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「ホーリーナイトメア」

12月24日、クリスマスイブ。救い主がこの世に生を受けた日まで、あと11時間だ。
午後一時を知らせる鐘の音を聞きながら、彼はあくびを噛み殺す。今日は朝から忙しく、まともに食事すら取れていない。もっとも、それは彼に限った話ではない。この町の人々は、間近に迫った聖なる日の準備で誰も彼も大忙しなのである。
「ピーター、サボってないで手伝ってよ!」
階段下の物置を整理していると、後ろから妹のマリーに声をかけられる。彼は少しムッとして振り返る。
「別にサボってねーよ。ここ、整理してんの。」
「あらそうなの?でも、こっちも人手が足りないのよ。そこは後でやれば良いでしょ、こっち手伝って。」
文句を言ってもマリーには意味がないようだ。彼は小さくため息をつくと、階段下から這い出した。マリーはすでに廊下を早足で歩き出している。
「おい、台所は俺が行っても役に立たないぞ。」
マリーが向かっている場所を察して彼は言う。料理は女性たちが担当のはずだ。
「ジョージ兄さんが猪を捌くから手伝ってほしいんだって。」
マリーはそう言って顔をしかめる。まあ、動物の解体は見ていて気持ちのいいものではない。
「ん?猪を捌くなら、物置から道具出さなきゃいけないじゃないか。」
彼はそう呟くと、踵を返して先ほどの物置に戻る。確か、整理していた中に道具が一式揃っていたはずだ。
「あら、じゃあ先に言えば良かったわね。ごめんね、ピーター。」
マリーは戻っていく彼の背中にそう声をかけると、自分はさっさと台所へ向かった。
「…あいつ、俺も兄貴だってわかってんのか?」
そんな妹の態度に彼はまた小さくため息をついた。

「おう、来たか弟よ!」
彼が道具一式を持って裏庭に行くと、そこには立派な猪が逆さ吊りで木にくくられていた。
「ちゃんと道具も持ってくるとは、関心関心。」
そういって、ガハハと豪快に笑う兄をピーターは相変わらずだなぁと思った。
「何をするにも道具をきちんと揃えることは重要だからな!さて、皮を剥ぐぞ。」
兄のジョージは普段、軍隊にいる。この家に帰ってくるのはクリスマスから年明けにかけての短い休暇の間だけで、それ以外は遠く離れた国境付近の村で隣国との境界を見張っているのだ。昔から、血気盛んな男であったから、軍隊に入るのは当然のことと、誰からも思われていた。
だから、作業をしながら聞かされた話に彼はひどく驚いた。
「なあ、ピーター。俺、軍隊を辞めようと思うんだ。」
ジョージは猪の腹を開きながら、そう言った。
「え?冗談だろ、兄貴。」
猪の足を押さえていた彼は驚いて顔をあげた。
「いや、本気だよ。」
真剣な表情で兄は語った。
「実はな、昨日、こっちに帰ってすぐにプロポーズしたんだ。…ローザリアに。」
少し言いよどんだ後、兄が口にした名前に彼は少なからず動揺した。
「ローザリア…って従姉妹の?」
「ああ。他にはいないだろ?」
「兄貴、…ずっと好きだったのか?」
「…うん。昔、告白してそのときはふられたけど、それからもずっと好きだった。ローザリアの方も、俺が何度も好きだと言うものだから、真剣に考えてくれたようでな。」
軍隊をやめるなら結婚すると言われたのだそうだ。彼はその話を聞きながら、幼き日の情景に思いを巡らせていた。

従姉妹のローザリアは彼と同い年で昔から器量の良い娘として評判だった。柔らかい栗色の髪に薄緑の大きな瞳、肌は白いなかにほんのり頬が桜色に色づいて、微笑むと誰もが見惚れてしまうほどの美しさだ。
そんなローザリアを射止めるのは誰なのか、というのはもっぱら周囲の人間たちの噂のタネだった。
彼は同い年のローザリアをいつのころから意識していた。同い年なので、何かと一緒にいることが多かったのだ。彼は淡い恋心を抱き、ローザリアを見つめていた。自分の思いを伝えることはとてもできなかった。
そのうちに、年頃になると兄のジョージをはじめ、たくさんの男たちがローザリアに言い寄るようになった。だが、彼はそれを見ても自分もそうしようと思わなかった。告白する勇気もなく、いつもただ見ているだけだった。見ているだけで、幸せだった。
そのローザリアが結婚するなど、しかも自分の兄が相手などと彼は夢にも思っていなかった。
「だからな、あと一年、むこうで兵士をやったら、こっちに帰ってきてローザリアと結婚しようと思うんだ。」
兄はそう言って、はにかんだ。
軍隊をすぐに辞めるというわけにもいかないらしい。だから一年後、ローザリアを迎えに行くと約束したのだという。

…そんな会話をしたのが、去年のことだった。

そして、一年たったクリスマスイブの朝。教会の鐘の音で彼は目覚めた。
「兄貴の夢…か。」
彼は虚空を見つめ、はっきりしない頭でいましがた見た夢について考えた。
結局、兄のジョージは帰ってこなかった。この一年の間に隣国との情勢が悪化して、戦争になったのだ。最前線は当然、ジョージが配属されていた部隊だった。
ジョージの訃報が届いたのは、戦争が始まってしばらくした春の日のことだった。
その知らせを聞いたとき、母は泣き崩れた。妹のマリーも泣いていた。彼も信じられない思いでいっぱいだった。あの豪傑な兄が死ぬなど…。
だが、一番悲しんだのはローザリアだった。彼女はジョージの死を知ると半狂乱になって泣き叫んだ。毎日のように教会へ出向いて、どうかその知らせが何かの間違いでありますように、と祈った。
だが、その祈りは届かなかった。半月後、ジョージの遺体は戦死したとは思えないほどにきれいな状態で、故郷へと帰還した。皮肉なことに、戦争が始まったばかりだったので、故郷に遺体を送る余裕もまだあったのだ。
その後、戦争は一時激化したが両国の財政難を理由に、先日あっさりと終了した。彼も戦地に送られることなく、今日まで過ごしてきた。

ローザリアは、今も祈っている。

教会で、修道女として。ジョージを失った彼女は他の誰でもない、神の花嫁となったのだ。それは彼にとって、悪夢以外の何ものでもなかった。ローザリアが誰かのものになってしまうのも嫌だったが、自分の手の届かない存在になってしまったのは、もっと嫌だった。ローザリアの美しさは今も変わらないが、それをじっと見つめることもなかなかできなくなった。
さらには来年からローザリアは巡礼の旅へ出ることになっている。戦争が終わったとはいえ、まだ隣国との関係も微妙な時期だが、教区の巡礼団に参加することは彼女のたっての希望だった。
ローザリアが遠くへ行ってしまうと知ったとき、彼は心の底から絶望した。そして、同時に悟ったのだ。この聖なる悪夢は一生覚めることはないのだと。
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