というやつらしい。
らしいというのは病院行ったことがないので自己診断ってこと。
4つ以上で疑いがあるのだと。
1. 非難、反対意見、排除を怖れるあまり、人との接触の多い職業活動を避けようとする
2. 自分が好かれていると確信しないかぎり、人との交流をもとうとしない
3. 自尊感情が非常に低く、恥をかいたり、笑われたり、排除されたりすることを怖れるあまり、親密な関係づくりを控えようとする
4. 社会的状況のもとでは、「非難されはしないか」「排除されはしないか」という心配にいつも心を奪われている
5. 「自分なんかは(相手に)ふさわしくない」との思いから、人との出会いにおいても交流を控えてしまう
6. 自分は社会人として不適格である、魅力に欠ける人間である、他の人よりも劣っている、などと考えている
7. 新しく何かを始めることは「恥ずかしい思いをしてしまうかもしれない」ので、そのようなリスクを取ることを極端に嫌がる
症状ぜんぶあてはまっててつらい。もうどうしろと…。
これ、幼いときに執拗に非難され続けた結果、大人になってからこうなるのだそう。妙に納得した。
わたしの場合は母親だった。
嫁姑抗争でおかしくなった母は家庭内で怒鳴り散らし、物に当たり散らし、子どもに八つ当たりした。
味方のはずの父は我関せず、むしろ「仲良くできないお前がわるい」な態度。ほどなくして単身赴任という名の別居。
母は些細なことでキレた。
そしてキレると叫びながら、ガンガンと大きな音を出しながら、何故か家事をしはじめる。
それがとてつもなくこわかった。
いつも心臓をばくばくさせながら嵐が去るのを待った。
一番古い記憶は小学校一年のとき。丁度この頃から母はおかしくなった。
手伝いのつもりで洗濯物をたたもうとしたのに「触るな!」と怒鳴られ、手を叩かれた。
訳のわからないわたしは「手伝おうとしただけなのに〜」と泣いた。
その時のことが相当ショックだったようで時がたった今も克明に覚えている。
そして何より風邪をひいたり怪我をしたときは怒鳴られた。
「もう、私に迷惑かけないで!」
うんざりした様子で言われた。
だから熱がでても倒れるギリギリまで言えなかったし怪我は隠しとおした。
こんな様子でわたしたち姉妹は非難され続けた。
しかし翌日にはいつもケロッとしていて、前日とのギャップに振り回された。
おそらくその時にわたしが話しかけてもいいのか、怒られないか、気分を害さないかを過剰に気にする癖がついてしまったのだとおもう。
大きくなった今でも誰かに話しかけるとき、こういう感情がよぎって勇気がいる。
友人たちはいるにはいるがとくに交流をもたず、ぼっち。恋人もつくれない。
なのに今わたしは愛情欠乏症に悩まされている。深い関係をもつのはこわいのに愛されたがっている。この矛盾は厄介で、いつまでたっても前に踏み出せず当然欠乏感が埋まらない。
たぶん好きだと言われたら誰にでもついていく。でもついていったところで愛される自信がなくて続かない。そしてまた愛情欠乏症に陥る。
この負の連鎖を断ち切るにはどうしたらいいのだろう。
話題:メンタル