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後付け論なわけで。

何年前かな。18歳くらいの哲学の授業のテストでこんな問題がでた。

「君たちは何故仕事をするのか?」

そのまんま。

授業ではその考え方を教えてたらしいんだけど、哲学なんてまるっきり興味ない俺は何も知らず、こう書いた。

「仕事は自分のためにするものだ。親に迷惑をかけて生きるのではなく、大人として自立し、家族をつくる。また、自分のやりたいことが仕事ならそのやりがいのため、そして人生を楽しむため、幸せになるために仕事をしてお金を稼がなくてはならない」

みたいな感じだったかな。
思い出しながら、あえて子供っぽく書くと。


もとより哲学なんて、千差万別の答えがあって当然の学問。
そのテストも、とりあえず何か書けば80点は貰えるというテストだった。



帰ってきた点数は70点。
勿論、クラスでワースト1。
んで、俺だけに赤でコメントがあった。


それはそれは説得力のある文章だったんだろうけど、ま、簡単に言うと、

「仕事は人のためにするものです」

という内容だった。

ま、哲学のお話で言えば、

人は誰かに生かされている。
自分も誰かを生かしているんだ。

みたいなやつ。
社会貢献も似たような考え方かなぁ。

こんな話昔もしたかな?


このことは、俺の印象に残ってて、社会貢献のために仕事頑張ろう!
なんて思ってたけど。



最近は、
人のため人のためっていうのは自分のことを大切にできない、、、というか、自分のために生きれない人の逃げ口上かな
っておもうこともある。

何だかんだ言っても、仕事は自分のためだし。
社会貢献したり家族を支えたりすることで、それをやりがいやモチベーションに変える、または自分の居場所を作るためだし。


勿論、
社会貢献のために仕事してるんです!
って言った方が、ずいぶん素晴らしい人に聞こえるけどね。


哲学なんて結局のとこ、

なんで生まれてきたのか、何のために生きるのか、

思考を持ってしまったがために悩む人類に合理的な理由を与えるための後付け論なわけで。


生まれてきた理由はお父ちゃんとお母ちゃんの性欲に由来するわけで。
種の保存っていう、果てしなく昔から生物に刷り込まれた本能によるわけで。


話が発散しそうやけど。


どっちの考えも否定する理由はなく、どちらも正しい。

ただ、人間として立派にみえる意見が、本来の答えを霞ませている、っと俺は思う。

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プロフィール
優さんのプロフィール
性 別 男性
年 齢 37
地 域 福島県
職 業 技術・理工
血液型 A型
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