「しばらくは気になるだろうが、これはほうっておいても大丈夫だ。」
 彼はそういったが、やはり“それ”を見ることができない彼女には、何をもって彼が「大丈夫」というのか理解できないのだろう。不安そうに、困ったように眉を寄せた。
「その…音がしないようにしたりする事は、出来ないのでしょうか?」
 あー…と彼は言い淀む。まったく不可能、というわけではないのだろう。俺も彼女の願いはもっともだと思うし、なにより彼は今までにも似たような件案の“対策”をこなしてきたプロである。だから今回も何とかできるはずだ。
「なあ、何とか出来ないのか?
 気にするなといっても、これだけバンバン音がなってたら普通は無理だろ。」
 言っているそばから、今度は台所の方からドン、ドン、と音がする。彼女はやはり気になるらしく、音のするほうにチラチラと視線を送る。
 そんな彼女を見兼ねてか、少年も口を開く。
「そうだよ。しかも女の子の一人暮らしで、怖がるなって方が無理がある。」
 彼は俺たちの言葉にますます困った顔をした。
「いや…出来ないことはねえっす。
 ただそれには協力者が必要に…いやそれ以前に…。」
 彼にしてはブツブツと歯切れの悪い物言いだ。いつもの彼なら出来る、出来ない、ははっきり告げる。それが今回ははっきりしない。どうやらやってやれない事ではないようだが、それならいつもの彼は「出来る」と告げるだろう。
「なあ、出来るんだろう?じゃあなにが不服なんだ?
 いつもみたいにパパっとやっちまえばいいじゃねえか。」
 俺がそういっても、彼あーと言いながら頭をかくだけだ。
 煮え切らない彼の様子に、とうとう少年の方に限界がきた。
「なあ、あんたはっきりしろよ。
 さっきっから聞いてれば、出来るような口振りじゃねえか。だったらなんとかしてしてくれよ。」
 だが彼はまだ言いかねているようだ。そんな彼の様子に、少年はさらにつっかかる。
「それともなにか?金でもつまねーと出来ねぇとでも言うつもりか!?」
 声を荒げ、ガッと少年が彼の胸ぐらを掴んだ。少女が少年の名を呼ぶが、少年はますます拳に力をこめたようだ。
 あわてて止めようとすると、彼が右手を揚げ俺を制した。そして降参とでも言うように両手を上げる。
「わかった、ちゃんと説明する…。とりあえず手を離してくれ。」
 少年は本当だな、と念を押すと手をはなした。
 彼は襟を整えるとハア、とため息を吐く。いまさらながら、あまり気持ちのいい話ではない事を俺と少女はさとった。
「まず、今回みたいなケースだと口寄に協力者がひつようなんだ。」
 協力者…少年が小さく繰り返す。
「どうやら奴さんはここに連れてきてほしい奴がいるらしい。
 名前も俺に伝えてきた。」
「ならそいつさえ連れてくりゃ、あんたはこの家の“対策”をしてくれるんだな?」
 ああ、とうなずく彼を見て少年は少女と顔を見合わせる。少女は少しホッとしたような顔をしたが、俺はいやな予感がした。
「なあ、そいつは今生きてる人間か?」
 俺の問いにも彼はうなずく。なんだ、簡単な話ではないか。少年も顔を明るくさせ、じゃあ、ときりだす。
「じゃあ早速そいつを呼び出そうぜ、名前もわかってるんだろ?」
「ああ…名前はわかってる。たぶん、いや絶対お前達も知ってると思う。」
 そういって彼は名前を告げた。
 しかし俺たちはその名前をきいて絶句した。なぜならその名は、少女の家族を惨殺した犯人のものだったからだ。
 奴は死刑が確定しているため、現在は監獄のなかだ。ここに連れてくることはとてもじゃないが出来ない。
「じゃあ…連れてくることが出来ない以上、“対策”はしていただけないということですか…。」
 少女と少年ははた目にもわかるほど肩を落とした。当然だろう。
「じゃあ、しかたがねえな…。」
「いや…実は手はあるんだ。」
 えっと少女が声を上げる。手がある、とはどういう事だろう?
「だって、あんたさっき協力をここにつれてこないと、“対策”できねぇって…」
 少年が動揺している。少女も訳がわからないのだろう、眼鏡の奥の瞳がゆらめく。
「どういうことだ?
 まさか死刑囚をここに呼び寄せるとかか?いくら協力者が必要といっても、俺にゃあそこまでの力はねえぞ?」
 彼は首を横に振る。
「いや…。
 直接呼び寄せる必要はないんです。」
「はあ?」
 俺自身、決して長いとはいえないがこいつと組んで何件も“対策”をしてきた。だから多少の不可思議には慣れたつもりだか、今回ばかりは彼の言葉が理解できない。
「どういうことだ?」
 少年が苛立ったように問いかけた。対照的に彼の目は冷静だ。
「…生きてる人間を口寄出来る口寄屋に、口寄を依頼するんです。」
「あ?そんな人間がいるのか?」
 はい、と彼は大きくうなずく。
 彼がいうには、多くの口寄屋は基本的にその場に留まっている霊の口をよみ口寄する。
 しかし強烈な残留思念がその場に残ってさえいれば、そこから思念を残した“生きている人間”を口寄する事が出来る口寄屋もいるらしい。
「じゃあそいつにたのめば…。」
「ただそれは正しい手順をふんだ口寄じゃないし、へたをすると口寄する側も、残留思念をたどられた人間も壊れかねない…。
 文字通り“命を懸ける”仕事になる。」
 命を…少年が反芻する。少女にいたっては、顔が青ざめている。
「だからそういう依頼の場合、奴らは法外な料金を請求してきます。…まあ、口寄の依頼料は法律で整備されてないから、法外っていうと語弊があるんですけど。」
 そこまでいうと、彼にしてはめずらしい笑い方をした。へたな苦笑だった。