題名は、『今日は死ぬのにもってこいの日』という本から学んだことです。
インディアンの言葉が綴られているんですが、素敵でした。私は涙腺ゆるくて、文にすぐ感動して泣いてしまうんですけど、この本は泣かずに、でもちゃんと考えて読めました。
やっぱり本はいいなぁ
題名の通り、私たちはいろんな命を奪って生きてるわけで、それはもう至極自然なことなんですけど、でも当たり前ではないというか。やっぱり感謝を感じていきたいと思いますね。
あと、何も自分以外のものだけじゃないですよね、殺めるのって。
私は私を生きるために、私のなかの誰かを殺めてるとおもいます。
ここはきっとその殺めた誰かが来ているところなんだろうな。
現実で生きるには、こんなことを考える自分は圧し殺さなきゃいけないんです。
でも私は知っています。
圧し殺さない人が、何かを変えられる人だってこと。
同時に、私は知っています。
だからこそ『私』は何かを変えられる人にはなり得ないこと。
せめて、自分を変えられる人になれるように。
純愛小説を読んだら、
とても切なくなりました。
あ、あと、中村先生のJの総ても、なんだか切ない。
ハッピーエンドの切ない話ほど、切ないものはないと思うんです。
悲しいんじゃなくて、切ないのが。
ぐあーって泣ける訳じゃない、その感情が、耐えられないほど、胸を締め付けるんです。
Jの総て、素敵だった〜。
えげつないけど、素敵だった。
おすすめはしないけど。
Jは、女みたいに美しくて、美しくて、女になれたけど
わたしは、男みたいに美しくなれないから、男にはなれないんだろうな。
どんなに憧れても、憧れても、憧れで終わることなんていくらでもあって、でもそのことにわたしは一生、胸を締め付けられていくんだと思う
それで良いとも思うけど、
ほんとに悔しいのも事実なんだよね。
男になれない、なりきれない自分が、嫌です。でもそれは、綺麗な理由でもなくて。ただ単に、憧れで。
矛盾ばっか。矛盾しかない。
それでも、生きるのが好きなんです。
愛ってなんなんだ
君のために何かをしたい
でもそれは結局自分のためなのだろうか
君が好きだ
そう思うのは恋だという
好き以上の大好き以上の
この悲しい気持ちはなんだ
終わりが怖いこのきもちだったり
君が死ぬときを考えるのが怖い気持ち
家族、恋人、親友
そんなに多くはない人たちに抱くこのきもちはなんなんだ
その人たちが、私の知らないところで、すごく苦しんですごく辛くて死んじゃいたいって思ってしまったとき、何にも出来ないけど、もしくはお荷物だけど寄り添いたいと思う気持ちは、なんなんだろう。
その人たちの最期を考えるだけで、泣けてくるのはなんなんだろう。
生きるか死ぬかなんて自分の自由だろって言ってのけるくせに、その人たちが自殺しようってなった時、自分のエゴかもしれないけど、ぜったい止めるって決意してるこの気持ちは、なんなんだろう。
これが愛なら、
なんて自己中心的な愛なんだろう。