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このまえ、ボランティア先である3年の女の子に
せんせい、わたし、音楽の授業だいっきらいなんです。
って言われた。

なんで?って聞いたら、
だって、みんなの前でリコーダーふいたり、歌歌ったりしなきゃいけないんですよ。嫌じゃないですか。
とのこと。

ドキドキ緊張するってこと?って言ったら、
緊張するっていうか、心臓が爆破しそうになるんです。だって、評価されるってことなんですよ?そんなの怖い、嫌だ。先生はそういうことなかったんですか?
って。

小3にしては、表現の仕方とか感覚が大人びてるなあっておもった。でも、一部のこどもたちの本音を代表した言葉なのかもしれないね。
「評価される」が一番胸にきた。
うーん。
きっと、同じように感じるこどもたちがたくさんいるんだろうな。

この話を彼にしたら、
あーわかるわかる。俺も上がり症だから、中学の時もみんなの前でとかすっごい緊張したもん。
って言ってた。
かっこつけずに素直に言える彼が、愛しいなあって思った。

その子は、4月に一人ずつスピーチしたときも、原稿をもったまま言葉をだせず固まっちゃった子なのです。
そのときから心の内が気になっていた子なんだけど、本音を話してくれたことが嬉しいね。

あのとき、わたしはあの子になんて応えたんだっけな。
◯◯ちゃんはできるから絶対大丈夫。自信もっていいよ。
って言った気がする。
間違えてもいいんだよ〜とも言った気もする。
その言葉でよかったのか、って考える。

きっとほんとに大事なのは、言葉かけじゃなく、その子の課題にアプローチする取り組みなんだろうな。
その子への直接的な取り組み、
学級全体を通した取り組み、
教師自身の指導の改善。

たとえば、音楽の発表会の前日に「今思うこと」を全員に日記に書かせて、一人一人、発表する前に日記を紹介したり。音楽は苦手だから緊張する、ここの音を頑張りたい、とか、発表する相手の素直な気持ちを知ったこどもたちは、きっと共感的に聴いてくれると思う。それによって、「評価される」っていう抑圧的なイメージを少しでも払拭できたら。
日々の授業でも、班内の話し合い活動を取り入れて、メンバーの認めを得て自信をもたせてから、全体に発表させたり。
少人数の先生にお願いして、少人数教室では普段人前に立つことが苦手な子に発言の機会を設けて、肯定的な言葉がけを増やしてもらったり。
学級内のルール決めや事件があったときには、こどもたちに自由に話し合いをさせて、 一人一人が自分の思いや考えを怖がることなく表現できて、共有できる機会をたくさんつくったり。

まだまた未熟な案だけど、いろんな手立てを考えるのは楽しい。
考えることが第一歩!

その子に言われた日、最後の授業は少人数の算数だったんだけど。
なんでその式にしたのか、自分の考えを自由に書く時間があって。
先生、これで合ってる?
ってその子がたくさん聞いてきた。
合ってるよーって花まるあげたときの、嬉しそうな顔が嬉しかった。
そのあと先生に指されてちゃんと答えられたとき、ほっとしたような嬉しそうな顔してて、あ、これだなって思った。


あのメンバーだと、いっつもわたしが幹事だよー。
そしてあまり返信こないっていう。
もー。わたしも忙しいのだよ。地味に。
楽しくいきたいけど、いらっを隠しきれないよね(⌒▽⌒)

こういう、ちょっとした優しさがね、嬉しいなあって思うんだよね。

このまえ、友達から卒論の面接をうけたのです
挫折経験をどう乗り越えたかっていう

いろーんなことを思い出したよー

幼稚園の縄跳び大会で、トイレいきたかったけど先生にどう思われるか怖くて言い出せなかったこととか笑
遊具で遊びながら友達の言葉がぐさっときて、でも聞こえないふりして何にも反応できなかったこととか
小学生のとき、もうすぐ休み時間になるってときの憂鬱なかんじとか
一人でも平気なかんじを装うときの苦しさとか
グループといても、どこか居場所のない心許なさとか
誰からも必要とされてなくて、それは私だけじゃないって信じたくて必死に周りに似た人を見つけようとするときの悲しさとか

小さい頃のいろんなことを思い出して、記憶って感情の集合体なんだなって思った。感情というか感覚というか。
だから、思い出すと泣きそうになるのね。
人に自分をだせなくて、誰かに近づいてきてほしいけど怖くて、一人でも全然平気なふりして
心の中ではいろんな感情が駆け巡ってるのに、それを周りに出せなかったから、周りからは表情がなく見えてただろうな。
よぎーからも、怖かったとか無愛想だったとか言われるわけです。笑
表情をなくすのは、孤独から自分を守るため。
あえて自分から壁をつくって、自分を強く見せる強がり。

そんなかんじでわたしの一番の困難は「人」だったわけだけど、わたしを変えてくれたのも「人」だったから、人ってほんとに奥深い。

まず家族は大前提で
妹が生まれて、絶対的な心の拠り所ができて、学校でどんな辛いことがあっても家族がいるから大丈夫って思えた、踏ん張れた

中学1年の先生は、かなさんならできるよって学級委員に薦めてくれて、わたしの新しい一面をひきだしてくれて、世界が180度変わった

はるくんに出会って、わたしは誰かに対してこんなに一生懸命になれるんだって知れたし

あらい先生に出会って、あえて試練をくれる厳しさも、やさしく見守ってくれる温かさも、全力になる熱さも教えてもらった。尊敬する大好きな大好きな先生。何事にも一生懸命に取り組むところはすごいねって言葉は、大切な大切な財産なのです。

高校の部活の先輩後輩もね。あんなに何かに全力になったの、あのときは初めてだった気がする。努力の意味を教えてくれた人たち。

そして相撲部長ね。言うまでもなく。誰かを心から信じたのは、誰かに自分をあんなにさらけ出したのは初めてでした。ともちゃんに会ってはじめてちゃんと「人」になれたような、そんな気がする。

面接では話さなかったけど、ゆかりんやみくも、いろいろなことを教えてくれたひと。幸せを願う、大切なひと。

そして彼。大切な大切な、だいすきなひと。存在が当たり前になっていて、なにをもらったとか教えてもらったっていう次元ではなくなってきているけど、わたしがわたしでいられる源のひとつ。

いま、昔の自分を含めて、自分がすき。
まだまだ弱いところもあるけど、そこがまた自分の魅力かなって思う。

こーんな話を、面接でしました。
いろんな人との出会いの中で、小さい頃につくった人に対しての困難を、少しずつ少しずつ克服してきたんだなっていい思った。
どの出会いもわたしにとっては必要だったね。ありがたいね。
どんなかんじで分析されるんだろう。
論文が完成したら、見せてもらいたいな!!

なんでこのことをここに書いたかというと、小さい頃の記憶を忘れないため。
小さい頃の思い出を克服できたことは幸せで嬉しいことだけど、それとともに小さい頃の苦しみや辛さを日々の生活の中で忘れそうになるのも事実。
わたしだからできた経験、わたしにとって無くてはならなかった経験。
せっかく面接で思い出させてもらったから、大切に覚えていよう。
そして、おんなじ思いをしているこどもを絶対に見捨てない。表情に表れない心の奥深くをわかってあげられるようになる。寄り添ってあげられるようになる。一人一人に居場所のあるクラスを絶対につくる。

そう考えると、バイト先やボランティア先で、もっとよく話を聞いてあげるべきこどもがたくさんいるのかもしれないなあ
もっと違うやり方で接するべき子どもがいるなあ

考えよう
考えることが第一歩!!
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