話題:思考

小学生の頃に帰りの会で「みんなから」っていう公開処刑の場があったんだけどね。

「誰々さんがこんなことをしていたので、やめてください」ってヤツ。

良いことをした人の紹介もやっていたが、圧倒的に公開処刑だったね。


僕みたいなはぐれ者は、
よく槍玉にやれてました。


あの心理も嫌いだったなー。


そんなもん本人に言えよ。
3秒で終わんだろってヤツ。


まわりが煩くて聞こえなかっただけで、「返事しないの今度からやめてください」とか。

ここで反論しても言った、聞こえなかったの水掛け論でさ。

帰りたい側からしたらたまったもんじゃないよなぁ。


まあ、周囲と適当に仲良くしてればそんなこともなかったんでしょうけど。


まあ、そんなことはどうでも良くて。


この「みんなから」ってヤツが学年が上がって、「みなさんから」になった。

名前が変わっただけなんだけど、なんか気持ち悪かった。

「みなさんから」って……

みたいな。


水掛け論並みにどうでもいいっすね、はい。


とにかく、「みなさんから」って響きが気持ち悪かった。


小3だったから言葉的に正しいのかどうかの概念はなかったけど。


さん付けで何かを呼ぶ経験がなかったからかもね。

わからん。


あの制度って、正義VS悪だよなぁって。

自分を正義にしたいから、
相手を悪にする。


悪を成敗するのは気持ちが良いからね。



しかも、タチが悪いことに自分がやったことは忘れていやがるんだよね。


うん、そのパターンで責められたこともあるw



さらにタチが悪いことに、
1対多数なんだよね。




母親に「3年生までは良い子だった」と言われたことがある。

あのさ、
悪役ばっかじゃグレるよ、ほんと。


キレイゴト嫌いはここから来てるんだと思う。


先生や親の正義を守ったら、周囲からは浮く。

クラスのルールを守ったら、悪口陰口あたりまえ。

でも、
うまくやらないと全員からバッシング。



気が狂う。



小4の時にそれが明確になる。


やめてやった。
キレイな自分を。


悪口は排除すべきもので、
人を憎むことは正義。



まわりがやってることと同じこと。


自分で正義を決めて悪を作る。


それに疑問をぶつけないことに疑問。

世の中がそういう風潮だし、自分にも大いにある部分だから、まあね。


君が思う正義は誰かにとっての悪。

「あいつをどうにかしたい」
ってのも、自分が正しくて相手が悪っていう前提よねぇ。


あらやだコワイ。


そう考えると躾ってなんなんだろうね。


親が良い悪いを与えるのではなく、子どもに選択させるのが躾なんじゃないかなぁ。


ゲームを何時間もやったらいけないとか、勉強しなきゃいけないとか。

いけないなんて概念は子どもにはないし。


困るのは子ども自身だしね。
がんじがらめよりは、
そこから何を考えるかだ。


親の言うことしっかり聞く子は社会にも順応できると思う。


だが、しかし。


僕はダメ人間が好きなんです。


寝坊してもうまく言い訳して逃げちゃうような人は好きw


それも人間としての魅力。


こういう人って、全身から個性が出てるんだろなぁ。

カリスマ性っていうか。



個性が強い人間って、
どんなに善人でも人が寄って来ないこともあるのねぇ。

それを間近にみた。

少し安心した。