話題:SS
どんな景色が見えるのだろう。そんな期待を胸に僕は展望鏡の接眼部に両目をあて中を覗き込んだ。
ところが……
そこには漆黒の闇が広がるばかりで他には何も見えない。目を離して、もう一度、ランプの色を確認する。ちゃんと緑になっている。が、再度覗き込んでも風景はまったく見えなかった。(これはおかしい。機械の故障だろうか)。そう思った時だった。
『ねぇ、君…』
背後で声がした。踏み台に載ったまま振り向くと、すぐ後ろに白い服を着た男が立っている。いったい、何時からそこにいたのだろう。近づいてくる足音も気配もまるで感じられなかった。しかし、男は疑いもなく厳然とそこに立っていた。年の頃はよく判らない。スラッとした体躯で背は高かったように思う。
もっとも、その辺は幾らか曖昧なところがある。如何せん古い記憶の中の出来事だし、何と言っても当事の僕はまだ幼かった。ただ、男の着ている服の眩いばかりの白さだけは今も判然(はっきり)と脳裡に焼きついている。白の背広に白いシャツ、白のスラックス、靴まで白い。その上、白い帽子まで被っている。そのどれもが、汚れ一つない輝くような純白だ。
男は涼しげな表情で言った。
『目じゃない。鼻だよ』
意味が判らずにポカンとしていると、男は同じ内容の事を別の言葉を使って言い直した。
『いま、君が目をあてていた箇所(とこら)には鼻をあてるんだ。それが、この機械の正式な使い方なのさ』
言い直されてもまだ意味が判らない。それでも、言われるままに僕は展望鏡の――本来、どう考えても目をあてるべき――接眼部に両鼻をあててみた。
しかし、これがやはり何も起こらない。からかわれたのか、と一瞬思った。
でも、そうではなかった。
『ああ、申し訳ない。どうやら、私が話しかけたせいでコインの有効時間が切れてしまったようだ』
見れば、いつの間にかコインランプの表示色が赤に戻っている。僕が財布から次の十円玉を取り出そうとすると、男の手が静かに延びてきてそれを制した。そして、僕の手に十円玉を何枚か握らせた。それは展望鏡と同じく新品同様にピカピカと輝いていた。その十円玉を男が何時どこから取り出したのか、僕にはまるで見えなかった。それは熟練の手品師の技を見ているようだった。
『このコインは君の邪魔をしてしまったお詫びだ。さあ、もう一度試してごらん』
僕は言われた通り十円玉をコインボックスに入れた。ランプが緑に変わる。そして、展望鏡の接眼部に恐る恐る鼻をあてた……。
すると、どうだろう。僕の鼻孔いっぱいに何とも言えず香しい(かぐわしい)花の芳香がたちまち広がったのだった。この香りには覚えがある。見覚えではなく聞き覚えでもない。嗅ぎ覚え。それはラベンダーの芳香に違いなかった。
展望鏡のレンズの遥か向こうには広大なラベンダー畑が広がっている。それは、つまり……。
『そういう事。これは視覚ではなく嗅覚を望遠する、そういう装置なんだ』
幼い身にも、それが不思議な話だというのは判る。
『遠くにある香りを拡大して集積させる望遠鏡。でも、実を言えば、この装置はまだ実験段階の物なんだ』
男は意外と饒舌で、話はもう少し続いたが、それは当時の僕にはあまりに難しすぎる内容だった。
知識や理解を超えた話は遠い異国の言葉のように右の耳から左の耳へと吹き抜ける。あとに残るのは風に吹かれた感覚だけだ。この時、僕は確かに遠い異国の風をこの身に感じていた。それは僕の知らない世界に吹く風だ。
『じゃあ今度は…香りを嗅ぎながら目を閉じてみて』
目を瞑って鼻をあてる。再びラベンダーの芳香が僕の鼻孔を満たしてゆく。変化は間もなく訪れた。目を閉じた漆黒の世界にスッと一条の光が差し込んだかと思うと、夜が一瞬のうちに昼に変わるように、暗闇の世界は突如として、風そよぎ光あふれる花畑の風景へと変貌を遂げたのだ。
それはとてもリアルな光景で、僕は現実のラベンダー畑の中に立っているような感覚に陷っていた。現実のまぶたはしっかりと閉じられている。しかし、風景はこれ以上ないぐらい鮮明な映像として脳内スクリーンに映し出されていた。
どれぐらい、そうして花畑の中で立ち尽くしていただろう。やがて世界は、部屋の電気を消すように、一瞬でまた元の暗闇に戻ってしまった。
目をあけた僕は、たったいま自分が目にしたものを男に伝えようと背後を振り返った。
が、男の姿は跡形もなく消えていた。そして、その消失と入れ替わるように屋上のあちこちに人の姿が現れていた。幼い子供をつれた母親と父親。仲の良さそうなお年寄りの夫婦。ネクタイを緩めてベンチの上で足を投げ出している背広姿のサラリーマン。それは、百貨店の屋上によくある日常の風景そのものだった。
《続きは追記からどうぞ》
何が起きたのか、さっぱり判らなかった。目を閉じていた僅か一分の間に僕ひとりを残して背景が差し替えられたような感じだ。それは舞台の暗転に似ていなくもない。瞬間的に二つの世界(背景)が入れ変わってしまったのだ。
いま、目の前にあるのが、もともとそこにあった世界。つまり、僕がよく知る現実の百貨店の屋上に広がる世界だ。本来あるべき日常の世界。そこに何かの拍子でもう一つの世界が紛れ込んでしまった。それは、ある映画のフィルムに別の映画の一コマがカットインしてしまったような感じ、と言えば判りやすいだろうか。
僕の出演している映画(世界)と白い服の男が出演している映画(世界)は、確かに似通ってはいるが、もともとは別の映画作品(世界)であるように思えてならない。映画館で一つのスクリーンに二本の映画を同時に映写したりしないように、二つの世界が百貨店の屋上という一つの場所に同時に存在する事は出来ない。それが、白い服の男(の世界)が消えた途端、百貨店の屋上に日常の風景と時間が戻った理由だ。
あの日、M百貨店の屋上には確かに二つの異なる世界が存在していた。僕はそう考えている。もちろん、それを証明するのは限りなく不可能に近い訳だが…。
それとも、世界が二つあるなどというのは単なる錯覚で、僕は夢でも見ていたのだろうか?
白日夢というやつだ。
それはそれで悪くない答えに思える。何故なら、「かつて、百貨店の屋上には“夢”があった」のだから。
しかし…実はそれが夢まぼろしではない証拠を僕は持っている。
先ほどの話の中で、確か僕はこう言ったと思う。「男は、僕の手に十円玉を“何枚か”握らせた」と。正確に言うとそれは四枚だった。僕が使ったのは、その内の一枚だけ。つまり、残りの三枚はそのまま僕の手元に残された。そして、それは現在進行形で今も続いている。
白い服の男から受け取った十円玉を、僕は小さな封筒に入れて机の引き出しの一番奥に隠した。あの不思議な出来事が、実際に起こった現実のものである“確かな手触り”として、それは今もなお、僕の手のひらの中にある。
あれから数十年経っているにも関わらず、三枚の十円玉はあの時と同じく新品同様の輝きを保ち続けている。普通なら、まずあり得ない事だ。やはり、この十円玉は根本的な何かが違っている。僕にはそう思えてならない。
気になる事は、もう一つある。
ほんの気まぐれで、僕は何度か、この十円玉をジュースの自動販売機に入れてみた事がある。もちろん、本当にジュースを買うつもりはない。単なる子供心の悪戯、自販機に対する冷やかし行為だ。ところが、何度入れても硬貨は自動的に返却口に戻されてしまう。色々な自動販売機で試してみたが、すべてダメだった。ジュースの自販機だけでなく駅の券売機も同じ。どうやら、機械はこの十円玉を硬貨として認証するつもりはないらしい。
その二つの事実は、確証とするには甚だ脆弱ながらも、三枚の十円玉がもともと別の世界に帰属する物であるという事を示唆している、とは考えられないだろうか?
あの十円玉や香りを望遠する展望鏡は、白い服の男がいる世界でのみ通用(作用)する物。だから、別の世界であるこの世界の自動販売機には認識されない。新品同様の輝きを保ち続けているのは、この世界に流れる時間の干渉を受けない為だろう。
そう考えると、ギリギリ辻褄はあうように思える。
しかし、それは新たに別の疑問を生じさせてしまう。「では何故、異なる世界に属するはずの僕が、あの時、展望鏡でラベンダーの香りを嗅ぐ事が出来たのか?」。そんな疑問だ。そして、その疑問に対する明確な解答を僕は持ち合わせていない。
それでも、敢えて答えるならば…「そこが“昔の百貨店の屋上”という特別な場所だったから」…とでも言うしかない。異なる二つの世界が繋がる特殊な場所だからこそ、それは起こった。それ以上の説明は残念ながら不可能だ。
僕は今まで、この話を誰にもしなかったし、三枚の十円玉を誰かに見せた事もない。偽造硬貨だったら困るからだ。どの販売機も受け付けない硬貨。異世界の物などと言う前に、偽造硬貨を疑うのが普通だろう。通貨の偽造は重罪だ。もちろん、仮にこれが偽造硬貨だったとしても、僕に罪はない。けれども、この十円玉をどうやって手に入れたのか、その入手経路を訊かれた時、どう説明すれば良いのか、僕にはまるで見当がつかない。正直に、あの百貨店の屋上での出来事を話したとして、とても信じて貰えるとは思えない。だから僕は、誰にも話さず誰にも見せない道を選んだ。
ところが、“秘密”というものは、ひとりで抱え込んでいると、徐々に(心の)内側で膨らみ始め、大きくなるに従って、外の世界へと出たがるものらしい。何日か前から、僕はこの事を誰かに話したくて仕方なかった。しかし、誰にでもという訳にはいかない。一笑にふされるのが関の山だ。
そんな時、君という存在を思い出した。君ならば、あるいは、僕には思いもつかないような感想をこの話に対して持つかも知れない。そういう微かな期待が僕の中にある。
それと同時に、この十円玉の一枚を君に持っていて貰いたいとも思っている。
例え、それが不確かな夢、そのまた小さな欠片のようなものであれ、秘密を共有する者がいるというのは、やはり僕にとっては何より嬉しい事なのだ。
【終わり】
そのコイン みぃうも預かりたいなぁo(^-^o)
とっても夢がある♪
再度 何か不思議な事が起きそう♪
この お話読んでる途中に なんかスライドの…
継ぎ目と言うか…? 次の映像に変わる瞬間と言うか…?
その瞬間にも この様な異空間と言うか、不思議な現象があるような気がして なんか色々想像してワクワクしてしまった(〃^ー^〃)
やっぱり トキノっちの お話読んでて楽しい〜o(^-^o)(o^-^)o
好きだなぁ(*^^*)
まだ いっぱい書きたいけど 調子に乗って書いてる内に うっかりミスでコメント全部消しちゃう〜なんて事が起こりそうなんで この辺で〜
なんせ こんな時間なんで みぃうの頭も異空間〜
トキノっち おやしゅみぃ〜ですっ(*ov.v)o..zzZZ
ああー!そういう煙草の話あったねー♪( ☆∀☆)
忘れ去られそうなものを再び世界に引き戻す…復刻の魔術師のようだ♪
そしてシンクロしたflagment。
「断片」というのも、やっぱり私の中でずっと根底にあるテーマで……あ、そう言えば、前のブログにあったカテゴリ《ステンドグラスのような断編集》、ここでも作ろう作ろうと思いながら、そのままになってた(汗)f(^_^;
『これもまた一つの断片…そして断編』
↑
この結びの台詞けっこう気に入ってたりするのよ(照)
で… 【ランプの緑が縁に変わってからの縦の|と横の一が交わるパラレルワールドの十円玉】。いやいや、これはお見事としかいいようがない!(〃ω〃) こじつけに見えて、その実、何かの奥義というか叡知を表しているように見える♪ …ああ、これは考えなかったなあ…( ☆∀☆)
ラベンダー畑は是非一度行ってみて♪やわらかくて優しい香りの息吹きに包まれているような感覚になるから♪(*´∇`*)
こりゃまたタイムリーな事に数日前、fragmentの意味を調べてたんすよV(☆o★)Vもう一つ調べていた言葉は・・おっと、それは最後にまわそう♪
TM様がちょっと目を離した隙にマイルドセブンの本数が20本になって(封は切られている)百円ライターの色が変化した・・っていう記事思い出した☆やっぱりパラレルワールドはあるんだと思う!!(^_-)-☆
真新しい展望鏡、純白のいでたち、新品の十円・・あちらの世界は経年劣化が存在しないのかもしれない☆全ての事象が新しく美しいまま・・☆だけど何かしら経年劣化に相当する出来事があるのだろう・・と思った☆
僕は言われた通り十円玉をコインボックスに入れた。ランプが緑に変わる。
ランプが縁(えん)に変わる。
ランプが赤に変わって元の世界に戻ってきたのは、赤の他人になったから・・だけどまたあの世界に行けるはず。円(縁)が切れてないから。横の一と縦の1が交わったパラレルワールドの十円・・
↑こじつけすぎ!!(//▽//)
ラベンダー畑の場面、高解像度のデジカメを初めて手にいれた時の5000倍位の感動なんだろうか・・(//▽//)一つ一つの粒子が明晰かつ、モネの点描のように光に溢れている様子を想像した・・♪♪人工の香りしか知らないから、いつか本物のラベンダー畑に行きたいな♪♪(゜レ゜)
いやぁ〜実にウェルメイドな物語でしたねっ♪♪(淀川さん)
ああ、桟橋がなくなってしまったとは残念(*_*)
思えば、もう何十年も前の作品ですからね〜…時代の流れを感じます…。
石段は健在で良かった♪
転がり落ちるのは…取り返しのつかない事になりそうなのでもちろん、自重(笑)
尾道、映画の中やテレビの旅番組で見ただけですけど…確かに道がいりくんでそう(/▽\)♪
『転校生』の石段はまだ有るハズですが……真似をして石段落ちやるのは大変危険ですので、絶対に真似をしないでください(笑)。←映画ヒット当時に実際やってみたファンの話を雑誌で読んだ事有るけど、むちゃくちゃ痛かったそうな……。←当たり前(-"-;)。
尾道は頑張って行こうと思えば車で行ける場所(むしろJR利用だと遠回りになる)だけど、
ガソリン代と、中心地の一通と入り組んだ道のコンボが厭……。
まさに、それです♪(笑)
大林宣彦監督の尾道三部作を観て以来、尾道が憧れの場所に(/▽\)♪ いつか、時をかける少女のロケ地に行ってみたい…
で、東京タワーの大展望台!幼い頃に行った事ありますけど、夢の世界みたいな雰囲気でした♪大人になってからはちょっと身近に感じるようになりましたけど、それでもやっぱりちょっと異世界の雰囲気を感じます( 〃▽〃)
いや、ラベンダーの香りって言ったら真っ先にコレかな、とorz。
十円玉が作用したのは、その時には異世界(平行世界)があちら側世界と触れ合ってたから? などと考えてみたりするアニメ版『レイアース』ファン……まあアレの舞台は百貨店屋上では無く東京タワー大展望台(?)だったような覚えがありますが。
香りと記憶って深いところで繋がっていますよね〜♪
そして、記憶は想いと繋がっている…(*´∇`*)
もしかしたら、物はそういったものを繋ぐ媒体なのかも知れません♪ 物はいずれ形を失ってしまうけれども、その先にも別の世界が…なんて(照)(//∇//)
おやすみなさいませ♪
なるほど♪試合はことごとく一回戦負けの上、練習もあまりしないので、監督は時間に余裕がたっぷりあると♪で、暇をもて余して百貨店に入り浸り(笑)ヾ(*T▽T*)
百貨店の生ジュース、美味しいですよねー!( 〃▽〃)
子供の頃、百貨店に行って飲むの楽しみにしてました♪
では、差し上げましょう♪(^o^)v
その内もしかしたら、白い服の男が突然現れて「やっぱり返してちょうだい♪」とか言うかも知れません(笑)
臭いと味覚、そうですよね。鼻をつまんで食事してもあまり美味しく感じないらしいですし♪(/▽\)
あの時と同じ
この世界は一つではない
10円玉には夢があり
10円玉には想い出がある
その思いの価値が10円で
その10円で夢を買う
お金では買えないかなぁ。。(^-^)
おやすみなさい
と甲子園球場に縁のない監督が言っていたとかいないとか
百貨店で飲む砕きまくった氷が入った生ジュースも大好きです
選り取りみどりの飴ちゃんも
匂いとゆーのはおどろき
嗅覚て味も表現するらしーよ
うちはわんこのにくきうでおねがいしまっす