話題:メンタル
相手の要求にこたえられない自分が嫌だ。そして、こたえられないから周囲の人が離れてしまうんじゃないかと思って、それも嫌だと思う。だから、相手の喜ぶ(または喜びそうな)ことを言ったりやったりしてた。本当は言えれば良かった。こたえられないって。言えたら、相手だって何か思うかもしれなかったのに。そういう、相手の意思が変化することを意識できなくて、自分を大切にしてこなかった。だから、結局いつの間にか相手も大切にできなくなっていたと思う。
自分は格好つけたかったのかもしれない。でも、格好つけるために無理をするのは、自分も相手も大切にできなくなるから格好悪い、と今思った。だれかから格好悪く思われるから気になるというよりは、自分が自分に対して格好悪いと思う。
以前、臨床心理士と『答えると応える』の意味の違いについて話をしたことがあった。答えるは正解を、応えるは反応する(正解も含む)ということで話が一致した。今思い返すと、応えることができなかったのだなと思う。
話題:メンタル
真に迫りたい。何に対してもわりとそう思う。だからあまりこの辺でいいかって思えない。時間も大切だけれど、自分はどちらかというと意味を大切にしている。どれだけ時間がかかっても、意味を知る方が自分は価値が高いと思う。だから、様々な方面から様々な反応が返ってくる。でも、それは自分が葛藤しつつもいい意味で変化しているからだと思うと、気が楽になる。
帰宅したとき、大学から学科卒業生に向けた会誌が届いていた。就職活動で特にお世話になった教授が御退職されるようだった。今年も就職の報告をすることができなかった自分自身に落ち込む。落ち込みながら教授の寄稿を読んでみた。
『出会いはチャンスである』という文に、目が留まった。
あまり外出することはない自分だけど、就職支援施設で昨年よりお世話になっている。施設であるいは施設の繋がりで、様々な人に会ってきた。一度きりの人もいるし交流が続いている人もいる。一度きりの人もそうだけれど、交流が続いている人だって、常に同じ表情ということはない。会った瞬間と会話中(あるいは終了時)を思い出して、それぞれ比べると変化がある。だから、たとえ相手にとって嫌なことを言ってしまっただろうと思う時でも、挽回のチャンスはあるのである。
変化とは有り難いものだ。変化があるから、可能性がある。可能性があるから、真に迫れそうだ。真に迫るために、明日頑張ろうと思うことができるのだと、ふと思った。
話題:ひとりごと
自分のメールって、ビジネスのメールみたいなのかなってふと思った。いまメールをして思った。
自分では気持ちこめてるつもりだったけど、やり取りの流れをいきなり『では、また』のような主旨の文で切ってしまったような気がした。もっと自然な流れで返信するようなメールがよかったのかもしれない・・・。