大人にならない子供達が、戦闘用の飛行機に乗り込み、敵の飛行機を撃つ仕事をしている。
戦闘機乗りをしている子供達の成長と葛藤。
※ この作品は、七作品位の続き物です。
『ナ・バ・テア』
著者
森博嗣
発行者 中央公論新社
ISBN 4-12-003541-7
以下、追記で感想なので、ネタバレする上に主観入ってます。読んでない方や苦手な方はブラウザバックでお願いします。
“自分達が人間の完成した形であり、それに比べて子供は不完全な存在だ、という理屈は、死んだ人間が完成した姿であり、生きているものは全て不完全だ、と言っているのと等しい。”
“大人になるという意味は、死を意識して臆病になる、たったそれだけの価値。
殆ど死んでいるに等しい大人達の戯言”
“優しいものって、どうしてどれも止まろうとするのか。
手を広げて、さあここへおいで、と微笑む手は、何故みんな止まっているのだろう”
戦闘機で敵の飛行機が旋回していないか偵察をしている僕(クサナギ)は、エリートが集まるチームでNo.2にまで登り詰める。
整備の笹倉や同僚の辻間・薬田、指揮官の合田・毛利、そして、ティーチャと呼ばれる天才と共に、いつ死ぬか分からない世界での闘いが始まる。
チーム初の女性となるクサナギは、何故か女である事を悔やむ節があり、自分の親に対しても良い思い出がないらしい。
人と積極的に関わろうとしないクサナギは、自分の技を磨く事だけを考えていた。
“僕にとって思いやりや優しさというのは、他人から自分を切り離す為のもので、つまり、相手も自分も互いに自由にしてあげる、拘束しない、邪魔しない。そういった状態にする為のものだ”
自分では気付いていないティーチャへの憧れとは違う、薄い恋心。
同僚を戦闘中に亡くしたティーチャとクサナギは、一夜を共にする。そして出来た子供をクサナギは下ろそうとするのだが、ティーチャにより生ませられる。
ティーチャがパイロットを下りたのだが、クサナギはパイロットを続ける。
自分が打ち込んできたもの以外は、何も知らない子供が、少し大人になるまでの話。