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二人で創作・版権小説を書き綴ってます。
真っ暗な闇。
辺りに広がる闇、闇、闇。
「おかあさま…おとうさま…レイシー…どこ?」
幼い少年は暗闇の中を一人歩き続ける。
ぎゅっと抱きしめた黒猫のぬいぐるみに顔をうずめながら歩いていくと、急に辺りが真っ赤になる。
「あ…あ!」
ごうごうと音を立てて燃え盛る炎。
人の焼ける匂いと、苦しげな声。
「あつい…くるしい…たすけて」
「どうしてたすけてくれないの」
「おまえがころした」
あちこちから聞こえる怨嗟の声に少年は泣きながら必死に走った。
「おとうさま!おかあさま!!レイシー!!」
必死に呼ぶのは信頼できる親と世話係の名前。
燃える屋敷を駆け回って、べしゃりと転ぶと目の前に焼けただれた誰かだったものが横たわっていた。
「ひっ!」
黒く燃えた体から眼球がどろっと零れ落ちて少年の前に転がってくる。
「い、いやぁぁぁぁぁ!!!」
少年の心はとうとう限界を迎えてその場にうずくまって泣き出してしまった。
両親も、世話役も、使用人も全員が燃える屋敷で怨嗟の声を上げながら死んでいった。
「おまえがころしたんんだよ」
目の前に自分と同じ少年が狂ったように笑っていた。
ただ一つ違うところは、青いはずの瞳が真っ赤に染まっていた事。
「イリア…どういうこと?」
「レイリが殺した。
お前のせいでみんなが死んだ、お父様もお母様も使用人も全員死んだ!
全部全部お前のせいだ!お前なんかが生まれたせいだ!!」
イリアの高笑いと共にレイリが悲鳴を上げる。
狂ったように、喉が枯れるまで叫び続ける。
「ぁ―――ッ、ぐ、ひぁ、ああ!!」
レイリは怯える様にベットから転がり落ちた。
そして冷たいフローリングだと気づいてハッとしてあたりを見る。
「うるせぇ!静かにしろクソガキ!」
いきなり扉が開いて見知らぬ神父が怒鳴り込んできた。
レイリは恐怖でガクガクと震えたまま、頭から布団をかぶって入ってきた神父を見上げる。
「ひっ!」
「チッ…めんどくせぇな…」
その神父がそっとレイリの前に屈むと、怯えるレイリを抱き上げて背中をぽんぽんと撫でて落ち着かせる。
「ひっく、う、うぇぇっ…」
泣きじゃくるレイリを、何時間も、根気強く落ち着かせて、ようやく泣きつかれて眠ったレイリをベットに戻そうとして、また大きなため息を吐いた。
「クソ。面倒ごとばかり押し付けやがって…」
目元が真っ赤になるまで泣きじゃくり、糸が切れた人形の様にぱたりと動かなくなったレイリ。
まだ9歳になったばかりだと言う小さな体には包帯があちこち巻かれているが、おそらくすぐに外せるだろうことは知っていた。
再生の女神、シャリテ。
その失われた女神の魂をレイリは宿している。
それが判るのはノエルが初代騎兵隊長レイア・クラインの子を授かりし聖女アナスタシアの直系の子孫だから「視える」のだ。
この小さな子供がこの先背負うであろう過酷な運命もすべて。
逃れられない宿命は決して悪い事だけではない。
ノエルの腕の中で気を失ったまま、ぐったりと意識を落とすレイリの小さな体をベットに寝かせた。
レイリを引き取ってからここ連日ずっと夜になると悲鳴を上げて泣き叫び、訳の分からない事を言っては狂ったように頭をかきむしる。
面倒なことが嫌いなノエルにしては珍しく文句を言いながらもレイリの面倒を見ている。
夜は火事の記憶を夢に見るのか、取り乱すレイリを落ち着かせるために自室にレイリを連れていき、自室で行えない仕事以外はレイリを目の届く範囲において夜も一緒に寝ている。
暖かなぬくもりにレイリも安心して眠れるようになってからはノエルが居ないと寂しそうにしていることが多くなった反面、家族を失ったばかりということもあってノエルに強く依存してしまった。
それでも昼間は光を宿さない瞳でぼんやりと外を眺めたり鏡に向かって何かを話しかけたりしている。
唯一屋敷を逃げ延びた時に持っていた黒猫のぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま。
「ぼくがうまれたから…しんだ。
ぼくがしんだら、みんなかえってくる?ねぇ、イリア…」
『しらない。死んだら返ってこない。
死は終わり、終わったらリセットなんてできない』
「どうしてぼくはいきてるの…?
どうしていっしょにおわっちゃだめだったの?」
『女神の魂をもっているから。
お前の器はお前のものじゃない。
女神のものだから、お前は死ねない。
運命がお前を生かそうとする、理がお前を生かそうとする』
「…しにたい、しなせて…
おかあさまと、おとうさまと…レイシーと、みんなのところに」
『行けない。お前はたとえ死んでも魂ごと保護される。
いつか、女神が求めるあの人に出会うまでは…』
「イリア、たすけて。おとうさまとおかあさまにあいたい……」
『誰もお前を許さないよ、お前がみんなを殺したんだから』
「………そっか」
レイリは今日も鏡の中の赤い瞳をする自分と会話をする。
誰にも心を開かず、どこか遠くで光を映さない瞳のまま一日ぼんやりしている。
シスター達もどう対応していいか判らず、ノエルの部屋でおとなしくしているうちはそっとしておくようになった。
レイリは今日もノエルの部屋の窓辺に置かれた椅子にちょこんと座ったままぬいぐるみを抱きしめて虚ろに外を眺めている。
最近は多忙なノエルが不在でも昼間は部屋でおとなしく過ごしているレイリだが、焼けるような夕暮れ時は火事の情景を思い起こさせるのか、ひどく取り乱す。
なので夕暮れになる前にローゼスがレイリの部屋を訪れて、分厚いカーテンを引いて夕暮れの光を遮り、昏くなった部屋でレイリの小さな体を抱きしめる。
ローゼスは虚ろなレイリの頭を撫でながら、優しく声をかけて落ち着かせるように語り掛けるが、腕の中のレイリは過呼吸を起こして苦し気に喘いでいる。
「レイリ、大丈夫だからしっかりして」
何度でも同じことを優しくゆっくり語り聞かせ、背中を撫でれば次第にレイリの呼吸も落ち着いてくる。
顔中を涙と涎でぐちゃぐちゃにしながら、ビクビクと体を痙攣させつつ、大人しくなるまで待つ。
「大丈夫よ、レイリには私もノエルもついているからね」
「っつ、あ、ぐぅ…」
「ほら、可愛い顔が台無しよ?」
レイリのぐちゃぐちゃの顔をハンカチで拭いて、綺麗にしてやれば小さな手が縋る様にぎゅっとローゼスの服を掴んできた。
荒い息を繰り返しながらも、それがゆっくり穏やかになるのを確認するとレイリの小さな体をベットにそっと横たえた。
そして小さな手をぎゅっと握る。
「大丈夫よ、大丈夫だからね。
私がそばに居るからね」
よしよしと頭を撫でながらレイリが落ち着くまで手をきつく握って声をかけ続ける。
恐怖で訳も分からず泣きじゃくるレイリが疲れ果てて気絶する様に意識を落とす。
最近は常にこんな感じだった。
電池の切れた人形の様に眠りに落ちたレイリがぐっすり眠っているのを確認すると、レイリ用の夕食を取りに部屋を後にする。
暖かな食事をなるべく用意してあげたいが、火や肉を見るのはレイリが火事や亡くなった使用人の焼死体を思い出させるのか、ひどく取り乱して怯えてしまう為、あらかじめ調理した卵やパン、スープなどの簡単な食事にしている。
まだ一人で食事をできるほど体力も精神が回復していないため、食事の世話は顔見知りで安心できるローゼスが一任されている。
ノエルが戻ってくるまでの間、そうしてレイリは生かされていた。
「レイリ、ご飯食べれる?」
部屋に戻って来てから優しい声でレイリを起こす。
光を失った深い深海の様な青い瞳がゆっくりと目をあけて虚ろにローゼスを捕らえた。
「……」
「ご飯持ってきたよ。
少しでいいから一緒に食べよう?」
何の意思もなく、レイリがローゼスを見上げると小さな口を少し開いた。
「あら、甘えん坊さんね」
ローゼスはにこりと微笑んでレイリのベットに腰を掛けてパンを小さく切って口元に運んでやると、ぱくっと小さなパンの欠片を口に含んだかと思うと暫くぼんやりした後にゆっくりともごもご口を動かした。
「大丈夫?まだ食べれそう?」
レイリは無表情のまま口を開ける。
次にスクランブルエッグをスプーンに乗せて口に運んでやる。
二、三口食べるとレイリは首を振ってローゼスの服にぎゅっとしがみついた。
「もういらない?」
「……ん」
レイリは頭を擦り付けながら小さな声でつぶやいた。
「せんせぇはいつかえってくるの…」
「ノエル?そうねぇ…そろそろ仕事が終わる頃だとは思うけど…。
アイツも色々と忙しい奴だからねぇ。
ふふ、レイリはノエルの側の方が安心できるみたいね」
にっこりと微笑んでローゼスがレイリの頭を撫でる。
「……ローゼス…いっちゃうの?
ごめんなさい、おいてかないで」
ぎゅっとしがみついて泣きながら声を押し殺す様に震えている。
「大丈夫、何処にもいかないよ。
レイリを一人にしたりしないから、泣かないで?
ノエルが帰ってくるまで一緒に居てあげるから」
泣きじゃくるレイリの涙を手で拭ってあげると、一瞬安堵した表情を見せた
レイリがもう少し幼い頃、父親の名代としてクライン家に訪れて小さかったレイリを抱きしめた事があった。
何処までも広がる広い海の様な碧い瞳。
ふっくらと桃色の頬に艶やかな薔薇の様な唇。
叔父が天使だと溺愛するのも納得できるほど愛らしい子供だった。
小さなレイリは好奇心旺盛で見たことのない物にすぐに興味を示して両親を困らせていた。
そんなレイリを知っているからこそ、ローゼスは今のレイリがどれほどの恐怖と苦痛を味わっているのか理解できる。
「本当に何があったの…」
考えれば考えるほどに不可解極まりない事だった。
クライン家は没落してきているはいえ、あのレイアの直系。
その血筋というだけで利用価値はいくらでもある。
クライン家を皆殺しにして幼いレイリだけを残す意味がどうしてもわからなかった。
ただ単に殺し損ねたとは思えない。
使用人全員が皆殺しにされているのだから、嫡男であるレイリを見逃す理由がない。
大人すら残忍に殺して証拠もすべて燃やし尽くした知能犯なら、幼いレイリなど息を吐く間に殺せただろう。
レイリに利用価値を見出して、新たな英雄に祀るならそのまま誘拐されていただろう。
クラインの血筋が邪魔だというのならレイリ諸共殺されていたはずだ。
その状況はまるで、幼いレイリが屋敷の人間を殺し火を放った様だ。
レイリは幼すぎてその身に起きたことを何一つ理解できていない。
命を狙われていないと言い切ることはできない。
どうしたらこの小さな命を守れるのか考え抜いた結果、ノエルに任せるのが一番安全だった。
「クソガキはもう寝たのか?」
思考の途中に不意に扉が開いた。
不機嫌そうに書類の束を抱えたノエルはどさりとそれを机に置いて処理をし始める。
ベットではレイリが小さく息をしながらぬいぐるみをぎゅっと抱きしめながら涙を零して眠っている。
「…ええ、泣きつかれて寝ちゃったみたい」
「それは静かでいい」
ローゼスがレイリをベットに横たえて布団をかぶせると、ノエルは何も言わずに書類を片付けていく。
「じゃあ、レイリをお願いね」
振り返りも、返事もしないがこうして面倒くさがりな彼が手のかかるレイリの世話をしているのだからそんな必要はない事は知っていた。
ローゼスが部屋を出ても、ひたすら書類の整理に没頭する。
夜、突然目を覚まして泣きわめくこの幼い子供のそばに居るために。
「これは、クライン伯爵。
そちらの可愛らしいお子さんは噂のご子息で?」
パーティで親しくしている貴族に話しかけられたゲオルグが優しく笑う。
「ええ、レイリといいます。
親バカながら天使の様に愛らしい子なので、こうして連れ歩いてしまって」
「奥方も大変お美しい方ですし、いやーうらやましい!
うちの愚息もこれくらい可愛ければいいんですが」
歓談の内容は幼いレイリには何を言っているのかまだ判らなかった。
ただ、楽しそうに笑う父親の腕に抱かれ、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめたまま恥ずかしそうに笑うだけだった。
幼い頃の記憶はあまりない。
でも、皆が可愛がってくれて愛されていたと思うし、そんな皆がレイリは大好きだった。
レイリの幼少期は活発な少年だった。
小さな子供用のシャベルを持ったまま庭中を駆け回ってはあちこちに穴を掘って遊んでいた。
白い服はすぐに汚してしまうので、母親も世話係も少し困った顔をしつつもレイリの成長を喜んでいた。
「おかあさま、おかあさま!みてみて、おはなさん!」
庭の隅に生えていたたんぽぽを嬉しそうに母親に差し出すと、木陰で本を読んでいた母親がにこりと笑ってレイリの頭を撫でてくれた。
「あら、可愛いお花ね。お母様にくれるの?ありがとう、レイリ」
「あとね、れいしーにもあげるの!
おとうさまがかえってきたら、おとうさまにも!」
楽しそうに沢山摘んできたたんぽぽを並べて、誰にあげるか説明する愛息子を膝にだいて、遮ることなく聞いていく。
レイリを産んでからというもの、母親は病弱になってしまった。
まるでレイリにすべてを分け与えて、残りかすしか残っていない様に。
それでも、レイリが元気に笑っている姿を見るだけで満足だったし、一緒に遊んであげられない事を申し訳なく思いながらも世話係がレイリの為にたくさんの遊びを教えてくれているのでとても感謝していた。
「坊ちゃん、こちらにいらっしゃいましたか。
そろそろ風が冷たくなる頃ですので中でおやつにしましょうね。
あら、奥様もご一緒でしたか」
世話係がおやつの用意を終えてレイリを呼びに来ると、親子仲睦まじくお花で遊んでいたので、つい微笑みがこぼれてしまう。
「ふふ、レイリがお花をくれたのでつい話し込んでしまったの。
私は少し体調がすぐれないのでお部屋に戻るわね。
レイリを頼みます、レイシー」
部屋に戻るというとレイリが寂しそうに母親のドレスの裾を掴む。
困ったように笑いながら、母親がレイリをぎゅっと抱きしめた。
「ごめんなさいね、レイリ。
貴方に寂しい思いをさせてしまって。
でも母はいつでもあなたと一緒に居ますよ」
「坊ちゃん、私も御側に居ますから。
ほら、今日は坊ちゃんが大好きなパンケーキですよ。
ハチミツと生クリーム一杯乗せて、今日は特別にアイスも載せましょうね!」
「あいす!」
幼い子供らしく、おやつにアイスが載ると言えば目を輝かせてレイシーに抱っこをせがむ。
これがレイリが覚えている一番古く幸せな記憶。
「レイリ」
誰もいないはずの自室でぬいぐるみと遊んでいると不意に誰かの声が聞こえた。
声からして同じくらいの年頃の子供だろうが、この屋敷にレイリ以外の子供は居ない。
「だれ…?」
ぎゅっとぬいぐるみを抱きしめて声の主を探す。
部屋の中から聞こえてくるものの、どれほど見回しても部屋には自分一人しかいない。
怖くなったレイリは泣き出しそうになりながら部屋をくまなく探し回る。
「こっち、こっちだレイリ。おいで…」
不思議な声に引き寄せられるままに部屋の奥にある大きな姿見に近寄った。
声はどうやらここから聞こえてくるようだった。
「だぁれ?」
姿見に映る自分はいつもと何も変わらない。
たった一つ違うのは、鏡の中の自分の瞳が真っ赤に染まっているという事だけだった。
「ようやく来たな、レイリ」
鏡の中の自分がにやりと笑った。
「…えっ?」
「俺はお前の為に生み出された。
お前がこの世界に絶望し、破滅しか残らなくても壊れることのない精神。
「こわれる?はめつ?えと……」
「お前のそばに居る奴はみんな死んでいく、いずれ。
だからお前は狂っていく。
そうならないための俺だが、俺は別にお前を守るつもりはない。
だって、お前だけ愛されて可愛がられて、そんなのずるいだろ?」
鏡の中の自分はいやらしいほどににんまりと笑った。
「俺はお前、お前は俺。
俺達は二人で一つの運命共同体。
だからどちらかだけが愛されているというのはずるいだろ?」
愛されるのはずるい、鏡の中の自分はそういった。
「どうしてずるいの?おなじぼくならいっしょでしょ?」
「同じ?同じじゃない、みんなから蝶よ花よと育てられた温室育ちのお坊ちゃん。
俺は影、お前の影だ。暗くて寒い場所に独りぼっち。誰も俺を愛してくれない」
まるで鏡の中から出て来ようとするように、鏡の中のレイリは鏡に顔を近づけた。
「でも、ぼくはきみで、きみはぼくなんでしょ?
ねぇ、そこにいないでこっちへきていっしょにあそぼう?」
「お前はどうして闇に染まらないんだろうな…。
俺はイリア、お前と同じ名前なんざ吐き気がする」
「イリア…イリアは僕のおにいちゃん?」
するとイリアは黙り込んだ。
俯いてしまってレイリからはイリアの表情がうかがえない。
不審におもったレイリが覗き込む様に鏡に顔を近づけると、イリアの口元がにやりと笑った。
「ああそうだ、俺はお前の兄の様な物だ。
だからお前は俺の言う事を聞かないといけない。
いいか?痛い目に、怖い目にあいたくなかったら俺の言うことをきちんと聞けよ?」
レイリは不安そうな顔でイリアを見つめた。
ぎゅっとぬいぐるみをきつく抱きしめて、頷いた。
「わかった、イリアのいくこときく」
「そう、いい子だね。お前は俺の言う事だけを聞いていればいい。
後は俺が上手くやってやるから」
優しく笑いかけられれば、レイリはそれを信じて嬉しそうに微笑み返した。
「うん、えへへ…ぼく、ずっとおにいちゃんがほしかったからうれしい」
イリアの思惑などしらないレイリはぬいぐるみを抱きしめたまま、鏡の前に座り込んだ。
イリアの話に耳を傾け、楽しそうに何かをおしゃべりしている。
「レイリ坊ちゃん、お勉強のお時間ですよ」
レイシーがレイリの部屋の戸をノックすると中から楽しそうなレイリの声が聞こえてくる。
「坊ちゃん…?」
レイリは確かに人懐っこい子で、このお屋敷に住んでいる使用人に可愛がられているが、自室で誰かと話しているのは見たことが無い。
まだ幼いとはいえレイリは伯爵家子息。
使用人誰しもが簡単に出入りできるわけではなく、決まった数人の使用人しかレイリの部屋を出入りする権利を持ち合わせてはいない。
誰かの目を盗んで勝手に入ることは可能だが、レイシーがそれを容認するはずもなく、自分がレイリの部屋を離れる際には常に簡易の結界を張っている。
侵入を防ぐほど強固な物ではないが、誰かが侵入すれば即座にレイシーには伝わるはず。
それが破られていないとなれば、レイリは一体誰と話しているのか。
訝し気にレイシーは部屋の戸を開いた。
すると、大きな姿見の前で座り込み、鏡と楽しそうにおしゃべりをするレイリの姿を見つけ、ひとまずの安堵と共に疑問が湧き出てきた。
「坊ちゃん、どなたとお話ししているのですか?」
「あ、レイシー!あのね、いまイリアとおはなししてたの。
イリアはぼくのおにいちゃんなんだよ!
ずっといっしょなの、ねー?」
鏡の中にはレイリと鏡写しになったレイリが写るばかり。
イマジナリ―フレンドという奴だろうかと、レイシーは年頃の子供によくある空想の友達の事だと受け取った。
そばに居たとはいえ、実の両親が構ってくれないのであれば、まだ幼いレイリは自分が思っている以上に寂しいというのを隠していたのだと思った。
「坊ちゃん、そのイリアさんという方を私にも紹介してくださいませんか?
坊ちゃんのお兄様なら一度ちゃんとご挨拶しておかないと」
「イリアはレイシーのこと知ってるって。
えとね………つたえてほしいっていってる…。
こたえはうちがわにあるって。でもそれはレイシーがおもってるより……えと、なぁに?
……ん、あのね、レイシーがおもってるよりしゅうえんにちかづいてるって。
しゅうえん…ってなぁに?」
無邪気に笑うレイリの口から語られたのはとても年相応とは思えない、レイリ自身が理解すらしていない単語の数々。
そして、鏡の中から覗く己の真なる主によく似た真紅の瞳と不敵な笑み。
レイリはやはり、その血を濃く受け継いだレイシーの主の継承者なのだと理解した。
ともすれば、レイリがこれからどんな重責を背負わなければいけないのか。
レイシーはそれを天使の様に無垢に笑うレイリに告げることはできなかった。
その日以来、レイリは黒猫のぬいぐるみを抱きしめて、あたかもぬいぐるみがしゃべっているように会話をするようになった。
その様子を見ていた使用人たちも、最初こそ寂しさを感じているのだろ思い、手の空いてる時間に遊び相手や話し相手になっていた。
しかし、それは唐突に訪れた。
レイリの悲鳴のような声が聞こえ、レイシーが慌てて声のした方に向かうと、キッチンでティーポットが割れ、レイリが蹲って泣いていた。
側には先に駆け付けたであろうメイドがおろおろとしながらレイリを介抱している。
どうやら悪戯をしてポットをひっくり返し、頭からあつい湯を被ってしまったようだ。
「レイシーさん、どうしましょう、坊ちゃんが!」
熱さと痛みに泣きわめくレイリに、どう手当てしていいか判らず、かといってレイリを一人残して医者を呼びに行くわけにもいかない若いメイドはパニックになっていた。
「落ち着いて、まずは急いでお医者様をお呼びして。
坊ちゃんは私が診ています」
余程熱いお湯を被ったのか、レイリの愛らしい顔は真っ赤に染まり、酷いやけどを負っているのは一目瞭然だった。
「とりあえず冷やすものを持ってこないと…」
レイシーは大量の氷を袋に入れてレイリの頭を膝枕しながら顔に氷を当てていく。
レイリはもう苦し気に呻くだけで声も出せないでいるらしい。
「れいしー…」
小さな手が縋る様に伸ばされるのを、空いている手でぎゅっと握り返す。
「大丈夫ですよ、坊ちゃん。
今お医者様がいらっしゃいますからね、それまでの辛抱です。
坊ちゃんは強い男の子ですから、頑張れますね?私も御側にいますから」
ぼろぼろと零れる涙すら痛むのか、荒い呼吸を繰り返すレイリの小さな手をぎゅっと握ると、そのままレイリは魂が抜け落ちたかのようにぐったりと意識を失った。
「坊ちゃん!」
レイシーが珍しく上ずった声で焦りの表情を見せる。
普段冷静な彼女のこんなに焦った表情を誰が見た事だろうか。
すると、気を失っていたレイリの手がぴくりと反応して、ゆっくりと力なくレイシーの手を握り返した。
「レイシー…」
開かれた瞳はいつものその深い海の様な綺麗な碧い瞳と違い、血の様な真紅に染まっていた。
「心配しないで、大丈夫…。俺はそのためにいる…」
「坊ちゃん……いえ、貴方は…イリア?」
腕の中のレイリは力なく笑った。
「女神は度重なる死別に絶望してる。
だから死なない体と死なない精神を求めた。
それが俺が作られた意義、存在理由。
俺はレイリの痛み全てを背負う生贄ってわけさ」
レイリとは似ても似つかわしくない表情でイリアが笑う。
それは、どこか悲し気で諦めを含んだようにも見え、狂気にも見えた。
「レイシー、覚えていて。俺の事。
俺という存在が確かにいて、あいつを守ってやっていた事。
いつか俺が消えてしまっても…俺を、なかったことにはしないで…」
それはレイシーの主が言っていた言葉によく似ていた。
『人はさ、これはこうって枠組みから外れたものを認められないんだよ。
だからそういう人は無かったことにするんだ。
無かったことにされた、確かに存在する人は忘れ去られていくだけなんだよ。
僕はそんなのごめんだけどね』
どこか諦めた表情で笑うかの人も、今のイリアと同じ寂しそうに笑っていた気がした。
意地っ張りで我が強く弱音を吐く姿など想像もできなかった自分の主が、いつか自嘲気味にそう話していたのを思い出し、レイシーはぎゅっとイリアの手を握った。
「忘れません、私は忘れませんよ。貴方がどんな人物であったか。
ですから、私の記憶に残る様にこれからもいい子で居てくださいね?」
イリアは力なく笑って頷いた。
「いずれ、レイリも俺を必要としなくなる。
そうなったら…俺は…どうなるか…判らない、こわい」
痛みを堪えながらイリアが苦しそうに告げた。
「坊ちゃんは強い子です。だから、貴方も。
貴方が消えるその時はきっと、貴方が坊ちゃんの中に戻るときだと思います。
本当は、大事に思っているんでしょう?」
「……俺は、きっともうすぐ俺じゃなくなる。
この破壊衝動を抑えられない、レイリが憎い気持ちが溢れてくる。
誰も俺を愛してくれない、誰も俺に気付いてくれない、誰も俺を認めてくれない…レイリしか…」
レイリを保護するために生まれ、レイリを守ってきたイリア。
その存在を憎めど、自分自身を肯定してくれるのもまた、レイリしかいない。
その強い二律背反に苦しみ、どちらかが溢れだしそうになっている。
痛みに苦しみながら、イリアはレイシーの手を必死に握った。
そのまま意識を失ったイリアが駆けつけた医者に処置を受けたが、医者の話では顔の火傷は酷く跡が残ると言われた。
可愛らしい顔に一生跡が残ると言われた両親は絶望して悲しんだ。
しかしながら、それは突然。
運命の輪が回り始めた。
「それでは包帯を替えましょうね」
他のメイド達は薬を塗れば必ず治りますよとレイリを元気づけようとするが、レイシーは嘘を吐きたくなかった。
ただ、まだ幼いレイリに現実を突きつけることもできずにいた。
ゆっくりと怪我に触らない様に包帯を取ると、そこには火傷の跡が治癒しかけていた。
はっきりと跡が残ると言われた場所は綺麗に火傷跡も消えている。
まだ火傷部分の3分の1程度だったが、医者からするとありえない奇跡らしい。
それからというもの、レイリはしょっちゅう小さな怪我をしてはちょっと目を離したすきに傷が癒えるようになった。
初めは聖職者の適性があるのかとも思ったが、レイリが魔力を使って傷を癒している様子を見たこともなく、本人に問いただしても首をかしげるばかり。
意図的にレイリが治癒しているのでなければ、これは自然治癒ということになる。
自然治癒と一言に片付けてしまうには、それはあまりにも不自然で奇跡的だった。
屋敷の使用人もレイリを気味悪がり、特に隣町に住むレイリの叔母に当たるレミリア・クラインは元々姉であるレイリの母、レインとあまり仲が良くない事もあり、レイリを気味悪がって視界に入るのも嫌う程だった。
両親もレイリの不思議な力に戸惑いを隠せず、特に厳格な騎士家系のゲオルグはあれほど可愛がっていたレイリを遠ざける様になり、不気味な子と噂されるようになってからは酒に溺れるようになった。
母とレイシーだけが、レイリを変わらず愛してくれた。
父につらく当たられて、使用人に遠巻きにされても、レイリを抱きしめてくれた。
頭を撫でて、レイリは悪くないと言ってくれた。
幼かったレイリはその言葉を心のよりどころにして、レイシーや母のそばを離れたがらなかった。
「いりあ、いりあ、こわいよ。
どうしてみんなぼくをいじめるの?
ぼくがわるいこだから?ぼくがなにかわるいことをしたから…?」
部屋の片隅で、いつものように鏡と向かい合わせになり、縫いぐるみを抱きしめて泣きじゃくるレイリ。
「しらね。あんなに可愛がられて蝶よ花よと育てられてたのに、急に手のひら返したように腫れもの扱いなんて、酷いことするな?
お前、そんなに嫌われるようなことしたんだろ?」
「してない…してないよ、なにも…」
「加害者ってのはいつもそういうんだ。
何か悪い事をしている気持ちなんてないのさ」
「カガイシャ…?ぼく、わるいこと……して、たの…?
しらないあいだに?だからみんなぼくがきらいなの?」
「そうだよ、みんなお前が大嫌いだ、死ねばいいと思ってる」
「し…ぬ…?
しぬって、どうするの?それをしたら、ゆるしてくれる…?」
「………さぁな。
それで許されるかどうかはしらねぇ。
でも、そうだな…自分の心臓にナイフでも突き立てれば死ねるんじゃね?
お前にその勇気があればの話だけど」
「………しんぞうに、ないふ……それで、みんな、ゆるしてくれる…?」
レイリの瞳が昏く、光を失いかけている。
震える手が、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。
「…やめておけ、死ぬのは凄く痛いぞ」
「………だって、どうせなおるから」
幼い子供の…少なくとも少し前までは天使の様だと皆から愛されてかわいがらえた子供の声とは思えないほど無機質に、レイリは虚空を眺めてぽつりとつぶやいた。
あんなに幸せそうに、可愛らしい笑顔を向けていたレイリはもう、いない。
「治らねぇよ、死んだら治らない。それまでだ。
居なくなるんだよ、お前はこの世界から。だからバカなことは考えるな」
「…いなく…?」
「お前が死んだら、俺も死ぬだろ。
生きるのが嫌になったなら俺に体をよこせ」
「……イリア…死ぬ……それは、やだな」
力なく微笑むレイリに、初めて触れたいとイリアは悔しそうにこぶしを握った。
遠い遠い昔の御伽話。
幼い頃から何度も何度も聞かされていたそれ。
誰も信じない孤独な魔物の王と、全てに裏切られ絶望して搾取されるだけの哀れな女神の悲しく切ない御伽話。
決して報われぬ恋に落ちた二人は、ただ二人で静かに暮らしたかった。
それを世界が許さなかった。
女神の創造主である神は自分から女神を奪った魔王を討伐する事を決意する。
そして、大きな戦が起きて女神は神に殺され、魔王と神は相打ちになった。
女神は最後の力を振り絞り魔王の魂と女神の魂を人間の器に宿らせた。
女神の生まれ変わりとなった青年は英雄となり、世界の混乱を収めたが、そのあと人知れず姿を消した。
魔王の魂を持つ最愛を探すたびに出たのだった。
御伽話はここで終わっている。
本来は女神が魔王の魂を人に宿らせたところで終わるはずだった物語。
それに尾ひれがついたのはいつだったか…。
あるとき突然現れた恐ろしく強く、カリスマ性を持った天才が一人。
名をレイア・クラインと言った。
彼は騎士団とは別に騎兵隊という独自の部隊を立ち上げ、隊長として自ら最前線で剣を振るった。
その強さ、物おじしない性格から誰もが彼を英雄だと祀り上げた。
彼は天使の様な愛らしい外見とは似ても似つかぬ程に傲慢で、わがままで、傍若無人だった。
それでも皆が彼を慕った。彼の強さを崇めた。
彼はただの一度も負けることなく、どんな凶悪な魔物も切り伏せた。
そして後世に色濃く爪痕を残した後、誰にも何も告げずに行方知れずとなった。
数人の、おそらく彼が本当に信頼できる人物だけを連れて忽然と姿を消してしまった。
そんな彼の偉業は何百年たった今もこうして御伽話の一部として語られている。
天使の様な美しい姿と恐ろしく強い彼はおそらく女神の生まれ変わりだという根拠もない人々の、そうであってほしいという憧憬から。
「そんなわけないのにね。」
黄昏の箱庭でかの人は笑う。微笑む。
こちらにわたるときに零れ落ちた欠片が、どんな生涯を歩むのかをながめながら。
初代騎兵隊隊長であり、御伽話の英雄レイア・クラインを輩出した家として、クライン伯爵家は代々名門貴族としてその名を連ねてきた。
高名な騎士家系の名には必ずクライン家の話題が出されるほどに。
しかしながら、それも時の流れにより徐々に風化して御伽話だけの存在となってきた頃には、クライン家は莫大な借金を抱え没落していた。
かつて栄華を誇ったお屋敷は競売にかけられ、本邸と別邸をいくつか残してすべて売り払われてしまった。
広大な庭も手入れが行き届かず荒れ放題。
使用人もごく少数しか居ない中、クライン家長女レイン・クラインが待望の男児を出産した。
厳格な騎士家系から婿養子に入った夫との初めての子供で、とても愛らしい天使の様な男の子が生まれた。
名を、レイリ・クライン。
数奇な運命をたどる者。
レイリは幼い頃から不思議な子だった。
普段はおとなしくとても聞き分けの言い、手のかからない子供なのだが時折、豹変したように我儘で傍若無人な態度をとることがある。
口調も性格もガラリと変わり、ひとしきり大暴れして眠りに就く。
起きたらその間の事は何も覚えていないという。
レイリの父親や使用人、彼の叔母は大層彼の気味悪がった。
レイリが5つになる頃には、鏡の自分に向かって楽しそうにおしゃべりしたり、転んで血まみれになった膝や手のひらの怪我がすぐに治ったり、とにかく普通の子供ではなかった。
レイリ自身は普通の子供だったし、そう思っていたが周りはそうは思わなかった。
名家の嫡子が得体のしれない化け物だというのを父は隠したがった。
それまではパーティーには積極的に連れ歩いていたのに、家から一歩も出さなくなった。
幼いレイリの遊び場は自宅の中庭だけになった。
それでも、レイリの世話係を務めたメイドのレイシーがずっとそばに居て見守っていたのも大きい。
レイリを産んでからというもの体を壊して病に伏せっていた母親もレイリを愛したからこそ、レイリは父にも母にも愛されていると思っていた。
しかし、日々繰り返される父親からの言いがかりの様な仕置きという名の暴力に耐えかね、心を壊したレイリは気が付くと燃え盛る屋敷の中、血まみれの使用人たちの死体の中に立っていた。
側には大好きだった母が血濡れで自分を抱きしめていて、父が恐ろしい表情で絶命していて…。
幼いレイリには何があったのか理解できずに泣き叫びながら屋敷を飛び出した。
レイリは幼いながらも貴族の嫡子ということで血縁者の叔母夫婦の元に贈られたが、レイリと叔母の折り合いは悪く、レイリは家族を失って精神が不安定なため、身柄だけを教会預かりとし、そこで一生の師であり父と敬愛するノエルとであい、真っ暗な人生に光を取り戻す。
それが、世界の運命に弄ばれた少年がたどる数奇な運命の始まりだった。