうちに自分ではすっかり忘れてしまっていました。
twitterやメールで友人たちがおめでとうと言ってくれたおかげで忘れずに済みました。ありがとうございます。
祝いの言葉をいただけるだけで充分すぎるのに、プレゼントまでいただいてしまって、今年も生きててよかったな、なんて思ったりします。
ああそれと誕生日はついつい、無茶を言ってわがままを言いたくなってしまいますね。どうしてなんでしょう。1年に一度くらい!と思ってしまいますが、実は普段から好き勝手言いたいことを言って、やりたいことをやっているというのに。苦笑い。
人から祝ってもらえることが純粋に嬉しいと思うと同時に、存在を許されていられるのはいつまでだろう、とも思ってしまう日が誕生日、ですね…。なんて。
なんのために生きていて、なにがしたくて、なにができるのか。今後の進路や就活などで考えているせいか、そんなことばかり考えてしまいます。
日々をただ、慌ただしく過ごしているせいで、いろいろなものが見えなくなってしまっているんだろうなあと。見えなくなっているものを見たいのかそうでないのか、自分でもよくわからなかったりしますね。悲しいかな、それは。



最近ついついtwitterばかりに入り浸ってしまって、長く文字を綴る機会が随分減ったように思います。140文字でぱっとつぶやけるのはとても便利ですが、一度にある程度の長さの文章、ないし文字を綴ることをしていないと、すぐに言葉が拙くなってしまうんだなと痛感しています。同時に感受性もぼやけてしまっているような気もします。いやだなあ。
来年になりますがとても幸せなことに、アンソロジーのお誘いをいただいているので、そのためにもそろそろ文章を書く、という習慣をつけたいと思っています。 
昔書いていたときは、するすると言葉が出ていていたのに、今は考えても考えても、陳腐でありきたりな、なにか物足りない言葉を、なけなしの脳みそから搾り取って出しているようなそんな気しかしなくて。残念です。
ぱっと思い浮かんだ情景があっても、それを表現する言葉を私は持っていなくて、書き留めることができずに消え去ってしまう、という感じでしょうか。とてもとても、もどかしいです。なんとかしたいなあ。

7月に怪談企画に参加させていただいたときに、小話を作ったのですがそのときにも痛感しました。思えばあの時気づいたときからそれなりに対策をしていたら、もう少しましだったのかなあとも思ってみたり。まあ、過ぎ去ったことについてあれこれ言っていてもしかたがないので、今できることを一つ一つやっていくのみですね。と当たり前のことを。

今も今で楽しいのですが、今のために生きるのと、未来のために生きるだと、未来のために生きているほうが高尚に思えてしまうのはどうしてなんだろう。
ふとそんなことを思いました。



こわいこと

人に嫌われることは怖くないけど、それに気付けないのがこわいなあと昨晩しみじみ思いました。それで、ちょっといらない心配をかけてしまったりしたので申し訳ないなと思いました。
慰めてほしいわけではなくて、私は嫌いじゃないよ好きだよ、って言ってもらいたいわけでもなくて、ただ純粋に私はそうだなと思いました。かけてもらえる言葉はうれしいので、ありがたく頂戴します。私なんかを心配してもらって申し訳なさが先に出てしまいますが。

落ち込んでも、わりと平気なタイプです。自分で立ち上がります。そのままでいるっていうことはまずないし、切り替えもそんなに下手じゃなくなりました。
かなしいことであることに、変わりはないけれど、仕方のないことでもあるので、いつまでも悲しいままでいるよりは、ぱぱっと片付けてしまったほうが得策かな、くらいの気持ちで。
逆に言えば、それくらいで片付けられるよう、こころの準備というか、近づきすぎないようそれなりの距離を常に保っていなくてはいけない、ということを学んだのかなとも。
この人に嫌われたら生きていけない、なんて人はできてほしくないです。それが本音です。怖いです。人に嫌われないでいることはいつまでもいられないことを、私はよく分かってしまったので。
だからいつか来るそのときに、受けるであろうショックを必要最低限に留めておきたいなと思って。可能であるならば、の域ですが。
それもまた、考えるとかなしいことですが、その方がお互いにとってもよい気がします。相手だって、依存されたら迷惑なだけでしょうし。

蠍座は、独立してるけど執着する、というのを今日見かけて、ああそのとおりだなと思いました。
私は、蠍座にしては執着がやや少ない気がしますが。自分一人で立っていられる、誰かがいないと生きていけない、なんてことはないのですが、それなのに誰かに執着します。失いたくない、もっと仲良くなりたい、もっと、置いていかないで、嫌いにならないで、はなれていかないで、さよならなんていやだ、そんなふうに思ってしまいがちです。
一人で生きていけるからこそ、一人で生きていきたくない、そんなかんじかな?と思ってみたり。
そういう天の邪鬼的思考はあります。正直けっこう。

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