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報告という程のことでもない

さてさて早くも今年のちょうど半分に差し掛かってきました。
皆様いかがお過ごしでしょうか。

私事ですが、漸く仕事が決まりまして、明日からお務めすることになりました。とは言えパートですが。
カウンセリングの先生とも相談してとりあえず1年はパートで様子を見る事に。年金とか奨学金の返済のおとを考えるとパートじゃ手元に残るお金があまりにも少額なんですが、もともとそこまで金に執着しているタイプでもないので払わなくちゃいけないもんが払えれば良し。
そういうわけで、今後の更新のペースは落ちてくると思います。pixivもサイトも南組の需要が最近どんどんなくなってきてそろそろ引き際なんだろうかとも考えてしまうのだけど、かと言って南組に対する愛と萌えが枯渇したわけではないのでもうしばらくはやれると思う。ただちょっと、創作を描く頻度は増えてくると思います。セキレイにハマるまでは版権よりも創作をメインに活動していたので 、なんだかんだでセキレイよりも創作にかける愛は重いっぽい。やっぱりうちの子たちは可愛いです、はい。



それから別件。
このブログ閉鎖します。

別サーバーに移転します。多分忍者あたりに。
携帯からも見られるサーバーにする予定です。

このブログは消しません。ただ更新はもうしないかな?
別に不満があるわけでもないですが、ちょっと他サーバーも使ってみたいなと思っただけです。
もとはと言えばこのブログが全ての始まりですが、随分とお世話になりました。ありがとうエムブロさん。お世話になりました。

六魂祭2014

地元山形で行われた六魂祭に行ってきました!
知り合いみんなが都合悪くて(うち2名は運営サポートにあたる立場だし)一緒に行ってくれる人がいなくて、やむを得ずぼっち参加。でも結果的にはぼっちで良かったかな、自由にお散歩出来たし。

パレードの前に航空自衛隊のブルーインパルス航空ショーがあったんですが、(添付写真参照)
いやぁ…三次元の空の乗り物をこんなにかっこいいと思ったの初めてです。ガンダムみたい。 ショー見てるときの脳内BGMはガンダムSEEDDESTINYの「出撃!インパルス」でしたが。多分インパルスのコアスプレンダーはこれがモデルなんだろうなー…(わかる人にしかわからない話
地元には駐屯地はありますが航空自衛隊はいないのでああいう自衛隊の航空機が地元の空を飛んでいるのを見るとなんだか感激のあまりうるっと来ました。興奮したー

高校時代の同期にブルーインパルスヲタクの女の子がいて、その子は理系コースだったので文系だった私は在学時は全く関わりがなかったんですが、卒業後に偶然友人の紹介で一緒に花見をしたことがあって、そのときに初対面なのにブルーインパルスについて熱〜く語られたことがあるんですが、なるほどこれは熱くなるのもわかるぜ……あ、でも「パイロットの誰それさんの●○飛行がすごいの!」とか言われてもよくわからないけども

ちなみに昨日も予行練習でブルーインパルスが飛びましたが、それを見た高齢の方(特に認知症の方)が、戦争かと思って騒いだという話もちらほらww




そんでもって本題、パレード。


ぶっちゃけ見えなかった
ねぶたと竿燈は見えましたが花笠とさんさ踊りと七夕まつり(すずめ踊り)は頭から上しか見えず、福島わらじ祭りに関してはわらじすら見えないという…(人が凄くて前列に行けなかったので100mくらい離れた位置の塀に登ってみたんですがダメでした

しかも竿燈、倒れるwwwwwww
少し風が強かったせいか竿燈がどんどん倒れて、倒れる度に「あ〜」と客の残念そうな声が聞こえて来るのが面白かった。たぶんというか絶対そういう楽しみ方をする祭りではない。
ねぶたを生で見られたのが嬉しかったです、出来れば夜に見たかったし山車も一基のみなので迫力に欠けましたが、まあそれは本家で見ろという話ですね。

しかしまあ、前回までの被災地3都市に比べて地元は道路が狭いのでいろいろ心配だったんですが、とりあえず無事に一日目は終了したし人の入りもなかなか良かったので安心です。来年、再来年もやるのかな?まあ山形までやって秋田、青森もやらなかったら不平等だもんね



それより帰りの電車、混雑を避ける為にプラカードを持った駅員の誘導に従うことになったんですが、まるでコミケでした。コミケ行った事無いけど

また介護の話です

タイトルの通りです、またか




父の知り合いに美容師さんがいて、私は幼稚園の頃からその人の美容室に通っているんですが、その人も2年以上前からお姑さんの介護をしていました。お姑さんも美容師で、沢山のお弟子さんを持つ県内でも指折りの技術のある方で、私も小さい頃からしばしば顔を合わせていました。
で、ウチの祖母より少し前にそのお姑さんが亡くなったと聞いて、ついさっきお焼香に行ってきました。そこで色々とお話してきたのですが、 お姑さんは要介護度5(最高レベル:寝たきりで食事も風呂も排泄も全介助の状態)だったそうなので私以上に介護ロスが酷いようでした。ただ、介護度は違えど同じ介護をしていた者同士、話が合うので、私と話をして美容師さんも少し楽になったみたい。終いには涙目になりながら抱きつかれてしまい…(^^;)
まあでも介護の話は介護を経験した人しかわからないのだろうから、私でよければ定期的にお店に行って話し相手になろうかなと思ってます

なんていうか、介護中の介護者のケアって探せばそれなりにあるけれど、(自治体で介護者の集いとかデイサービスで家族向けのサービスとかがある)在宅介護をしている人って忙しくてそういうのに参加出来ない人も多いわけです。それに介護中ってなんだかんだで自分で腹を括ってしまうので介護中はずっと苦しいというわけでもない。むしろ介護が終わった後のケアも必要なんだろうなと思います。介護ロスっていうやつですかね、私の場合は祖母が亡くなる一ヶ月以上前から祖母の意識が無かったのである程度心の準備が出来ていたから今は少しずつメンタル面が回復してきましたが、必ずしもそうとは限らないわけで、ある日突然亡くなる場合だって少なくないはず。 これはお世話になっているカウンセラーさんに伺った話ですが、介護をしていた人はずっと要介護者が中心になっていて、介護に合わせて自制する生活していたので、その中心がいなくなるとどうしていいかわからなくなって抑うつや鬱病になってしまうそう。それを介護が終わったからもう自由です自分中心の生活に戻って下さいと言われても無茶な話。これから介護なんて増えて来るのに、介護が終わった後に苦しむ人も増えたらこの国どうにかなっちまうぞと思いますね、つくづく。せめて私みたいに、「学生なのに介護やらなきゃならない」って人だけは増やさないような将来にしなきゃならないんだろうなあ、なんてクソまじめなことばかり考える。きちんとした在宅介護をしてもらえた人はきっと幸せだし、してあげた人もつらいながらもやって良かったとは思える。でも在宅介護ばかりじゃやっていけない、若い人たちが倒れてしまう。かと言って施設は足りなくて、待機高齢者がいっぱい。漸く施設に入れても、具合が悪くなればすぐ家に帰される。高齢化社会、恐ろしいぞ…



(なんか今回すごいマジメな話ですね

4月も終わりますなー

平日と祝日の区別が特にない、どうもまそいです、こんばんは。
祖母が亡くなって明日で一週間ですが、早かったのか長かったのか…だいぶばたばたしてます。弔問客がまあまあ多い。

葬儀まで終わってしまうともうすっきりしたので、このところはなんだか憑き物が落ちたような気分です。つきまとっていたのは憑き物ではなく介護ストレスと婆ちゃんに対する不安ですが。まだ全快ではないんですが、前回の日記以来涙流してめそめそすることはなくなりました。むしろ父親がストレスでぶっ倒れて心配だよ!男の人ってどうしてこう弱いのかしら!ってくらい。LOVELESSの10巻だか11巻だか、まあそのあたりで「男の人って弱いもの、わたくしたちが護ってあげなくちゃ」って台詞があったと思うんですが、それを思い出します。まあ父の場合は祖母と仲良く会話するような性格じゃなかったので、その辺後悔してるのかな。仏壇に話しかけてあげれば良いよ、まだお骨はあるんだし。
かく言う私はついさっきコーヒー牛乳を作って備えてあげました。カフェオレではない、コーヒー牛乳だ……厳密に言うと全く同じですが。介護中、小腹がすくと作ってあげていた品。祖母は年とってからも結構な頻度で牛乳を飲んでいたせいなんでしょうか、お骨がまあまあ綺麗で整ってました。牛乳って大事です。ちなみに私は一日600mlは平気で飲みます、牛乳女です。


そういえば昨日、小学校からの付き合いの友人が弔問に来ました。(本人見てたら勝手に書いてごめんねー
pixivのフィード機能を見て訃報を聞いたようで、まさか友人が焼香してくれるとは思っておらずおったまげた〜
「まそいのおばあちゃんには小学校の頃お世話になったからね」とのこと。
まあ言われてみれば彼女、確かに私の小学校時代の友人たちの中で一番我が家に遊びに来た回数が多いんですが。うむむ、良い友達を持ったものです…有難い。



まあ、そんな本当にふつーの日記でした。これまたセキレイ関係ないね!

祖母が亡くなりました。

こねたおきばで先に報告いたしましたが、
4月23日に祖母が逝去しました。86歳(数え年88歳)でした。

これまでには皆様方にもこの日記を通して祖母の在宅介護やそれに関係する私の不安・脆さを吐露し、多くの方々にご心配やご迷惑をかけてしまいましたことを、先ずは謝罪いたしたいと思います。そして同時に、私がここで愚痴を吐いても
一切の苦情も無く見守っていただいたことに、心より御礼申し上げます。
本当に、ここ1年のネタバレ以外の日記と言えばセキレイとか全く関係ないことばかりで申し訳ないです。

まあ、これで最後にしようと思うので、最後だけ少しばかり、祖母の話をさせてください。
ここから先に関しては、読んで頂かなくても結構ですので。




みなさまご存知の通り私は1年間祖母の介護をしてきたこともあって、介護の辛さや苦しみはあったものの当人が亡くなってしまうとぽっかりと胸の真ん中に穴が開いたみたいな喪失感が拭いきれず涙が今でも止まりません。後悔の念もあれば、やれるだけのことはやってあげられたのではという想いもあり、なかなか複雑ではあります。何より22年も一緒に暮らして来て、特に両親の共働きのせいもあって幼稚園年少組のころからのおばあちゃんッ子なので、ご遺体を見るだけでどうしようもなく涙があふれてきます。


今日は火葬と葬儀でした。

出棺前の別れの場で、最後にもう一度だけ祖母に触れさせてもらえる機会があり、昏睡になってからいつもそうしていたように額を撫でてあげました。もう冷蔵庫の中みたいにすっかり冷えてしまっていて(勿論腐食を防ぐ為の薬剤その他諸々のせいもある)あーほんとに死んじゃったんだな、とただただ呆然としてしまいました。そして有難いことに、骨壺を持たせてもらうことが出来ました。祖母、実はそこそこ肥満体で、病気のためにがりがりになってからも体に水がたまってしまって自宅にいるときはずっと重たくて、起き上がるときも転びそうになったときも抱えてあげることができなくてずっと悔しい思いをしてきたんですが、ようやく、ようやく、抱っこしてあげることができました。悲しいけれど嬉しかった。


葬儀は生前の祖母の意向もあり、家族・親戚のみの葬儀でした。
大泣きするのは私だけだろう、とそう思っていたのですが(実際祖父のときに泣いているのは私と従姉くらいだったので)いざ葬儀を始めて見れば親戚一同すすり泣き、私が今日初めて会うような祖母の姪なんて声をしゃくり上げるほどの号泣で、驚かされました。祖母は大人しいくせに何かある毎に説教したり必要以上に世話を焼いたり、まあ強いて言うならば私の生真面目でお固い部分だけを切り取って更にお固くなったようなそんな性格なんですが、その裏ではまず家族のためを思うような人でもありました(それがある意味厄介でそういうところが変に私と似ている
まあ、親戚一同は私たち孫を除くと全員40代以降の方々なので、それが祖母なりの優しさなのだとよくわかっていたのではないかと思います、だからあんなに泣いてくれて、…沢山の人に別れを悲しんで貰える祖母は幸せ者です。

前日まで迷っていた孫一同の弔辞も(末孫のくせに内孫だから私が代表)
最期の機会なので読ませて頂きました。予想より泣かずには済んだけど、やっぱり涙ぐんで何度も口籠っちゃいましたね、なかなか難しいです。こういうの。でもやって良かったです、弔辞。

今はもう、祖母によく作ってあげたカフェオレ見ただけで涙ぐむような状態ですが、ただこれはあくまで別れを悲しむ涙であって鬱だの何だのという病的なものではないから泣けるだけ泣いてしまおうと思ってます、ある程度落ち着いたらまたゆっくりいろいろと始めようかな。

まあでもほんとね、介護っていつ終わるかわからないし、頑張っても報われないし何かを犠牲にしても何も得られないし、状況はどんどん悪化していくだけで、周りに助けを求めても結局何かしてあげられるのは家族だけだし、まさに孤独な長丁場の戦いで、何より経験者じゃないとわからない悩みばかりだからなかなか周囲に理解してもらえないのがなにより一番辛いところですが、
いくら就職ができなかったとは言え、
介護してあげて良かったんだと思います。



介護の話は、これで最後にしたいと思います。絶対とは言い切れないけれど、少なくとももうくよくよ悩むことはないので。愚痴とかそういうのはこれで終わり。語るのは終わりにします。たぶんね!たぶん!



そして私信ですが、オフ友のみなさん!
GWにお休みがあったり帰省する方がいたら是非私と会ってやってください!時間はいくらでも用意します!泊まりに来ても良いです!私のメンタルがどうなってるかはわかりませんが、とにかく沢山お話したいんです!1年間ほとんど会えなかったから、会いたいんです!だから暇な日は連絡下さい!待ってます!





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