最近大好きでよく読んでいる益田ミリさん。
今日読み終わったのは
この本。
エッセイ本なのだけど
「分かるな〜」が満載。
てか、
この「分かる」を理解できる人は感覚が一緒なのだと思う。
特に印象に残った部分を
抜粋してみます。
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ちらほらと咲きはじめた桜でも見ようかと、近所の遊歩道に出かけた。
風は少し冷たかったけれど、気持ちのいい午後である。
犬を連れている人、ウォーキングやジョギングをしている人、わたしと同じくのんびり散歩をしている人。
春の遊歩道は、人々の心を弾ませる陽気な空気に満ちていた。
しばらく行くと、遊歩道脇の小さな公園で、若いお母さんと4〜5歳の男の子がふたりでおままごとをしていた。
テーブルに小石を並べ、男の子がそれをお母さんの前にひとつずつ置いて行く。
「まぁ、おいしそう、いただきます。もぐもぐもぐ」
お母さんが小石を食べるふりをすると男の子は大喜びし、また小石をお母さんの前に置く。
するとお母さんは「まお、おいしそう、いただきます。もぐもぐもぐ」。
男の子はとても満足そうだった。
わたしはそんな彼らの姿を見て胸が苦しくなり、涙をこらえながら通り過ぎた。
小石のご飯で幸せな時間を過ごす子がいる。
なのに、本物のご飯をもらえずに死んでいく子もいる。
あの子もきっと同じ年頃なのだ。
ついこの前ニュースになった、ご飯をもらえず亡くなってしまった小さな男の子。
お水をください、と親にお願いしていたという。
お水をくださいと言ったとき、ちゃんとお水をもらえたのだろうか。
わたしはそのことでしばらく頭の中がいっぱいになっていた。
聞いたことないはずなのに、か細い男の子の声が離れなかったほど。
そんなお願いをするために、覚えた「言葉」だったのが悲しかった。
あの子が、これからの人生で使うために用意されていた、たくさんの言葉が失われたのが悲しかった。
その中には、「卒業しても会おうな」という友達への約束の言葉があったかもしれないし、
「好きです、付き合ってください」という愛の告白もあったかもしれない。
あの子が使うはずだったすべての言葉も、一緒に死んでしまった。
わたしは悲しい気持ちで遊歩道でとぼとぼと歩いた。
見上げればコンペイトウのように白い桜の花。
「きれいだな」とつぶやいてみる。
「きれい」が、きれいな響きをしていることに改めて気づくのである。
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このニュース、
私も記憶に残ってる。
こんなニュース毎日みたいに流れてるけど。
殺した親も子供にしてみれば唯一の親だからさ、なんか非難しても意味ない気がしてて。
「お水ください」
世の中にたくさんある優しい言葉や、うつくしい言葉は意味がないんだ。あの子には。
必要なのは
温かい食事と水分。
そして、安心して休める睡眠の時間。
それからだよね。
言葉は…。
自分たちの当たり前が
最低ラインで保てずに亡くなっていく子供がいる。
本当に悲しい事だな…。
自分の事で余裕がなくて
いっぱいいっぱいだったのが恥ずかしい。
もっと自分の幸せを感じなくては、と思ったのでした。
私は自分の子供を心から愛せるかな。
産んだことないから分からないけど…。
子供がこんな風に思ってたら嫌だから、大切にしないとって。
「当たり前」かもしれないけど、「当たり前」を意識していたい。
そんな風に思いました。