「さて、俺が今君と話している目的は分かるかい?」
そう口を開いたのは、真っ白な男だった。
黒鶴と似た顔の、けれど真逆の色合いを持つ男。
椿国永。
今は結婚をして、小烏国永と名を改めている。
長く色の抜けた睫に縁取られ、思慮深く顔を覗き込んでくるのは紅い色の瞳。
アルビノだと、彼は言っていた。
先天的に弱い者とされた彼と、後天的に弱くあった黒鶴はよく似ている。
「カウンセリング、だっけか?鶴丸の紹介だろう」
「そう、カウンセリングだ。とは言っても俺は心療医ではないから、真似事だな」
「鶴丸は腕が良いって言ってたぜ」
黒鶴が変な事件に巻き込まれたと知った従兄弟が、どうしてもと紹介をしてきた。
以前、精神的な患いから熱を出した事を気にしていたらしい。
心理学者を生業としている彼にならば、気軽に話せるのではないかという事だった。
「けどなぁ……話しをするとは言っても、特に思い当たる事は無いんだが」
「急に言われたらそうなるだろうなぁ……俺としても問題はないと思ってる。まあ単なる雑談だと思ってくれ」
くすくすと笑みを浮かべる白い人の雰囲気は甘く、和やかなものだ。
柔らかく笑う表情も、話し方も、優しく包み込んでくれるような雰囲気を覚える。
まるで白月のような人だな、と親近感を覚えた。
鶴丸が好むのも分かるかも知れない。
「雑談かぁ、そうは言っても……鶴丸から聞いてるとは思うが、俺は人嫌いでね。面白い話しが出来るとは思わないんだが」
少しだけ遠慮がちに黒鶴が口にする内容を、国永は苦笑しながら聞いている。
今回黒鶴は知らない事だが、鶴丸から国永に頼まれた内容にはカウンセリング以外にも目的があった。
何の気なしに鶴丸が聞いてしまった内容、親しい人間との扱き合いという観点から貞操感を危惧してのものだった。
国永にとっては耳が痛いことに、女が抱けないという欠点を持つ彼は男に抱かれる事に何の嫌悪感も持たなかった時期がある。
番を持った今では彼以外に考えられない事ではあるのだが、ようは弟のように思っている黒鶴がそんな趣向の持ち主だったら。
考えすぎだと思ったのだが、うっかり探偵業に身が入らないなんて事になっては身も蓋もない。
そういった紆余曲折を経て、結果は伝えないまでも探りを入れ、もし可能なら矯正をするという話しが成されていた。
考えすぎだとは思うが、快楽に流されやすい可能性は捨てきれない。
「お互いに見知らぬ仲だから、踏み込んだ話しが難しいのは承知の上さ」
「……いや、俺は君の事を聞いている。椿というのはあれだろう?九尾の従兄弟殿だ」
「九尾……ああ、彼女か。実際に会ったことは片手に足りる程度、むしろ妹……の方と縁があってな」
ややこしい内容だが、黒鶴の喫茶店は本名、椿久弥という女性の画廊を元にしている。
そしてその女性は椿国永と血の繋がった従兄弟であり、椿緋翠という書類上の妹が居た。
意外なところで繋がっている事を、世間は狭いというのだろう。
「九尾の方は君たちの事を知っていて、たまに話しを聞いていたんだ。あと、鶴丸が兄と呼んで懐いてたのも片方は君だろう?」
「うん?そうなのか……ああ、今では母さんって呼ばれているけどな」
「母さん、か……。確かに、女性的というか……物腰の柔らかさがそれっぽいのかもな?」
「そういう君は、幼馴染みに母親が居ると聞いたぜ?」
「ああ、うん。長義と南泉な。実の親より口やかましくて参るぜ」
ははっ、と朗らかに笑う様はむしろ好ましいもので。
そういう意味では黒鶴の手綱は二人がきちんと握っているように見られた。
逆に言うならそんな二人と事に及ぶとは思えないのだが、そこは本人の心情次第。
鶴丸の話を聞く限りでは感情対応型、とくに頭で深く考えるより行動する方が早いタイプ。
「はは、それだけ君が信頼してるって事じゃ無いか。しかし、人嫌いと言った割に案外普通だな」
「そうなのか?まあ、君は話しやすい方だから」
きょとん、と目を瞬かせて首を傾げる動作は幼く、ふにゃりと力の抜けた笑みはあどけない。
なるほど、確かに鶴丸のような人間には捨て置けない人種だろうと頷く。
そして危惧していた人嫌いという宣言も、率先して自分から関わろうとしないからだと結論づけた。
病弱だから、人との関わりが下手だからと変に鬱屈したところも見せず、むしろ真っ直ぐに目を向けてくる様は前向き。
「それで、何だったか。最近の事件とやらを話せば良いのかい?」
「うーん……そうだな、どう思ったかを聞いておこうか」
「どう、か。難しいな……猫屋敷は驚いたけれど、面白かったぜ?」
「面白い?例えば?」
一瞬だけ言いよどんだ黒鶴が足を組み換えるのを見、国永も同じように足を組み換えて微笑んで見せた。
相手と似たような動作で警戒心を解くという、心理学で初歩的な動きの一つだ。
何気ない動きから感情を、考えを読み解いていくのはパズルのようで面白い。
「猫と話しが出来るとは思わなかったんだ。意外とイタズラ好きな子が多くて、人との違いが面白かった。まあイタズラの内容は応相談って感じだけどな」
「ふむ、それは意外な共通点だなぁ。しかし猫と話しか、色んな話しが聞けるだろうな?」
くすくすと互いに笑いを含みながら口にした内容に、けれど本当に猫と会話をしたとは国永は気付かない。
黒鶴も通じてないのを理解した上で会話を続けていく。
怪我をしたが、それはむしろ自分がヘマをしたからで何かを恨んだりはしていない事。
血糊や人の作り物には驚いたが、幼馴染み達が居たから混乱はしなかった事。
他にも猫耳が生える事件があった事などを話しても、国永は驚きはすれど否定はしなかった。
むしろ経験の差で言えば自分の方がよほど変な事件に巻き込まれて居ると言える。
「なかなか面白い経験だったと思うんだ!ふわふわの毛がそのまま頭と尻について、ピクピク動いて可愛かったぜ」
「その話を聞く限り、俺達もきっとそうだったんだろうなぁ……。理性、いや知性か。知性がある状態で理解出来れば良い経験だな」
「ああ、触られる場所がどこも気持ち良くて、もっと触って欲しいと思うのは初めてだった」
「……気持ち良い?」
「何て言うのかな、背筋に甘い痺れが走って……体温が心地良いんだ。安心出来て、嬉しいって思った」
「それはー……今も、そう思う事はあるかい?」
これは少し、危ういのではないかと国永は口を開いた。
うっとりと夢を見るような目は緩み、口端が上がって頬も上気している。
似ている表情を国永は知っていて、けれどそれと同種のものかは判断が難しい。
恋に恋する夢見がちな女性がしたり、或いは賭博で勝った者が浮かべるそれ。
つまり、脳内麻薬で一時的にハイになっている状況だ。
勿論それだけで悪いという事は無く、日常どんな場面でも様々な人が感じる事はあるだろう。
「いや、今はないな。けれど……前ほど、触れ合いに戸惑う事は無くなったかも」
「触れ合いに戸惑い?」
人懐っこそうな人物からの意外な言葉に、首を傾げてみせた。
幼い類いの表情が多い黒鶴には珍しく、その言葉に悲しみと怯えを含んで苦く笑う。
何かを後悔するようなそれは、酷く大人びて見えた。
「国永さんはさ……どうして結婚したんだい?」
「ん……まあ、愛してるから、かな……一緒に生きたいと思ったから」
「俺、それが分からない」
それ、と言われて悲しそうな顔をする黒鶴に、少し前の自分が重なって見える。
気持ちを押し付けるものを愛とは信じない、そんなものはいらないと忌避していた自分。
そう思うだけの今までがあり、理由があった。
今はむしろ自分を支えてくれる、許容して安心させてくれるものが愛なのではないかと思うようになり。
まるで迷子のように心許ない顔をする黒鶴が、悲しく見えた。
「親が与えてくれる安心は?友人を支えたいと、力になりたいと思った事は?誰かの特別に、一番になりたいと思った事は?」
「うん、それは分かる。けど、俺にとっての最上は大好きって事までだ。特別っていうなら、一人一人特別で同じはないだろう?一番だって、比べようが無い」
「まあ、そうだな……」
「幼馴染みを皆違うように大好きだ。恋愛とか、よく分からない。……国永さんが知りたいの、そういう事だろう?」
真っ直ぐに射貫く目線に、国永は唐突に理解した。
目の前に居るのは恐ろしく純粋に、無垢に育った子供なのだと。
「参ったな。……いつから分かってたんだい?」
「何となく。いや、鶴丸からの紹介って言われなければ気付かなかったかもな。警戒、してたろう?」
「まるで動物だな、君は」
「そもそもがおかしいんだよ、変な事件の話しだってそれのかこつけだろう?」
よもやそこから疑っていたとは、驚くと同時にそれに警戒してるのも事実なんだけどと苦笑が漏れ出る。
こちらの意図する事、陽動の内容は把握出来てもやはりそこまで。
否、それ以上の考えには及ばないところがやはり幼いのだろう。
「俺自身が話しを聞いてみたかったのも本当だけどな。しかし、君は随分愛らしいな」
雛鳥が成長すれば、どのような姿で空を舞うのか。
それを見て見たいと思う国永だった。