2014-10-30 02:07
わたし、他人の行動については、嫌だな〜って思っても直接害がないことであれば大概流せるんだけど、たまに流せないものがあって。
それは
1.前述のように、自分に害が及ぶ場合
2.昔から許せないと考えてることの場合
が殆どなんですが、たまにどちらにも当てはまらないものがありまして。
しかも、すごく感情的になりやすいというか、改善するにはどうしたらいいだろう?が普段なら先行するはずなのに、嫌だなっていう感情論が先に来る場合がたまにありまして。
最近、それは、自分は今までやりたいと思わなかったことで、でも最近ちょっとやってみたくて、けど出来ない(と思い込んでる場合も含む)ことを、人がやってるのを見たときが多いんだなって気が付いた。
嫉妬や羨望に近いのかな。
それとも焦りや自己嫌悪か。。
どちらにせよ、この気付きは大きい気がする。
無駄にイライラしなくて済むし、このイライラを感じたなら、自分が無意識にやってみたかったことに気付くチャンスだしね!
最近だと、人脈云々の話。
もともと大学時代に「人脈が〜」って言ってる意識高い系の学生が苦手だったのね。
前にも書きたかもしれないけど、就活の時期とか特にそうだった。
で、最近地元民ズがみんな人脈が〜ってなってて、んんん^^^^^^って気分だったんだけど、これは多分、大学時代みたいに本気で嫌悪してるわけではなくて、自分もやってみたいと思い始めてるんだろうなって思う。
人と話すのは最近は楽しいし、自分にはない知識や経験を持ってる人と話すのは、見聞が広がるし。
そういう風に考えるようになったのは、前職の影響もあるだろうし、Twitterの影響もあるだろうし、弟の影響もあると思う。
基本ひとと付き合うの苦手な人間だから、これは大きな成長だと思って、なるべく社交的に行動する努力をしようと思います( ´ ▽ ` )
あと、人脈云々とはまったく関係ないけど、私ほんとうに怒らない人間なんだなって、最近いろんな人から相談受けてて思う(笑)
人との距離の取り方が上手いのかなって思ったけど、そういうテクニック的なことっていうよりも多分、自己分析好きすぎて、自分が不快に思わないで済むように日々生きてるんだろうな。
そのためなら、人との程よい距離は常に測るし、自分にとってトータル的にマイナスになるような感情は感じないで済むように、いろんなものを調整するクセが付いてるんだと思う。
昔、大学の作品作りにおいても、そのクセが無意識に出てたときがあって。
作品そのものには出てないけど、制作への取り組み方について出てたらしくて、それを友人から指摘されたことがあったの。
それは未だに、本当に鋭い指摘だったなって思う。
大学時代は、制作を通して結構みんな自己分析をしてるようなゼミだったから、あれは本当に良かったなぁと、今になって感謝してる。
無意識に調整できるのは、自分が心地よく安定した精神でいるためには良いことなんだろうけど、その分冒険できない部分もあるんだろうな。
もう少し、後先考えずに発言したり、振舞ったりするよう意識しても、いいのかもしれない。