少女漫画や恋愛小説を読んで、胸がぎゆう、と痛むのは
同調してるからではない、と分かりました。
主人公は、愛しい人に会いたくて会いたくて、心を痛めて涙を流すけれど、私はその逆。
カラカラに心が乾き切っていることが分かるから、自分にないものを渇望して涙を流すのです。
いつまで過去に縛られていればいいの?
いつになったら開放されるかな?
逃げたい、逃げたい、見えないところへ、聞こえないところまで
言いたい事は沢山あるけれど
何一つ言葉にならないのは
みんなの事を気にしているから
自分が経験したことのない感情に、恐れと、羨望を感じる。
そういった感情が湧き起こらない自分は、人間として欠陥があるのだと常々思う。
どうすれば、私は人間になるのだろう?
いつ、人間になれるんだろうか?
人間になれるよう、手ほどきや手伝いをしてるれる人間が周りにいないのは、私がそういった類の人間ではないからだろうか?
ああ、胸が苦しい。
子供みたいな言葉しか出てこない。
誰か助けてよ。
ああ。
私は人間じゃないのかもしれない。
感情をどこかに置き去りにしたまま、生まれてきたのかな。
自分が持ち合わせないものを渇望するあまりに、本や映画を欲するんだろうか?
時々、あまりにも無情な自分が嫌になる。
結局、自分は何も出来ない矮小な存在なのだ、と無力感を感じる事が多々ある。
それこそが母親の調教であり、自分の思い通りに子供を動かすための「躾」なのだけれど。
躾といっても、犬猫畜生に施すような、反射の域に達する狭き意味での物。
人間としては扱っていないんだ。
自分の思い通りに動かなければ無価値。
意味を成さない、必要のない存在。
私の言う通りに動かなければ、お前なんて必要ない。
養う必要なんてない。
不満があるなら今すぐ出ていけ。
我が家の躾はこんな感じ。
子供の頃は、見捨てられるのが怖かった。
必要ない、と存在自体を無視されるのが何より辛かった。
子供にとって、家庭は例えどんなに酷くても、自分の人生の中心だから。
このコミュニティに干されたら生きていけないから。
すこし年をとって、自分が少しだけしっかりしてきて、存在を無視されても平気になると、人質は注意注目からお金に変わった。
もう出ていけ。
学費は出してやらない。
許して欲しければ土下座しろ。
まだ、自活できるだけのお金がないから、どんなに悔しくても言う事をきくけど、お金を稼ぐようになったらあなたの言う事なんて絶対きかない。
家を出て、二度と戻らない。
もう知らない。
私の生活の中からあなたを消し去ってやる。
それまで、もうちょっとの我慢我慢。