このまえ、友達から卒論の面接をうけたのです
挫折経験をどう乗り越えたかっていう
いろーんなことを思い出したよー
幼稚園の縄跳び大会で、トイレいきたかったけど先生にどう思われるか怖くて言い出せなかったこととか笑
遊具で遊びながら友達の言葉がぐさっときて、でも聞こえないふりして何にも反応できなかったこととか
小学生のとき、もうすぐ休み時間になるってときの憂鬱なかんじとか
一人でも平気なかんじを装うときの苦しさとか
グループといても、どこか居場所のない心許なさとか
誰からも必要とされてなくて、それは私だけじゃないって信じたくて必死に周りに似た人を見つけようとするときの悲しさとか
小さい頃のいろんなことを思い出して、記憶って感情の集合体なんだなって思った。感情というか感覚というか。
だから、思い出すと泣きそうになるのね。
人に自分をだせなくて、誰かに近づいてきてほしいけど怖くて、一人でも全然平気なふりして
心の中ではいろんな感情が駆け巡ってるのに、それを周りに出せなかったから、周りからは表情がなく見えてただろうな。
よぎーからも、怖かったとか無愛想だったとか言われるわけです。笑
表情をなくすのは、孤独から自分を守るため。
あえて自分から壁をつくって、自分を強く見せる強がり。
そんなかんじでわたしの一番の困難は「人」だったわけだけど、わたしを変えてくれたのも「人」だったから、人ってほんとに奥深い。
まず家族は大前提で
妹が生まれて、絶対的な心の拠り所ができて、学校でどんな辛いことがあっても家族がいるから大丈夫って思えた、踏ん張れた
中学1年の先生は、かなさんならできるよって学級委員に薦めてくれて、わたしの新しい一面をひきだしてくれて、世界が180度変わった
はるくんに出会って、わたしは誰かに対してこんなに一生懸命になれるんだって知れたし
あらい先生に出会って、あえて試練をくれる厳しさも、やさしく見守ってくれる温かさも、全力になる熱さも教えてもらった。尊敬する大好きな大好きな先生。何事にも一生懸命に取り組むところはすごいねって言葉は、大切な大切な財産なのです。
高校の部活の先輩後輩もね。あんなに何かに全力になったの、あのときは初めてだった気がする。努力の意味を教えてくれた人たち。
そして相撲部長ね。言うまでもなく。誰かを心から信じたのは、誰かに自分をあんなにさらけ出したのは初めてでした。ともちゃんに会ってはじめてちゃんと「人」になれたような、そんな気がする。
面接では話さなかったけど、ゆかりんやみくも、いろいろなことを教えてくれたひと。幸せを願う、大切なひと。
そして彼。大切な大切な、だいすきなひと。存在が当たり前になっていて、なにをもらったとか教えてもらったっていう次元ではなくなってきているけど、わたしがわたしでいられる源のひとつ。
いま、昔の自分を含めて、自分がすき。
まだまだ弱いところもあるけど、そこがまた自分の魅力かなって思う。
こーんな話を、面接でしました。
いろんな人との出会いの中で、小さい頃につくった人に対しての困難を、少しずつ少しずつ克服してきたんだなっていい思った。
どの出会いもわたしにとっては必要だったね。ありがたいね。
どんなかんじで分析されるんだろう。
論文が完成したら、見せてもらいたいな!!
なんでこのことをここに書いたかというと、小さい頃の記憶を忘れないため。
小さい頃の思い出を克服できたことは幸せで嬉しいことだけど、それとともに小さい頃の苦しみや辛さを日々の生活の中で忘れそうになるのも事実。
わたしだからできた経験、わたしにとって無くてはならなかった経験。
せっかく面接で思い出させてもらったから、大切に覚えていよう。
そして、おんなじ思いをしているこどもを絶対に見捨てない。表情に表れない心の奥深くをわかってあげられるようになる。寄り添ってあげられるようになる。一人一人に居場所のあるクラスを絶対につくる。
そう考えると、バイト先やボランティア先で、もっとよく話を聞いてあげるべきこどもがたくさんいるのかもしれないなあ
もっと違うやり方で接するべき子どもがいるなあ
考えよう
考えることが第一歩!!