〈I only came here for you〉
( Carly Rae Jepsen「I didn't just come here to dance」)

この歌詞の直前にジョーとかティノとか固有名詞が出てくるのですが、そのひとたちではない「you(あなた)」のためだけに私はここにきた、と言い切るところが好きです。




エレベーターにて
「何階ですか?」
「2Fで大丈夫ですよ」
「はーい。あっ、おつかれさまです」
そう言って見知らぬきれいな人は笑って、私と一緒にエレベーターを降りた。

お店にて
「ねえ、これ」
「?」
「あ……」
その子は気まずそうにあっちを向くから、私も気がつかなかったふりをした。

どちらも今日あったことで、後者は私と誰かを間違えている感じだった。
けれど前者はもしかしたらそこで会ったことがあるのかもしれない。ちっとも心当たりがない。
彼女たちにとって私はいったい誰で、もしくは誰のかわりとして、そのとき存在していたのだろう。

そんなことは明日にはきっと忘れている。昨日私に、「息苦しい」と伝えてきた女の子のこともさっきまですっかり忘れたままだった。
私は今だっていつだって、さっさと助けてあげたい「あなた」のことばかり考えている。
私にとっての「あなた」とはさていったい、誰のことでしょう。
これを読んでいる「あなた」。
こんなもの読むことのないであろう「あなた」。
これを書いているこの瞬間より未来にいる「あなた」。
じつは、「あなた」たちの中の特定の一人を指していう「あなた」。
もしくは、今の私からいくらか離れたところにいる「あなた」としての私。
書いているときはいつだって明確に決まっているけど、時がたつとぼやけてしまう。だから「あなた」という言葉を使う。そうして距離をとっている。

好きな歌手の歌を聴いていても、その歌詞の「あなた」はいったい誰なのだろうとよく考えます。ごめんなさい、今お酒を飲んでいて思うままに書いています。

〈いつかは会える/そのためにあたしはここにいる〉
(荻原規子「あのひと」)

荻原規子さんの「あのひと」という短編を読んで、これが短いわりにけっこう良くて、太宰治の「待つ」みたいな空気のある作品だなあと思いました。
それが誰なのかは、会ったこともないからわからないけど、自分には確かに「あのひと」という存在がいて、「あのひと」に会える日を信じて生きている女の子の話です。

〈あたしに将来なんてあるんだろうか。あああ、だめだ。楽しいことなど一つもない気がする。さらに落ち込む。/灰色の未来がこわくなるときにこそ、あたしは「あのひと」のことを考える。〉
(「あのひと」より)



〈私の待っているのは、あなたでない。それではいったい、私は誰を待っているのだろう。
(略)
 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。〉
(太宰治「待つ」)



〈そうよ 明日になれば/私もきっと分かるはず〉
(松任谷由実/『恋人がサンタクロース』)

行事で使うので最近聞いているのですが、この歌にも「待つ」というストーリーがありますね。
〈恋人〉よりも〈となりのおしゃれなおねえさん〉の存在のほうが尊い感じがします。幸せな歌の中で、今はもう会えない〈彼女〉の記憶だけが少しせつない。


〈ふたりの仲を壊したかったの〉
(草野たき『猫の名前』)

これもこの頃読み返しています。草野さんの作品のなかで一番好きです。そこまで悲しいことが起こるわけではないのに、果てしない孤独に浸かっているような気分になる話です。


マライアかわいーですね。


いまは宇多田さんの「あなた」と「Forevermore」をきいています。
〈愛してる 愛してる/薄情者な私の胸を/こうも絶えず締め付けるのはあなただけだよ〉
(宇多田ヒカル「Forevermore」)