生まれて間もなく母親を亡くしてしまったヤスは、母の兄夫婦の養子となった。ヤスを手放した父親は再婚したきり音信不通で、ヤスには父の記憶もない。家族とは一体何なのか分からなくなっていたヤスは、同じく家族の縁が薄い美佐子と結婚した。二人が夫婦となり、とうとう息子・アキラが出来る。
ますます仕事に精が出るヤスは、幼なじみの昭雲夫妻やたえ子ねぇちゃん、職場の人間に恵まれ、失敗しながら成長する姿を描く。
美佐子の子だからこそ自分がトンビでも、鷹の様に出来た子供だと信じて疑わないヤス。
アキラが3才になり、言葉を喋り始めた頃、珍しくグズったアキラは美佐子と共に、ヤスの会社へ遊びに来た。高度経済成長期、どんどん忙しくなる仕事場は、溢れんばかりの荷物で一杯だった。汗だくのヤスに差し入れをと美佐子が持ってきたタオルを、アキラが振り回しながら荷物の間を走ってきた。
タオルは積み荷に引っかかり、アキラに降りかかろうとした積み荷からアキラを守った美佐子は、そのまま死んでしまったのだ。ヤスとアキラは、父子家庭になってしまった。
『とんび』
著者
重松清
発行所 株式会社角川書店
ISBN 978-4-04-364607-4
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
美佐子の三回忌を終えたヤスは、美佐子が死んだ理由をアキラに話すべきか迷う。自分を守ってくれたと考えてくれれば良いが、自分のせいで死んでしまったのだと考えてしまうのではないか、と。
昭雲も同じく危惧しており、まだ早いのでは?とヤスに話す。「人の死を悲しむ事が出来るのは幸せだ。本当に辛いのは、悲しむ事すら出来ず、ただ悔やみ続け、己を責め続けるだけの日々なのだ」と。
保育園から呼び出されたヤスは、母親の似顔絵を描こうとアキラが持っていった美佐子の写真を、やんちゃな子供に取られるまいと引っ張り、破いてしまったと言うのだ。その後、迎えに来た母親を見て、とうとう泣き出してしまったのだ。母が恋しくても、アキラの母は死んでしまった。
いっそ、再婚でもしようかと思うヤスだが、子供の頃から事ある毎に叱られてきた海雲和尚に愚痴を溢しに行く。
すると海雲はヤスと昭雲、アキラを連れ、雪の降る海へと向かう。アキラを覆う毛布を外せと言う海雲は、寝起きのアキラにとつとつと語る。
「アキラ、これがお父ちゃんの温もりじゃ。お父ちゃんが抱いてくれたら、体の前の方は温うなる。ほいでも背中は寒いじゃろ。お母ちゃんがおったら、背中の方から抱いてくれるが、アキラにはお母ちゃんはおらん。背中はずうっと寒いままじゃ。その寒さを背負ういうことが、アキラにとっての生きるいうことなんじゃ」背中が寒いままで生きる言うんは辛い事よ。寂しゅうて悲しゅうて悔しい事よ。
海雲は昭雲と共にアキラの背中に手を当て温める。「これでも寒い時は、幸恵おばちゃんもおるし、まだ足りんかったらたえ子おばちゃんを呼んできてもええんじゃ。アキラにはお母ちゃんがおらん。ほいでも背中が寒うてかなわん時は、こげんして皆で温めてやる。ずうっとそうしちゃるよ」
「ええか、寂しい言う言葉はじゃの、寒しいから来た言葉じゃ。さむしいが寂しいに変わっていったんじゃ。じゃけん、背中が寒うないお前は寂しゅうない。お前にはお母ちゃんがおらん代わりに、背中を温めてくれる者が仰山おるんじゃ。それを忘れるなや、アキラ。」
再婚を考えていたヤスに海雲は「オナゴと夫婦になる時は、惚れてからにせえや。惚れて惚れて、どげんしょうもないぐらいに惚れた先に、結婚があるん違うんか。自分の寂しさを、アキラのせいにするな」
お前は海のように、空から降る雪のような悲しみを溶かさねばならない。アキラが悲しい時に、一緒に悲しんだらいけん。泣きたい時でも笑え。
小学生になったアキラは野球を始め、ピッチャーになる為、毎日一人で練習していた。ヤスは親子でキャッチボールをする時にアキラと向き合うのが恥ずかしく、アキラの練習に付き合えない。子供がいない昭雲夫婦は、アキラを大層可愛がるが、昭雲は酔うとヤスに絡み酒をするようになる。ついに耐えかねたヤスは、息子とキャッチボールがしたいと嘗て昭雲が言っていたのを思い出し、アキラに野球を教えてやってくれと言う。
昭雲と練習しカーブを投げれる様になったアキラは、肘を摩るようになった。ヤスはカーブの練習のせいではないかと思うが、昭雲に上手く伝える事が出来ず、アキラを病院に運ばれ、試合に出られなくなってしまう。土下座をして詫びる昭雲に八つ当たりし殴るヤスは、気付いていたのにアキラを守れなかった自分を不甲斐なく思う。落ち込むヤスにたえ子は朝顔の双葉を見せる。
朝顔が育っていく為には必ず双葉の時期を過ごさねばならない。しかし、双葉は朝顔の生長を最後まで見届ける事は出来ず、花が咲く前に姿を消してしまう。「人間の親子にも、双葉みたいな時期があるんかもしれんねぇ…」親の記憶がないヤスは、我が子の成長を見守る親の気持ちが分からない。親としての全てが始めて。そして全てが最初で最後の体験になってしまう。
春から中学生になるアキラは、美佐子が死んだ理由を方々に聞いて回る様になり、ヤスは自分を庇って死んだのだと嘘をつく。一方、25年前農家に嫁いだたえ子ねぇちゃんは、娘を産んだがいびりに耐えられず、出戻る。元夫から娘が結婚すると聞き、会ってやってくれと頼まれるが、たえ子は育てたのは再婚した妻だからとガンとして会わない。
すると元夫はヤスを尋ね、娘と共にやってきた。飲み屋のねぇちゃんだと見えすいた嘘をつき、夕なぎにやってきたヤスと娘は、郷に入れば郷に従えと教え、娘の幸せをただ祈るのであった。秘すれば花。本当の事を言うのが正しいとは限らないのだ。
中二になったアキラは反抗期を迎え、頼りになるはずの海雲は入院してもう長くないのだという。見舞いに行けというヤスに、アキラは部活を理由に断る。自分が迎えに行けば見舞いに行けると考えたヤスは、アキラが後輩をしごいている場面を目にし、怒る。後輩の親が怒鳴り込んできたが、ヤスは親を追い返す。その姿を見たアキラは、海雲に会いに行くが、意識は既に途絶えていた。死に目には会えたが、言葉を交わす事が出来ず後悔するアキラ。
高校生になり勉強が出来たアキラは、東京へ進学したいと言い出す。自分の元から離れてしまう事が悲しくて金を出さんと言えば、アキラは昭雲の元へ。昭雲に怒られたヤスは、アキラを応援する事に決める。
大学3年から雑誌社でアルバイトを始めたアキラは、そのまま入社した。ヤスの本当の父が入院し、会ってやってくれと息子から言われたヤスは、気乗りはしないが会いに行く。帰りにアキラの会社へ寄ったヤスは、アキラの事を宜しく頼むと、編集長から入社試験で書いた「嘘と真実について」というテーマの作文を見せられる。
ヤスが中学に入る時についた嘘、美佐子の死について、成人式を終えたらアキラに渡せと昭雲に預けられていた海雲からの手紙が来たのだという。
ヤスの嘘を許してやってほしい。お前は母の命に守られ、父に育てられ沢山の人に助けられて大きくなった。それをどうか、幸せだと思ってほしい。生きて在ることの幸せを噛み締め、育つことの喜びを噛み締め、これからの長い人生を生きてほしい。感謝の心を忘れない大人になってほしい。美佐子さんが一番嬉しく思うのは、お前が父の偽りの告白を聞いた後も、一度たりとも父を恨まずにいてくれたことだろう。
本当に大切な真実というものは、父と過ごしてきた日々にあったのかもしれない。
26になったアキラは、7つ年上のバツイチ子持ち・由美と結婚したいと言い出す。
ヤスは早期退職を勧められ、代わりに東京の本社で研修センターの先生をやってくれと言われる。アキラ夫婦と一緒に暮らすことも考えての人事だったが、ヤスは断る。
「わしが備後におらんとお前らの逃げて帰る場所がなかろうが。辛い事があったら備後を思い出せや。最後の最後に帰るところがあるんじゃと思うたら、ちょっとは元気出るじゃろ、踏ん張れるじゃろが」
アキラと由美に子供が出来、初孫だというアキラを叱るヤス。「親が子供にしてやらんといけんことは、たった一つしかありゃあせんのよ。子供に寂しい思いをさせるな」
後書きより
不器用な父の物語を書きたい。ただし、不器用さを渋さにしてはいけない。
寡黙よりは、間の抜けた饒舌を選び、堪え忍んで動かずより、暴走して空回りしてしまう。
正しさではなく愚かしさで愛される人、強さではなく熱さで我が子を愛し抜く人であってほしい。ヤスはまさにそんな人。
海雲和尚には何度も泣かされた。