俺はただ、国兄に喜んで欲しかっただけなんだ……
運ばれて行く兄を呆然と眺めていた。
なにを、間違ったんだろう?
兄に連れられてここに来た、兄に望まれて男の奴隷になった。
全ては愛しい兄の為。
兄を支えるため。
壊れた兄を支えて、寄り添う、俺は国永さんのお嫁さんだから。
でも、これは国永さんが望んだ事じゃ、なかったの?
俺が、国永さんを追い詰めたの?
鶯も、黒兄も、ココも。
みんなが俺にダメって言ってた。
俺は何でか判らなかった。
夫を支えるのは妻の役目。
国兄はちか兄の妻だけど、俺の旦那様だから。
国兄を支えるのは俺の役目。
国兄のそばで快楽を与えて、悦んでくれたのに。
つる、いいこって、いっぱい褒めてくれたのに。
なのに、俺のした事は全部間違いだったの?
「あ…あ、くに、にぃ……」
ぎゅっとシーツにくるまって震える足が縺れ、べしゃりと床に叩きつけられる。
「鶴丸」
鶯がそっと支えてくれても、呆然と兄の姿を追うしが出来なかった。
自宅に戻された国兄にはノインという看護師が付き添い、面会は断れた。
国兄は、客室に運ばれてから熱に魘されている。
俺は独り、事務所の二階にある自室に引き篭もっていた。シーツを頭からかぶり、ベットから外を眺める。
雨が降っていた。
雨は嫌いだ、悲しい気持ちになるから。
家に帰って、鶯はいちに泣き付かれて、黒兄は軽度の催眠状態だったから影響が軽いらしく、国兄の様子を見に行っていた。
思えば黒兄が来た時、国兄は少し様子がおかしかった気がする。
よくよく考えたら、あの潔癖な兄が見ず知らずの男の性奴隷になり、犯されることに喜ぶなど絶対に有り得ないのだ。
おかしいと、思っていたはずだった。
怖くて、逃げようって言ったのに、国兄が大丈夫だよって、逃げないから、置いていくことが出来なかった。
いつしかご主人様と呼ぶのに慣れてしまったあの男に犯されて喜んでいた自分を嫌悪し、それが兄を追い詰めていたなんて。
「───っあ、は、はぁっ、あぐっ」
息ができない。
まるで息の仕方を忘れた様に。
喉に手を当てて必死に嗚咽を堪える。
涙が溢れ、身体が震え、悪寒が走る。
俺はなんてことをしてしまった…?
答えは出ない。
身体に刻まれた紋が狂わせたのだと言われてもピンと来ない。
いちや黒兄、ココに合わせる顔がない。
でも、1番顔を合わせられないのはちか兄だ。
様子がおかしいと感じた時点で相談するべきだった。
そうしたら国兄はこんなに酷くはならなかったかもしれない。
俺じゃ、国兄を助けられなかった。
この身も、心も、穢されてしまった。
国兄をずっと愛して、全部国兄だけの物だった。
ちか兄は特別だった……
ご主人様も、特別だった?
判らない、判らない。
「いや、いやだ。ごめんなさい…」
静かな部屋に、嗚咽の声だけが漏れる。
「おれは、せいどれい?ちがう、おれはくににぃのおよめさんで、ごしゅじんさまのどれいで、ちんぽがだいすきないんらんで、みるくが……
いやっ!ちがう、ちがう、もうおわった、それはちがう、ちがう、ちがうちがうちがうちがう、ア"ア"ア"ア"ア"!!」
狂ったように叫びながら、周りにあるものを薙ぎ倒していく。
大切だった物も、何もかもが壊れていって判らない。
「おれの、せいだ……」
ころんと足元に転がったカッターを拾い上げる。
「俺なんか、居なくなればいい
ぜんぶ、おれのせいだから、ごめんなさい、おれ、いなくなるから、ゆるしてください…」
カッターの刃を手首に当てて思いっきり引く。
痛みはあまり無い。
細い赤が白い肌に走り、内側から溢れるようにぷつぷつと赤い玉が溢れてくる。
「ははは、あかい、まっかだな…
これでつるらしくなったかな…」
暗い瞳で微笑んで、首筋にカッターを当てる。
「さよなら、国永さん……」
目を閉じて、一気に引いてしまおうとしたのに、手が震えた。
かたかたと震えてうまく死ねない。
怖くて、怖くて、国兄の居ない世界に行くのが嫌で。
閉じた瞳から涙が伝う。
こんな筈じゃなかった。
俺はただ、国兄に幸せになって欲しかった。
その為なら国兄が、ちか兄の物になっても、知らない男に体を開けと言われても、快楽に従順になれと言われても、親友すら捧げても構わなかったのに。
間違いだと思えなかった。
鶯が何度も止めてくれたのに、黒兄に助けを求めることが出来たのに。
それをやらなかったのは全て俺の意思で、兄と一緒に居たいなら、真っ先にしなくなればならないことだった。
『ごめんなさい、弟君。
君はこう言うのには滅法弱い体質みたい。
効果は抜けたけど痕が残ったわ』
身体に残されたのは己への罰だろうか。
こんな汚れた身体で、愛しい兄のそばに居る事は許されるのか?
俺は消えなきゃいけない、あとはちか兄が上手くしてくれる。
ちか兄なら国兄を幸せにしてくれる。
俺はもう国永さんの番でいられない。
ベットに体を投げ出して、目を閉じた。
もしかしたら目が覚めたら全部悪い夢で、国永さんが俺に笑いかけて、抱き締めてくれて、鶴は泣き虫だなって、そんな都合のいい事を考えながら意識を手放した。
寝ても覚めても、地獄は続いているというのに。
国永が倒れて早三日が経とうとしていた。
今は俺も落ち着きを取り戻している。
後は国永の回復を待つだけだが、自分は分野が違うのでリンドウの指示でノインが泊り込みで国永の面倒を見ている。
俺は朝と夜、国永が眠っているあいだ、ほんの少しの時間顔を見るだけ。
触れることも許されない。
そう考えると怒りが込み上げる。
なぜもっと早く対処しなかったのか。
眼を使えば国永に掛かった催眠を解き、今後一切催眠や精神操作を無効化するなど容易だった。
期待していたのだ、国永はきっと自分で催眠を解き、俺の元に戻ってくると。
国永の愛をおのれの都合のいいように過信していた。
国永も人間だ、完璧ではない。
心の弱い隙を狙われて、付け込まれて、傷口を抉られて滅茶苦茶に破壊された。
同じ事をあの男にしてやりたかった。
自分の力では到底叶わない圧倒的な力の前に屈し、プライドを引き裂き、同じ様に奴隷に仕立てて殺して下さいと自ら願うまで完膚なきまでに破壊し尽くして廃人にしてやりたかった。
それでもまだ足りない。
国永が、鶴丸が、鶯が、黒葉が、小狐が、吉光が受けた心の傷を思えばあの男は地獄の責め苦を全て受けてもまだ足りない。
だが、きっとあの場にいた全員がそんなことは望まないだろう。
それを望めば奴と同じになってしまう。
だから、あえてリンドウと手を組んだ。
それが間違いだったとは思わない。
自分には力が及ばない事もカバーしてもらえたことには素直に感謝している。
たが、時間がかかり過ぎた。
その間にも国永の精神は蝕まれ、沢山の男が国永を抱いた。
国永に非は無い、恨んでもいない。
むしろもっと早く助け出してやれなかったことに後悔しかない。
そうして悩んでいると遠慮がちにドアが叩かれた。
「宗近兄さん、お昼をお持ちしました。
執筆は順調ですか?」
吉光が疲れ切った笑顔を浮かべてサンドイッチを持ってきた。
愛しい妻の弟分と番なら俺にとっても大事な弟だと話せば、照れたように兄と呼んでくれるようになった。
吉光にも悪い事をした。
国永だけで済んでいた問題が鶯まで飛び火し、挙句最愛の弟夫婦まで巻き込むことになってしまった。
「ああ、順調だ。
吉光も少し休め、此度はお前も心を砕く想いだっただろう。
鶯も、もっと早く俺が動いていれば巻き込まずに済んだやもしれぬ」
「いえ、鶯は催眠下にも意識ははっきりとあったようでお二人程の被害は無かったと…鶯も心配していました。
特に…鶴丸先輩が…」
「お鶴か…」
鶴は自分の意識を保ったまま、催眠状態に陥り、あの男の甘言に耳を貸してしまった。
一途に兄を思う優しく無垢な心を汚い欲のために利用された。
「事務所の自室に引きこもったまま、食事も取らずにいるようなので心配で…
鶯が様子を見に行っても、拒絶されてしまって…」
「そうか、判った。鶴のことは俺に任せてくれ、
吉光も大変だろうが皆を支えてやってくれ」
「いえ、私は何も……」
「吉光だけでも無事で良かった。
皆に精の付くものを食べさせてやってくれ。
どんなときも腹は減るものだからな」
「そうですね…ならこれは宗近兄さんにお願いしてもいいですか?」
渡されたのは美味しそうなオムライス。
たしか鶴が好物だったなと思い当たり合点が言った。
「ああ、頼まれよう」
吉光と分かれ、鶴の探偵事務所の鍵を開ける。
こんなくらい場所だっただろうか?
以前はもっと光に満ちて暖かい場所だった。
「鶴、話がある。
開けてはもらえぬか?」
「ちかにぃ……?」
すぐに声がして中からカチャリと鍵が外されて鶴が顔を覗かせる。
天使のように愛らしく笑いかけてくれた筈の鶴は昏い闇を纏った瞳で怯えたように俺を見上げる。
頭からシーツを被り、ほんの少し鼻につく嫌な匂いを纏いながら。
「入っても良いか?」
「……うん」
久し振りにはいる鶴の部屋。
鶴をベットに座らせて、テーブルに食事を置く。
「吉光と鶯が心配していた、食事も取らないで引きこもっていると」
「……あじが、しないんだ……
それに、俺は、心配して貰えるような人間じゃない」
震える鶴を抱き締めて頭を撫でる。
「鶴、それは違う。
お前は何も悪くない、お前は被害者なのだ。
全て、あの男が悪い」
「でも、おれっ、おれ!」
「ああ、判っておる。
国永の為にお前はただ自分に出来ることをしただけ。
その認識が、すり替えられるように仕組まれただけ、お前も国永も、全てがアイツの都合のいい役を演じさせられただけだ」
「でも…」
「鶴、俺の目を見ろ…お前が望むなら、今までのことを『無かった』事にしてやろう」
「…え?無かった…?」
このままでは鶴は壊れてしまう。
少しだけ、眼を使い暗い感情をシャットアウトさせる。
この程度なら、本人が気が付くことも影響もないはずだ。
「同じと思われるのは癪だが、あの男がおまえ達にしたのは脳に直接指示を与える洗脳系の催眠だ。
記憶を抉り、差し替え、蓋をすることで国永の愛を自分に向けようとした。
だが奴は記憶を完全に消すことは出来ない、なかったことには出来ない。
出来るのは蓋をして見ないふりをさせるだけ。
心が感じる違和感を拭うことが出来ないから、催眠をどんどん上書きして国永の心を破壊し、記憶を植え付け偽りの愛に浸った。
そんなことしても国永の愛は手に入らぬと言うのにな」
鶴の瞳が不安そうに揺れ、見上げてくる。
「俺はな、奴より強く、危険な力を持っている。
洗脳ではない、支配だ。
俺の三日月の瞳はな、心に直接命令する。
死ねといえば死ぬ、記憶を消せといえば記憶を消して、その記憶は二度と戻らない。
惚れた人間を番にするように仕向けることも可能だ」
「!!?」
「案ずるな、国永にもお前にも眼は使っていない。
国永は自分の意思で俺を……
いや、こんな話の後で信じろというのは無理な話だな」
「…俺は、ちか兄を信じてるよ…
あの人には、違和感を感じた。
国兄があの人を愛してるって笑うの、幸せそうじゃなかった。
でもちか兄は違う、ちか兄はもっと大切な…優しい顔で笑ってた」
「ありがとう、お前がそう信じてくれるなら俺はお前達兄弟をあらゆる脅威から守ると誓おう」
鶴の方を抱き寄せ、頭を合わせて微笑む。
記憶の中で鶴が不安な時いつも国永がそうしていたから。
「ちか兄、ほんとに、ぜんぶ、なかったことになる?」
「ああ、お前が望むなら」
「それは、国兄も?」
「……不可能ではない。
だが、俺は国永の承諾をなしにそれをする気は無い。
俺の眼は魔眼だ、人を狂わせ、壊す魅了の魔眼。
だけどな、国永だけが俺の眼を好きだと言った。
だから俺はこれを国永には使わないと決めていた。
だが、もっと早くこれを使えば国永をここまで追い詰めることは無かった。
すまなかった」
「ちかにぃ……」
ぎゅっと鶴を抱き締めれば国永同様甘える様に小さく震える手で服を掴まれる。
「ちかにぃ、おれ、わすれたくない。
わるいこと、いっぱいした、まちがった。
だけど忘れたら、なんの解決にもならない」
洗脳されていた3カ月間を思い出して震える鶴。
好きでもない男に幾度も身体を許した。
兄のためだったはずの行為はいつしか兄を追い詰めた。
「ちかにぃ、おれ、国兄のために、出来ることある?
洗脳されないようにとか、できる?」
「ああ、できるぞ」
「なら、して?次はおれ、ちゃんと守るから、国兄が喜ぶこと、間違わない。
国兄に、間違ってるってちゃんと言う」
「よしよし。いい子だな。
俺の眼をじっと見ろ」
鶴の昏い眼を見つめ返し、小さな声でつぶやく。
「鶴、お前は剣。
大切なものを守る強き剣。
お前の心を誰も穢す事は出来ない。
その魂は高潔なままだ」
鶴の瞳がぐらりと揺れると、そのまま倒れ込んできた。
「鶴、大丈夫か?
お前の身体の構成を少し書き換えた。
人が施す程度の催眠や洗脳はお前には効かない。
そしてこれは俺からの贈り物だ」
そう言ってから、右目の瞼にキスをする。
「ん、あ、あつい、ちか兄、め、あつ…」
「お前には俺の力の一部を付与した。
たった一度きりだが、相手を意のままにできる。
死ねといえば死ぬ、引けと言えば引く。
二度と会うなといえば生涯二度と会うことは無い。
よいか、使い所と使い方を間違えるな、お前なら心配ないと思うがな」
「じゃあ、これで国兄を守れる?
国兄を洗脳から解くことも?」
「可能には可能だ。
だが今の国永の状態を眼で弄るのはやめておけ、あれは根が深すぎてお前では対処しきれん。
国永自身には、ああならないよう対策は施す。
国永に納得してもらった上でな?
だからそれはお前が無事に生き残るための切り札として持っていてくれ。
ああ、それといつぞや雪山で見た化け物。
ああいった類には効かぬからな、気を付けるのだぞ?
それが聞くのはあくまで『人間』だけだからな」
「ん、くににぃ、守るために、つかう。
生き残るために」
「いい子だ、よし、なら昼飯だ。
吉光がお前のために好物を作ってくれたぞ
?
お前が元気にならぬと国永が起きた時心配するだろう?」
「国兄が、しんぱい……たべる
国兄に、しんぱいかけたくない」
「よしよし、いい子だ。
手の傷は後でちゃんと黒葉に見てもらうんだぞ?
そしてもうしないと約束してくれ。
でないと俺が国永に叱られてしまう」
「うん、ごめんなさい…
もう二度としない、絶対しない、ごめんなさい、ごめんなさいちか兄」
「お前が謝ることは何一つない。
お前は被害者、全てはあの男が悪いのだからな。
だが、お前が最近ここに引きこもるから俺はあのベットに一人で寝てとても寂しかった。
良ければ今夜からはまた一緒に寝てくれぬか?」
鶴はオムライスを頬張りながら花が咲き誇った様に笑った。
「よっ、その後調子はどうだ?」
尋問を終えた秋風楓はギロりとリンドウを睨み付けた。
「まだそんな気力が残ってたか。
まぁお前もツイてないというか、命知らずだよな。
よりによって三条宗近の番に手を出して惚れるなんざ…
まぁ。別に奴じゃなくてもお前の行いは許されたものじゃない。
お前さんがもしも改心する機会が欲しいと言うなら、情報と引き換えに命だけは保証してやる」
「ッ、だ、れが、てめぇら、なんかに!
国永は俺様のモンだ!返せ!返しやがれ!
国永、国永ッ、国永国永国永国永国永くにながくにながくにながくにながッ!!」
「そうか、そりゃ残念。
リエル、入ってこい。飯の時間だ」
重圧な戸を開けて入ってきたのはやけに細身に小柄な黒髪の少年だった。
大きな菫色の瞳、その瞳に魅入られる。
ゾクりと肌が粟立つ。
この少年を見てはいけない、認識してはいけない、気が付いてならない。
頭がガンガンと警鐘がうるさいほどに頭に鳴り響く。
「ごはん?」
「ああ、だが食いすぎるなよ?
こいつからは引き出したい情報がある」
「………半分ならいい?」
首を傾げてリンドウを見上げる少年はゆらりと笑った。
「そうだな、まずは3分の1」
そう言われて、リエルはゆっくり楓に近付く。
歯奥が震えるほどの恐怖など初めて知った、本能が逃げろと告げている。
この少年は人間ではない、と。
「ふんぐるい、ふんぐるい、いあ、ぐらーき」
かろうじて聞き取れた言葉に背筋が凍る。
そして辺りが真っ暗になり、国永が立っていた。
蔑むような目でこちらを睨み、その身体からは無数の棘が生えていて、妖艶に笑う。
「なぁ、お前のせいで俺はこんな姿になっちまったんだぜ?
責任取ってくれるよな?愛してくれるんだろ?旦那様?」
瞳孔を開き、首を傾げて歩み寄る国永から逃れようと必死にもがく。
「く、来るな!お前は国永じゃない、俺の国永じゃない!」
「そうか、宗近なら、どんな俺でも愛してくれるのに…
君は俺の体しか愛してくれないんだな、残念だ、お前はもう要らない」
国永はその美しい顔を恐ろしい程歪めて高笑いをした。
「やっぱりお前は宗近に及ばない!
お前程度じゃ気持ちよくなれない!
宗近、宗近宗近、あぁ宗近!
俺の愛しい旦那様!」
その声はもはや国永の声ではなかった。
あちこちから反響する何百という声。
自分が狂わせて来た人達の声が、目の前の自分が最も欲した男から溢れ出る。
その中には鶴丸や鶯、黒葉に小狐の声もあった。
その全てが自分に恨み言を投げかけ、呪詛を吐く。
お前は三条宗近の足元にすら及ばない
と。
やがて国永の姿をしたそれはぐにゃりと歪み、見るもおぞましい姿に変わっていく。
「ひっ、た、すけ……」
辛うじて出した声に耳元から声がした。
「俺がそう言って、君はやめてくれたかい?」
憎々しげに囁かれたそれと、無数の棘が楓の体を貫くのは同時だった。
目の前で急に楓が激しく痙攣し、失禁しながら口から唾液をこぼすのを宗近は眺めていた。
「俺の魔眼と似ているが…
もっとおぞましいもののようだな」
「ああ、『人間』には、使えないだろう。
お察しの通りこいつは人間じゃない。
母親がこいつを妊娠中にとある団体に拉致され、ある神に捧げられて従者になり、リエルを産んだ。 こいつは産まれながらに従者としての力を持った半端者だ」
「…人の命を弄ぶなど…」
目の前の少年は首を傾げて宗近を見る。
愛しい義弟に良く似ているが、表情はない。
「まぁ、今はこういった輩から情報を引き出す為に協力して貰ってる。
こいつの見せる『夢』はどんな拷問よりも効果がある」
「成程、対象の最も恐るものを引き出す為『夢』か…」
「リエル、お疲れさん。
この後あいつと出掛けるんだろ?
ほら、書類にサインしておいたからもう行っていいぞ
まだ日が出てるからコート忘れるなよ!」
「はぁい、ありがと、隊長」
リエルはリンドウから紙を受け取ると初めて嬉しそうに微笑み、ぎゅっと紙を胸に抱いて出ていった。
「アイツには強い力が宿っていてな、陽の光は弱点なんだ。
アイツは警察関連の研究所の地下で飼い主と暮らしてるんだ。
まぁ、そういう事で秋風楓の知ってる情報を吐かせたあとリエルに食わせる。
あれは人から溢れる恐怖を食う生き物だ。
二度と陽の目はみれはしない。
組織にそういう奴らが集められた精神病院があってな、そこに収容される」
「そうか、本当は八つ裂きにしてやりたいが…
鶴…義弟がな、優しい子でこんな奴の命でも失われたら気にするからな。
そうすれば国永も気に病む。
納得は行かぬが、二度と国永に近付けないように徹底的にやってくれ。
それで妥協してやろう」
「それは心配ない、こいつはもう廃人だ。
それに、国永を恐る様にリエルに細工させた。
自分から、命の恐怖に立ち向かう勇気があるやつじゃないさ」
「そうか、なら俺は失礼する。
今日は義弟と約束しているからな」
宗近はもはや楓を見向きもせずに部屋を出た。
「ちか兄?もうお話終わったのか?」
白いロングトッパーのフードで顔を隠す鶴は宗近を見つけて駆け寄ってきた。
「ああ、あの男は精神病院に移されるそうだ、もうお前達の顔すら覚えておらぬよ」
心配そうな鶴の頭を撫でる。
「ちか兄、眼…」
「俺は何もしていない。
言っただろ?俺では殺してしまうと」
「ん、悪い奴でも、殺しちゃったらあいつと同じくなる。
それに、ちか兄にそんな酷いことして欲しくない」
本当にどこまでも真っ直ぐで無垢な子だ。
宗近も国永も、この子を守る為ならそんな事塵とも思わないのに。
「ああ、約束する。
さて、用事はすんだから昼飯でも食いに行こう」
「うん!」
愛しい義弟と麗らかな午後の日差しを浴びながら、手を繋いで歩いていく。
最愛の妻が目覚めた時に、不安にならない様に硬く繋いで。