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世界の狭間に君と(abok)





ゆるゆると伸びてくるその手は、ゆっくりと俺の袖をつかんだ。


ふるふると2、3度沖は頭を振った。まるで世界の淵にでも立っているようなそんな顔で、震わせた傍には涙か汗かは分からないきらきらした液体が空中を舞っている。阿部、と普段よりは大きな、けれど俺はさほど驚きもしない程度の声で名前を呼ばれる。どうした、疑問の声をかけてやれば沖はほっとしたように唇を緩ませるのだ。


「あ、阿部どこ行くの」
「食うもん何もねーから飯買いに行こうと思ったんだけど」
「食べるもの無くてもいい、」
「あ?!」
「やっ、…なんでもない、です」


こいつは一体何が言いたいんだろうか。袖を掴んでいた沖の指がするりと床に落下する。いってらっしゃい、と小声でけれど何処かしら叫ぶように沖は言う。俺は一度立ち上がってドアノブに手をかけようとしたが、ぱちりと鳴る静電気をよそにもう一度沖を見た。


「何が言いたいの」
「えっ」
「何か言いたいことあんなら俺の気が向いたうちに言えよ」
「あ、その…食べるもの無くてもいいから、一緒に…居てほしいなって…」
「は?」
「いやっ、いいよ!もう恥ずかしいから阿部行って!」


今にも泣きだしそうな顔をして両手で顔を覆いながら、少し滲む涙を必死で隠し母音を喚いている。俺は思わずつられて泣きだしそうになったので、反動に任せて沖を抱き締めた。震える声を喉の奥で噛み締めて、世界の淵から落下するのだ


息が出来なくなる程抱き締めて(hrab)


真冬の夜のグラウンドは凍りを体中に纏っているような気分になった。青いマフラーは確か、呼び出したあいつと同じ形の物だったと思う。俺が青で、あいつが赤だった。土の匂いしかしないグラウンドの空はちかりちかりとオレンジ色の光を点滅させている。左上の辺りに目を泳がせると時計の黒い針がかちかちと機械的な音をたてていて、地球と同じリズムで白い円状の上を周っていた。靴が砂を蹴る音が耳を揺さぶる感じがしたので後ろを慌てて振り向く。予想通りの赤いマフラーを巻いた隆也は白い息を懸命に外へ逃がしながら用件は、とだけ言った。

「会いてぇなと思っただけ」
「それだけっスか」
「いいじゃねえか」
「悪いとは言ってません」

短すぎる隆也の髪に通らない指を通しながらゆっくりと手の平を頬へと滑り下ろした。氷のように冷たい頬を包むようにして暖めてやる。隆也の長い睫毛が幾度か伏せたり開いたり忙しい運動を繰り返して、そのまま観念したように伏せたまま開かなくなった。グラウンドには真冬にも関わらず青い春がこびり付いているように見える。土の匂いも、汗の匂いも、この暗がりを照らすオレンジの光も全部だ。そのまま俺も睫毛を伏せながら隆也の色の悪い唇にそのまま自分の唇を押し当てた。全部嫌になったと告げたら、こいつはどんな顔をするだろう。いつも俺に懇願する子犬のような目をするのか、はたまた絶望に満ちた色褪せた目をするのか、どちらにせよ俺にとってはどうでもいいことだった。小さな隆也を胸に収めた後の温もりの名残が風に浚われオレンジの光と一体化した気がするのは気のせいだろうか、

「俺が卒業したらバッテリー組めなくなるな」
「清々します」
「可愛くねえの」
「うるせえよ」

たった一言、別れを告げればいいだけなのに俺はいつからこんな弱虫相手に甘い人間になってしまったんだろうとつくづく思う。根から腐れてしまったと俺は隆也との出会いを後悔し、目を瞑った。焼けるような瞼の熱さとは裏腹に冷たい瞳の奥は海底と同じ深さで寒さだった。このまま溺れてしまえば、俺はいっそ別れを惜しむ暇さえもなくなってしまうのに。


柔らかな相槌(山花)


黒く長い艶のある髪が紙面を滑る。髪を耳にかけ、シャーペンを長細い指に絡めて頬が手の平を滑り落ちた。痛い、なんて当たり前の言葉を口走りながら少し照れたのか頬を染めごめんねと謝罪の言葉を出す。黒川が勉強中に居眠りをするなんてことが珍しかったので俺は全然いいよと返した。よっぽど疲れていたんだろう。それでなんだっけ、と聞き返しの言葉に俺は頭を捻る。本人には言ってやらないが、黒川はだいぶ長い間眠っていたので話はとうの昔に終わっていた。黒川と話すときは、いつも俺が一方的で黒川の話しを聞くことは滅多にない。9割方野球の話であろう俺の話題を笑いながら聞く黒川は、やっぱり優しいと思う。邪魔なのか何度も耳に髪をかけなおす仕草はとても艶やかで大人の女性を醸し出していた。黒川に俺なんか釣り合わないだろうと考えたことは幾度かあったが、野球をするとすぐに忘れてしまう俺の脳はもう救いようがないと思う。

ぼうっとしていた視界の中に映し出されたのは怒っているのか心配しているのか分からない黒川の顔があった。わりぃと得意の笑顔で割り切れば安心したのか眉の皺も減る。

「で、なんだっけ」
「話よ。なんか一生懸命話してたじゃない」
「そうだったっけ。あ、そうそうもうすぐ試合でさ」
「へぇ。山本試合出るの?」
「そう!だから試合観にこいよな〜って話」
「そうねぇ。テストで赤点なかったら行ってあげる」

大して黒川は野球が好きじゃないはずで、ルールなどもあまり知らない。けれど俺が野球の話をすれば、いつも優しく相槌を打つ。俺は黒川が話しを聞いているかいないかよりもずっと、黒川の相槌に見惚れていたのかもしれない。テストで赤点取らなかったら、なんてとってつけた口実だろう。いつもそう言いながら野球を観に来る黒川が、本当のところは愛しくて仕方ない。例えば俺が本当に黒川と釣り合っていなくても、だ。先ほど発せられた黒川のその口実に、俺はゆっくり頷いて分かったと約束をした。



泡のような妄想(花京)


子供が出来たらどうするか、聞いてみたいだけだったはず。いざ聞いてみると存外まともな返事が返ってきたのでむかついた。もう少し気の聞いた嘘をつけないのかしらなんて思っていたら、京子が笑いながら花ったらと言うもんだから、私は怒りを押さえつけて馬鹿ね私ったらと付け加えて引きつった笑顔を京子にあげた。けれど京子が何も分かっていないことを忘れていて、そうだよ花なんて同意の言葉を漏らすものだから、完璧に煮えたぎった胃袋と脳を更に沸騰させて気付いた頃には京子の首を力いっぱい握っていた。青白く映る白い手形が首筋にくっきり、キスマークより素敵なんじゃないかと思う私はやっぱり京子を愛しすぎておかしくなってると思う。けれど今はそれさえも正当で思わず口の端から漏れた笑みにはさすがに参った。目を開けたまま転がっている京子はあまりにも綺麗で、人形みたいだ。抱きしめて瞼に手さえ添えれば目を開けたり閉じたりだって出来る。私ね、妊娠したの、なんて京子の口から聞いてみたかったわ。けれどそれもまた夢の夢の夢の次くらい、だってそうするには私が男にならなくちゃいけないから。しかし今はもうそれも出来ない。同性だからダッチワイフにすらなりやしない。ただ私のいいようになるお人形なのね京子。そうやって笑う私はやっぱり可笑しいのかもしれない、いいや正当よね。だってそれほど私は京子を愛していて、京子も私を愛していたんだもの。

今は亡き世界のために祈る(ツナバジ)


人は何れ死んで灰になることくらい幼いころから知っていた。戦場に立つことが多かった為に幾つもの死を目にしてきたから、その度に頭の中を真っ白に空白にしてしまえればいいのに、と何度も願ったことを覚えている。日本からイタリアへ来て既に数年の時が経つ。いくら年が経って時に流されても、マフィア同士の争いというのが消えるはずもなく、いつでも死の隣側を行き来している。ある者はそれがスリルだと謳うし、ある者は恐怖だと謳う。自分はどちらかというと後者であり、いつも恐怖を目の当たりにしてきた。唯、一つだけ救いがあるとすればそれは自分たちの上の存在のいわゆるボスという存在で、そのお方は戦いを好む人ではない。幼い頃から知っているが、昔からそうであった。

黒煙を流す汽車のフォームで、透明な窓硝子の向こう側を見た。血も死体も、遺体も何もないただ黒煙だけが外の空気を汚す。唯、一つだけ見た物があるとすれば、脳裏にこびり付いて離れない彼の恐怖に歪んだ、最期の顔である。

「俺は最後まで、マフィアのボスになったなんて思っていないんだ。ただ、自分が恐くて戦えないから、皆に指示を出して、俺の変わりにやってもらうってだけ。最後の最後まで、俺ってダメなんだよなあ。もし、万が一俺が死んでしまったら、遺骨とかは母さんじゃなくて、バジル君に持っていてほしいよ。」

(拙者は、貴方が失くなるまで、何一つ気づきませんでした。)

本当は、何にも気づけていなかったのは自分の方だった。何故、母ではなく自分に遺骨を持っていて欲しいと思ったのか、それすらも理解できていなかったのに自分には聞き返す勇気すらなかったから、答えは聞けず仕舞いだったのだ。脳の真中にぽっかり空いた空間を埋めるのは、きっと沢田殿の遺骨なんだなあと密かに胸に秘めながら。貴方の死去で、自分の世界が今消えてしまったのは何故でしょう。

「貴方が居ない世界は、無いものと同じです」

だから唯、彼の遺骨と神にせめて空間を埋めてもらえるようにと祈りながら、黒煙に身を包み殺しを止めた。


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