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大学生と軍人が異世界に呼ばれまして3

「つ、疲れた……」

バタンと机に突っ伏してアイナは疲労の色を隠せない。大学なんて遊ぶために通っているようなもの。ただでさえ勉強が嫌いで大学に受かったあとは遊んでばかり。そんな頭に新しい知識を容赦なく叩き込まれ、アイナの脳はパンク寸前だった。

「むりむりむり……もう勉強したくない……」

「俺も勉強なんかまともにやったのは15歳までだからな……」

ふう、と溜め息をついてルシフェルも頬杖をついた。

みっちり六時間、レオライナーに基礎を教わりながらクラスメートと同じ授業を受ける。初めての知識。それを一から詰め込むことは予想を遥かに越えて辛く厳しいものだった。

魔法の世界だから楽勝だと思っていた。しかし現実は違う。

元の世界と同じように覚える知識は山ほどあり、ゲームのようにボタン一つで理解できるものではなかった。

「アルフレド様達がリアルなのは嬉しいけど勉強までリアルなんて聞いてないわよ……」

「アイナ?」

「あ、いや、こっちの話………さ、もう帰りましょ……」

立ち上がってルシフェルの腕を掴んだアイナの前に、アルフレドが再び現れた。

「お疲れ様です。アイナ様、ルシフェル様」

「アルフレド様!」

優しい微笑みに疲れが吹き飛ぶようだった。アイナは今までの疲労顔を隠して何でもない風に装った。

「大丈夫です。とても楽しく勉強させて頂きましたわ」

意地を張って誇張してしまったのが運の尽き。

「それは良かった。代々の神子様はどの方も勉強熱心と聞き伝えられているのですが、本当なのですね」

「えっ……そうなん、ですね」

(何真面目にやってんのよ今までの神子……)

その神子達は使命に燃えていたのだろうが、アイナは違う。単純に攻略キャラクター達にちやほやされるキラキラした世界を楽しみたいだけだった。

(あーあ、明日もつまんない勉強か……アルフレド様とデートしたいな)

かっこいい顔を見つめていると、教室にドアが開く。

まだ教室に残っていた女生徒達が一斉に黄色い悲鳴を上げた。

「三貴族様よ!」

「三貴族様がいらしたわ!」

そんな声が聞こえてきて、アイナはその台詞に聞き覚えがあった。

そう、ゲームの世界でも初日を終えたヒロインの元に新たな攻略キャラクター達がやって来るのだ。

今度こそ疲れが吹き飛び、アイナはぱあっと明るい表情で振り返る。

そこには。

「アル。準備出来たぜ」

「ああ、ありがとう、三人とも」

王子に気安く接する三人は、アルフレドとは地位が違うが親同士が代々親交の深い幼なじみ。そして神子を育てるために教育を受けてきた者達だった。

今アルフレドに声を掛けたのは、クロード・マクナフェロン。朱色の髪と、朱色の瞳。設定は見た目通りの俺様。釣り上がった口角は不遜に笑い、勝ち気な性格をよく表していた。おしゃれや意外にも美術に精通していて、ゲームで言うところのセンスを磨くには彼と行動を共にするのが一番効率がいい。実はこのゲームの人気ナンバー2である。

「何を言うんです。準備はほぼ僕がやって、貴方がたは遊んでいたではありませんか」

そう眼鏡をくい、と上げるのはどのゲームにも絶対に一人は要る眼鏡キャラクター。ユーリ・アズランド。紫の髪と紫の瞳。切れ長の瞳の片方は、長い前髪に若干隠れている。勉学一辺倒の優等生である。

「ごめんなユーリ。クロードのヤツがパンを競って勝負とか言うからつい熱くなっちまって」

あははと悪びれていないように頭を掻いているのは、黒髪短髪、灰色の瞳を有する長身のオーウェン・ロッド。温厚でのんびり屋。しかしそのガタイをきちんと生かし切っており、運動神経は抜群。スポーツのパラメータを伸ばすキャラクターだ。

イラストで見るよりも当然立体でイキイキとしており、アイナはうっとりと溜め息を吐いた。

(ああ……四人が揃うとやっぱり華があるわァ…)

バレンシア学園で普通に生活していれば濃厚に関わり合っていく四人である。

今紹介したように、三人は各々自己紹介をし終える。そしてアイナとルシフェルの番。

「私はアイナと申します。これからご鞭撻のほど、よろしくお願いします」

「ルシフェルだ」

「ふーん、光の神子ってのも、案外普通なんだな」

「クロード!」

クロードが値踏みするかのような視線で二人を見る。このようなつっけんどんな態度をしているが、実は繊細なツンデレなのをアイナは知っているので全然平気だ。だが庇護欲を誘うため戸惑うフリをする。

アルフレドに叱責されてすいませーんと頭の上で腕を組む。

「すみません、クロードはこんな感じではありますが、悪い奴じゃないんですよ」

「うるせーよアル。つーか、神子ってのは代々女一人がやってんだろ?何で今回は男の神子がいんだよ」

ルシフェルに突っかかろうとするクロードだが、突っかかられた当の本人は一瞥をくれただけで何の反応も示さない。

それが気に食わずに更に突っかかっていく。

「何だよその目。今からお前らに俺らが勉強教えてやろうっつーんだよ。感謝の一言もあんだろフツー。え?ルシフェルさんよ」

それを聞きながら若干引くアイナ。

(え、こんなキャラだっけ……?相手が男だから?まあ、このツンがあれだけのデレに変わるんだからこれくらいやらないとギャップ萌えになんないわよね…)

宥めようとするアルフレドだが、ルシフェルも負けてはいなかった。ふ、と笑ってクロードを見る。

「そんな俺たちに最終的に救って貰わないと駄目なんて、さぞプライドに響くんだろうな」

「なっ……!てめぇ……!」

流石にオーウェンが止めにかかり、ふーふーと荒く息を吐くクロード。画面越しなら全然大丈夫だが、いざ目の前にすると面倒そうなタイプである。

(でも人気ナンバー2なだけあって、デレた時がとびっきり可愛いのよね……)

実際にデレさせてみたいアイナはクロードの好みの話題などをゆっくり思い出していた。

「すみませんルシフェルさん。仰る通りなんです。私達は貴方がたが居ないと現実何も出来ません。小さなプライドなどに拘っていては、世界が滅んでしまうのです」

「………、………」

正論を言われて黙るしかないクロードだが、瞳は激しくルシフェルを睨んでいた。ルシフェルはと言えば何事も無かったように興味を失っている。アイナはいずれこんな風に自分を男が取り合う姿を想像して胸を膨らませた。

「しかし神子が二人なのは行幸とは思いませんか?単純に神子の負担が減ります。こちらとしても、戦力が増えて頂ければ万々歳ですから」

「そうそう。仲良くしようよ、皆さ」

ユーリは合理的に。オーウェンは平和的に。その場はそれで収まった。

「では顔合わせも済みましたので、明日から授業が終わり次第彼らにレクチャーを頼みます。この世界のために、どうかお力をお貸しください」

「………………」

その言葉は、アイナの上がったテンションを台無しにするには十分な威力だった。六時間の授業ですら苦痛だと言うのに、終わったらまた授業。流石に我慢出来ない。

「あの……アルフレド様?少しハードではございませんか……?」

「すみません……それほどまでに困窮しているのです。ご理解下さい……」

「も、勿論ですわ。言ってみただけです」

ほほほ、と笑って見せればホッとしたように胸を撫で下ろす王子。そんな姿を見てしまえば何も言えない。

「ではまた明日」

「ま、また明日……」

ひきつった笑顔を張り付けたアイナだが、生徒会のメンバーが居なくなったのを確認すると盛大な溜め息を吐いた。

「うそでしょ……」

「まあ、普通にやるしかないだろうなこの空気」

「……ルシフェル嫌じゃないの?」

「今までの平坦な生活よりは新鮮だ」

「そうよね……新鮮よね……」

こんな新鮮は要らないんですが。そう小さく溢すアイナの言葉はルシフェルには届いていなかった。










次の日から、それは始まった。六時間の間はレオライナーが。放課後はクロード、ユーリ、オーウェンが一時間ずつ個人授業をする。

まずはユーリによる適正属性についての授業だった。アズランド家は貴族でありながら、王族お抱えの鑑定士。この国の一人一人の適正属性認定はすべてアズランド家によるもの。隠れた才までも見抜く力を持っている。

「お二方、床に描かれた魔方陣の中にお入り下さい」

人一人分の魔方陣。アイナとルシフェルは言われるがまま乗ってみせた。

「では、始めますよ」

ユーリが何かの呪文を唱えた途端、魔方陣が光輝き二人の身体を包む。そして魔法がそれぞれ違う輝きを放った。

それには斜に構えて見ていたクロードも身体を起こして食い入るように見ている。

アイナの足元からは赤い色の光が。

ルシフェルの足元からは青い色の光が。

しかしただの単色ではなく、白い光が二人の色には混ざっていた。暫く光輝いた後、魔方陣は跡形もなく消えてしまった。

「……よろしいです。お二方の属性がわかりました」

眼鏡をくい、と上げてユーリは黒板に文字を書き始めた。

「アイナさんは炎の属性。ルシフェルさんは氷の属性です」

「でもなんか俺たちと違ってたな」

「……ああ。白い光が混ざってやがった」

クロードは渋々納得するように横目でルシフェルを見た。一応本物ではあるらしいと。

「代々神子は基盤の属性を持っており、そこに光の属性が加わります。僕も実際に初めて光属性を見ました。貴重な経験をありがとうございます」

どこか嬉しそうにユーリが礼を言う。それもそうだ。千年に一度だけ光の神子は現れる。それを自分の代で拝むことが出来たのだ。この経験は一族の誉れと言っても過言ではない。

アイナも勉強は辛いがこの講義にはワクワクしていた。魔法を実際に操るなど夢のようではないか。しかも炎はクロードの属性。これは仲良くなるチャンスだと視線を送る。だが当のクロードはルシフェルに再び噛みついていた。

「けっ氷属性かよ。通りで俺と合わねぇ訳だ」

「………ん?そんな決まりがあるのか」

クロードの噛みつきにけろりと反応するルシフェル。ユーリに尋ねるも首をアッサリ横に振った。

「別に合わない属性などないですよ。この世界の属性は多様な姿を見せます。一見氷は炎に弱そうに思えますがそうとは限りません。精度の高い氷は逆に炎を消すことも珍しくないですし。そんな単純な強弱で勝負が決まって一体どうしますか」

「あ!てめぇユーリ!そいつの肩持つのかよ!」

「ええすみませんねぇ、僕も氷属性なもので。属性で相性だとか性格なんか決まるわけないでしょう。そんなの信じるのは稚拙な占いを信じる少女くらいなものですよ」

「んだと!」

これだから氷属性は嫌いなんだよと顔を赤くして反論するクロードが少し可愛い。アイナはクスクス笑いながらクロードに話しかけてみた。

「クロードも炎属性なの?」

「あ?ああ。まあな」

「わ!嬉しい!だったら今度詳しく教えてちょうだいっ」

無邪気な子が好みなクロードには目一杯明るく少女のように振る舞って見せる。

「は?どうせ授業すんだし教えんのは当たり前だろ、バカなのかお前」

「……………えーと…………うん、そうね」

だが変わらずクロードの視線はこちらを見向きもしないルシフェルに注がれていた。

(そうだった。負けず嫌いでもあるのよね…この子)

恋だの愛だのより、勝負を優先するのがクロードの幼いところ。よくもまあ、ナンバー2になるほどの数多の女性がこの初期を乗り切ったものだと拍手を送りたいほどだ。

(こうして見るとやっぱりアルフレド様のような誠実で優しい方が一番ね……)

しかし目指すは王子以外の全キャラ友達以上恋人未満。一年後の闇の化身が現れる頃には、皆アイナを守る立派な騎士になっていることだろうと妙な自信を抱いていた。

そんな妄想を悶々と浮かべていると、ユーリが一度咳払いをして場をリセットする。

「相性はそれぞれとは言いましたが、光と闇だけは違います」

「闇はどの属性も効かないというやつか」

ルシフェルの答えに頷き、黒板にチョークを走らせる。

「普通属性は互いに影響し合って存在しています。時には打ち消し、時には何かを生み出します。その絶妙なバランスが世界の均衡を保っていました。……しかし」

描かれた魔方陣。

「これは闇の魔方陣。この魔方陣にはどの属性も影響を与えられません。しかし厄介なのは、闇の魔方陣はどの属性へも影響が可能という事です」

「一方的に、俺達はジワジワいたぶられることになるんだ。怖い魔法だよ」

オーウェンがぶるりと大きな身体を抱えた。

見たことはないが、幼い頃から脅し文句のように闇の化身の話を聞いてきた三人は他人事ではないと言った様子だ。

「そこで召喚士様に喚ばれ現れたのが、この世界に存在するはずのない光の魔方陣を有する世界からやってきた神子……という訳です」

属性の相関図を分かりやすく示しユーリは二人に向き直る。

「これが、世界を救う唯一の手段です。まあ……基礎中の基礎の話でつまらないかもしれませんが、これからレベルアップしますので」

楽しみにしていて下さい、と笑顔で眼鏡を光らせるクロードに背筋の寒くなる思いだ。

そしてレオライナーからも教わった基礎を何度か反芻させられ、クロードと交代することとなった。

「次は俺だ。いいか、この授業の間俺のことはクロード『先生』と呼ぶんだな」

ふふん、と鼻を鳴らして見下す俺様の発言は、リアルに聞くと少し痛々しい。だがデレのためにアイナは無邪気を装い元気に返事した。

「はい、クロード先生!」

「………お前は?」

ルシフェルに挑むような視線を向けどうだ言えまい、とふんぞり返っている。が、ルシフェルからすれば別に大した話ではない。

「クロード先生」

そう真顔で応えれば「むぐっ」とショックを受けるクロード。ルシフェルが同じ土俵に立っていない以上意味のないことなのだが。

シャドーボクシングはどんなに強く殴ろうが、結局のところ一人。誰に当たるでもなく空回るばかりである。

「ふん……まあいい。授業を始める」

(空回ったのが恥ずかしくて赤くなってる……可愛いわぁ)

この一瞬見える隙が可愛いから、クロードの攻略は依存度が高いと言われているのだ。ただゲームと違って倍以上酷い印象だが。

(ゲームって上手いこと余計なこと言わせないよう切り取ってんのね……)

などとメタ的な発言も浮かんでしまう。

ただ、ユーリもクロードもオーウェンも、カッコよさはゲームの数百倍だ。一人一人にファンクラブが出来るのも頷けるというもの。

「俺が教えてやるのは実践的な身のこなし。その能力を伸ばすやり方を教えてやる。まあ、出来ない時は自分のセンスのなさを嘆くんだな」

マクナフェロン家は代々、隠密を得意とする一族だ。貴族社会に赴きつつも、他国との情報戦には欠かせない能力を高く有している。それはそのまま化物退治を有利に進めることが出来る能力に繋がった。マクナフェロン家の先祖は初代の光の神子にその索敵術、暗殺術を授けた経歴を持つ由緒ある家なのだ。

「おいルシフェル、前に出ろ」

ルシフェルは言われるままに立ち上がって壇上へ上がる。

同時にクロードは素早い動きで背後へ回りこみ、手に持っていたチョークをまるでナイフを宛てがうように首元に突きつけた。

「ほら死んだ」

「…………………」

やたらと嬉しそうに笑うクロードは得意気だ。

「俺はいつだってテメーを殺れんだぜ?よく覚えとけ」

「趣旨違うんじゃないのか。これじゃ授業進まないだろ」

「はは、確かにー」

「正論ですね。それで神子を殺せたかもしれませんが、次は貴方が闇の化身に殺される番ですよ?」

外野は黙ってろ!と二人の野次に憤慨するクロードの腕から逃れ、ルシフェルは机に戻る。

「おい、勝手に戻るんじゃねーよ」

「今のを見せたかったんじゃないのか」

「俺のは実践あるのみなんだよ。机に噛りついててもしゃーねーだろ」

仕方なしに壇上へ再び上がり、クロードのレクチャーを受ける。

一方のアイナは高みの見物をしていた。

(あーこのままルシフェルが頑張ってるの見てるだけでいいや。もう何もしたくないもん)

ボケッとしていると、突然名前を叫ばれる。

「おいアイナ!!てめー何関係ないって顔でサボってやがる!!」

「わっ……ごめんなさい!」

「てめぇも光の神子様だろ?自覚をもてよ!」

(むかっ)

とついに本音が出てしまう。ツンデレキャラが現実に居るとウザイなんて巷では聞いていたが、それは真実だ。

(ゲームとか漫画の世界だけね、こんな人は)

イケメンだからいいけど、と相変わらずのポジティブ補正である。








「次は俺だね」

床に座り込む二人を覗きこむオーウェン。意外に容赦ない。

「まっ……まって……」

クロードは思った以上にスパルタだった。最初こそボディタッチに照れたりもしていたが、後半そんなことも言っていられる余裕はなくなってしまう。

二人がかりでクロードを掴まえるというお題を貰ったが、結局有り得ない身のこなしの男を捕らえられる筈もなく。

(鬼ごっこをするなんて聞いてないわよ……)

ゲームの中の特訓はもっとゆるやかに行われていた気がする。同じ気持ちであろうルシフェルに助けを求めるも、オーウェンの話を真剣に聞いていた。

「あんたは何の魔法なんだ」

「見てて」

オーウェンは手元に集中を始める。すると砂がどんどん形を成して石の欠片が完成した。

「すごい!石になったわ!」

まさに魔法といった感じで浮いている石。それをアイナに手渡す。

「俺は地魔法を使うんだ。他の魔法と違って派手じゃないけど、応用も利いて気に入ってる」

「そうですね。我々は大地から離れられないですから、常に足元を人質に取られているようなものです」

そうユーリが付け足す。

「で、俺が教えるのは武器に自分の魔力を乗せる訓練だ。二人ともこれを」

差し出されたのは模擬用のレプリカの剣。受け取って不思議そうに眺める二人に見せるよう、再び手元に意識を集中させるオーウェン。

瞬間、レプリカの剣が岩によって斧の形へと変わった。

「俺の地魔法は、剣に乗せると色々な武器の形に変化する。自分が知っている形なら何にでも自由に変えられるんだ」

「こいつの家系は騎士で、魔法と武器を合わせて戦うのが得意だからな」

「僕のように純粋に魔法だけで戦う者もいますしね」

その場合魔力の本で力を増幅します、と付け足した。

「要は自分の戦いやすいスタイルを見つけるのが大事なんだ。まあ、自信があれば魔法だけで戦うのもいいけど、いざと言うときのために基礎は覚えておいた方がいい」

「わかった」

アイナはその話を聞いてうんざりしていた。一言、面倒くさいである。

何故華の乙女がそんな泥臭い戦いを覚えなければならないのだろう。

そんなものは男がやればいいのだ。

(私はゲームみたいに、勉強なんかちゃちゃっと終わらせてショッピングしたりおしゃれしたり、皆とデートがしたいだけなのよ)

そんな美味しいとこ取りのみが、アイナのしたいことだった。

だが三貴族の視線が集まる中やらない訳にはいかず、オーウェンの教え通りに剣に魔力を乗せる練習を始める。












「お疲れ様でした。帰ったら予習をしておいて下さい」

「じゃあね、ゆっくり休んで」

「おいルシフェル!今日教えたことが明日出来なかったらぶん殴るからな!」

三者三様の挨拶を投げて皆帰路についた。

「……………」

ルシフェルとアイナは流石に疲労の色を浮かべていた。外はすっかり暗くなっている。

「お腹すいた……」

「そうだな」

「ねえルシフェル……これって毎日続くのよね……」

「たぶん。一年後のために詰め込むんだろう」

「最悪……」

客人としてやってきた神子。ゆえにルシフェルには愚痴を言いやすかった。幸い卑屈なことを言っても、ルシフェルはまったく気にしていない様子で。

「俺は続けようと思うが、あんたはどうするんだ」

「え?」

「別に強制でも何でもないだろ。勝手に喚ばれた上勝手にあいつらが何か言ってるだけだ。嫌なら辞めるって選択肢もある」

「辞める……?」

ゲームのヒロインは強制的に闇の化身と戦うべくバレンシア学園で学んでいく。それを辞退するという選択肢が、この現実では可能なのだ。何せ今回は神子二人、ルシフェルがいる。アイナが辞めたとしても何の支障もないではないか。

そんな甘い誘惑に誘われそうになるも、ぶんぶんと首を振る。

(でも辞めたらアルフレド様との関わりも減っちゃうだろうし、駄目よアイナ。ゲームのヒロインはがんばり屋さんなんだから!)

その質問に首を横にふって答える。

「私、頑張ってみる」

「そうか」

ふ、と笑う顔はとても綺麗で、アイナは「もしかしてこれルシフェルイベント!?」と内心ガッツポーズを決めた。









大学生と軍人が異世界に呼ばれまして2

その騒ぎは、城中に混乱をもたらしていた。バタバタと走り回るメイドを捕まえ、理由を聞いた愛名も血相を変えて現場に向かう。

「どういうこと…っ…?」

先程の興奮はとうに冷めきり、反対に青ざめる程である。ぶつぶつと独り言を言いながら早足で無駄に長く感じる廊下を歩く。

「光の神子が現れたですって……?!そんなの有り得ない……!」

メイドの口から溢れた言葉を反芻しながら眉尻を上げる。

『光の神子様が、もう一方召喚されたようです』

ギリッと歯を噛み締める。

もう一人のヒロインなど、乙女ゲームが成立しない。

キャラクター達の愛を一人占めする筈だった愛名の計画が台無しである。

「嘘よ……ウソウソ……!ヒロインがもう一人いるなんて許せない……!!」

この世の終わりであるような表情を浮かべる愛名の今の姿は異様だった。

ようやく騒ぎの場所、先程愛名が召喚された部屋へとたどり着く。見張りの騎士が愛名の姿を見止め、遮った。

「失礼ですがあなたは……」

「光の神子よ!通してちょうだい!」

その気迫と存在に戦き、騎士達は失礼しましたと縮こまった。

通された部屋を開けるとそこに居たのはアルフレドと、もう一人。

愛名に気づいたアルフレドが小さくあ、と声を漏らす。

「…………!」

アルフレドの隣に居たのは思い描いたようなヒロインでは、無かった。

「男………の子……?」

そこに立っていたのは黒髪と紫暗の瞳が印象的な青年だった。

呆気に取られてつい破顔してしまう。

そんな愛名に満面の笑顔を向けて、今度はアルフレドが興奮ぎみに半ば叫んだ。

「光の神子様がお二人など、なんと縁起が良いことでしょうか……!」










「どうぞ、お飲み下さい。まずは落ち着くのが先決です」

そう青年に紅茶を差し出すアルフレド。アルフレドの隣に座り、愛名は目の前の青年をジッと観察した。

(一体……これはどういうことかしら)

どうやら愛名が召喚されたその数時間後に、この青年が魔方陣から現れたそうだ。あの魔方陣は特別なもの。偉大な賢者である召喚士が施した三千年前のものが今でも現存しており、それは光魔法を有するものしか通れない仕組みとなっている。

(それはわかるんだけど……だって、ねぇ?こんなのゲームに無かったじゃない)

冷静さを取り戻しそう思いつつも、愛名は若干邪な目で青年を見ていた。

青年は、それはそれは美しいのだ。

それも妙な空気を纏っており、攻略キャラクターの教師とはまた違った色気を有している。

伏せ目がちな瞳にジッと見つめ返されれば、勘違いしてしまいそうになるのも複雑な乙女心の作用だと都合の良い言い訳をして。

「私はアルフレド・バレンシア。このバレンシア王国の第一王子です。こちらは貴方と同じく今日、ここに召喚させて頂いた光の神子、アイナ様です」

「初めまして、アイナです」

にっこりと、余裕のある笑顔で挨拶をする。何故ならばアルフレドの好きな女性のタイプは何時でも落ち着きを持つ、誰にでも分け隔てなく優しい女性。ポイントは着実に掴んでいく。

「アイナ様には先程説明させて頂きましたが……どうか慌てずに聞いてください」

そう言われるも、青年に慌てた様子は見受けられず紅茶を一口飲んでいる。

(あら、何だか余裕ね……私はこの世界のこと知り尽くしてるから全然ゆったり聞いてたけど。もしかして、この子もこのゲームやってた?)

希に男も乙女ゲームをプレイするとも聞くけれど、どう見てもこの青年は日本人には見えない。むしろ、何だか軍人のような出で立ちだ。このゲームに触れているとは到底思えない。

アルフレドの説明を黙って聞いていた青年が紅茶を飲み干し、ようやく口を開いた。

「よくわからないが………その光の神子とやらの役目を俺はこなせばいいんだな?」

愛名こと、アイナは驚きに目を丸くする。

(順応力高すぎでしょこの子!ほんとにこのゲームプレイ済なんじゃないの?!)

そんな疑いが再び芽生えるほど、この青年は落ち着き払っていた。アルフレドはある意味呑気に「わかって頂けて嬉しいです」と始終笑顔だ。

「あの、お名前伺っても……?」

アイナが控えめにそう尋ねると、青年は「ああ、」と思い出したように声を上げた。

「ルシフェル・レイアートだ」

乙女ゲームは、外国語(それも北欧あたり)に訳されるほど世界に羽ばたいているのだろうか。

アイナの頭にはクエスチョンマークが五本ほど暴れていた。










今日のところはお休みください、とアルフレドに勧められ部屋へと戻る。ルシフェルの部屋も用意され各々休むことになったのだが。

アイナはその夜、ルシフェルの部屋へと無理矢理押し入った。

さすがにこれにはルシフェルも驚いたようで、不思議な目でアイナを見ている。

「何してるんだ……あんた」

「あはは……その、光の神子同士でちょっと話がしたくって」

「見られたら流石に色々まずいんじゃないのか?」

パジャマ姿で男の部屋に入ることがどういう意味を持つのか、それはどの世界も共通らしい。

アイナは悪戯っぽく見えるよう、えへへと頭を触る。

まあいいかと切り替えの早いルシフェルは、纏っていた上着をベッドに投げた。その上着の草模様。

「あの、貴方って軍人さん?」

「ああ。訓練に向かう前に顔を洗っていたら突然洗面台の鏡が光ってな。気がついたらここにいた」

「どこの軍人さんなの?」

「オシリア国のフェルナール軍だ。大国だからな。知らない奴はいないだろ」

オシリア国。聞いたことがない。それはたぶん、アイナの世界にはない国だ。

「オシリア国なんて知らないわ。私は日本の大学生だったの」

「ニホン……?」

ルシフェルも聞いたことがないらしく、首を傾げた。

「私たち、たぶんお互いに違う世界の人間よ」

アイナはソファーに腰かけて真剣な顔をする。そして一番聞きたかったことを口にした。

「ねえルシフェル。あなた『バレンシア学園の神乙女』って、知ってる………?」

「?聞いたことがないが……」

顎に手を宛て悩む顔に嘘偽りはない。本当に知らないようだった。それがわかった途端アイナはパッと表情を明らめた。

「そっか!そうよね!当然ね!ありがとうルシフェル、これから大変だけど一緒に頑張りましょ!」

手を強引に両手でギュッと握ってまた明日色々お話しましょ!と元気に部屋を後にする。

部屋へと戻る道すがら、アイナは確信めいたものを感じていた。

ルシフェル・レイアート。

彼の存在はイレギュラーではあるけれど、ゲームで考えれば納得のいくものだった。

「彼は新しい攻略キャラクターなんだわ……」

何故現れたかはわからないが、そう考えれば何も不思議なことではない。

異世界から同じように召喚され、そしてヒロインと同じ苦楽を共にする。

他のキャラクターとは違う魅力を持った青年。

なんて美味しい設定だろうか。

「これは間違いなく追加要素ってやつね……何よ、ワクワクするじゃない」

ルシフェル。彼もまた、アイナと恋愛に発展するルートを持っているのだ。

ここでこの世界は自分がプレイしていたゲームなの!という無粋なネタばらしはしない。

既存のプレイを楽しみながら、新キャラクターとの未知のプレイも楽しめる。

神がいるのなら粋なことをしてくれる、とアイナは今にも空を飛んでしまえそうなほどの有頂天に浸った。












その朝、アルフレドに呼ばれて部屋へと案内されるアイナとルシフェル。

手渡されたのは、アイナにとっては見覚えのある制服だった。

(バレンシア学園の制服だわ…!このデザイン可愛くて好きだったのよね!)

「突然のことですみません。この制服は、私が生徒会長を務めさせて頂いているバレンシア学園のものです。貴方がたには、今日から我が校へと通って頂きたく思います」

「はい、喜んで」

にっこりと微笑むアイナにアルフレドはホッと胸を撫で下ろしている。普通は何故?!となるものだが、敢えて落ち着いた対応を心がける。アルフレドルートのために。

だがルシフェルは違うらしく、制服を見下ろし眉間にシワを寄せていた。

「ルシフェル?どうしたの?」

「………あんたの来てるそれを、俺にも着ろって言うのか」

「はい。嫌……ですか……?」

まるで子犬が耳を垂らすように心配そうに見つめる顔にアイナはキュンキュンしているが、ルシフェルはそうはいかない。

「嫌に決まってる。俺は27歳だぞ。そんな派手な服が着れるか」

「27歳!?」

流石にそれにはアイナもアルフレドも驚きに目をパチパチさせる。やたら落ち着いているとは思っていたが、まさか9歳も年上だったとは。

アルフレドはアイナよりも一つ年下なのだが、そこはサバを読むことに決めている。

「不思議ですね……代々の神子は皆さん十代だと聞き伝えられていますが……」

「じゃあ俺は神子じゃないんだろ」

「それは有り得ません!あの魔方陣は光の性質を持っていない限り一歩も踏み込めないようになっています。ルシフェル様は間違いなく光の神子です」

そう熱弁するアルフレドに嫌な顔をして、ルシフェルは溜め息を吐いた。

「通わなければならない理由があるのか?」

「はい。光の神子様は代々、何故か魔法にまったく縁のない世界からやって参ります。それ故に魔力の使い方が未熟であり、基礎から短期間ですべて学ぶ必要があります」

(そうなのよね……)

ゲームの世界でも主人公は一年の間に様々なパラメーターを育て、学力、運動、芸術、他、などを伸ばしていく。それが各々の攻略キャラクターにも繋がっていく訳だが、このアルフレドに関してはすべてのパラメーターが平均以上でなくてはならない。それが意外に難しく、友情エンドで終わるなど苦い失敗もしたものだ。

「ここに講師を呼ぶよりも、学園には必要な人材が何時でも揃っています。教師や専門分野に特化した生徒会のメンバーに特別授業をして貰い、騎士団長に剣技を習い、魔法の扱いを覚えて頂くのが一番の近道かと思われます。それに、闇の化身に怯える我が校の生徒にも光の神子の存在は希望の光となり更なる精進に繋がりましょう」

「…………話はわかった。それなら仕方ない」

物凄く嫌そうな顔をしながらルシフェルは手元の制服を見下ろしている。それが何だか面白く、アイナは下品にならない程度に笑った。

「きっと似合うわルシフェル、貴方27歳には見えないもの」

「そう言うあんたは何歳なんだ?」

「17歳よ」

「私と同じですね」

「はい!」

嘘ですが。

アイナはアルフレドと同じ17歳としてこれから生きることに決めた。

「ルシフェル様、貴方も17歳ということにしておきましょう。周りの者ともその方が早く馴染めると思いますので」

「無理があるだろ」

「言わなきゃ騙されるものよ、人間なんて」

「……………」

ルシフェルはようやく観念したのか、着替えてくると部屋を後にした。

アイナもそれに続く。

「ねえルシフェル。あ、ルシフェルさんって呼ぶべきかしら」

「ルシフェルでいい。……それにしても、あんたやたらと落ち着いているな。こんなトンでも世界に呼ばれてるのに」

「アイナって呼んで。あら、あなたもよっぽど落ち着いて見えるけど?」

「もともとこんな性分だ。実際はついていけてない」

話ながらもアイナはルシフェルの性格タイプを観察していた。

(クールに見えて実はそうでもない?でも照れたりする可愛い感じでもないのよね。ふーん…………新しいわ)

「あんたは何でそんなに楽しそうなんだ?」

「えっ楽しそう?そうかしら」

「顔に出てる」

「ふふっ秘密よ」

なんて意味深な女を演じてみるも、ルシフェルから何の反応もなかった。

(攻略しがいがありそうね)

とポジティブに取り、それぞれの部屋に着替えに別れた。












着替えた二人は朝食を済ませてアルフレドに案内されバレンシア学園へと足を踏み入れた。

アイナは口には勿論出さないが興奮に目を輝かせている。

(きゃーーっ夢にまで見たバレンシア学園……!なんて素敵な場所なの!)

そこは名門通う、名高き王立学校。魔法に優れた者は勿論、貴族達がこぞって通う由緒ある学園である。庶民の憧れの的であり、魔法を磨きながらここに通うことを夢見ているのだ。

その特別枠として、更に憧れられる存在としてアルフレドに連れられるアイナとルシフェルの姿を見止めると在校生達が歓喜の声を上げた。

アルフレドは職員室に向かい、そこで二人を紹介する。そして担任に預けて生徒会室へと向かって行った。

「初めまして、光の神子様方。担任を務めさせて頂くレオライナー・オリスです。貴女方に知識を授けられることを光栄に思います」

にこりと感じよく笑う担任のレオライナー。勿論彼も攻略キャラクターである。

半分オールバックにしたような茶色の髪に、鷲目の瞳。一見笑顔の似合う優しそうな紳士といった風体だ。だが実は少々遊び人で、ヒロインにもその色気で迫る女好き。しかし、それも昔のトラウマから由来するもの。仲を深めるうちにヒロインだけに心を開くようになり、後半の一途さと言ったら萌えの一言に尽きるキャラクターなのである。

(レオ様、やっぱり色気があるわね……)

香水の甘い香りもそう感じさせる一因ではあるが。同じく独特な色気のある隣のルシフェルは、黙ってレオライナーの顔を見るのみである。

(あら……確かレオ様って27歳じゃなかった?ルシフェル同い年じゃない)

違う色気を有した二人を見比べ、27歳ってムンムン魅力が外に溢れる年齢なのかしら、と明後日の方向へと新たな発見をする。

一人は喋る気配なく、もう一人は自分と隣の生徒を見比べる仕草をする。レオライナーは笑ってはいるが困った色も滲ませた。

「えーと、自己紹介してくれると有り難いんだが」

ハッとしてアイナは慌てて姿勢を正す。

「すみません!え、と、私はアイナと申します。これからご指導、ご鞭撻のほど宜しくお願いします」

ペコッと一礼して見せる。教師なだけあって、実は礼儀にも厳しい面があるキャラクターである。勿論成績が良ければ良いほどレオライナーとの仲も深まるシステムだ。

逆ハーレムを目指してこの教師好みの女になる必要がある。

アイナが自己紹介を終えると「はいよろしく」と満足そうな笑顔。

そしてルシフェルはと言えば、レオライナーの評価などどうでも良いというように一言。

「ルシフェルです。よろしく」

と無機質に答えた。

これにはわかりやすく困ったようにレオライナーは頭を掻いた。

「クラスでもしっかり挨拶はするように。これは光の神子だろうが何だろうが関係ないよ。それと、俺は普通に教師と生徒として君たちに接するつもりだ。多少の不敬は許してくれたまえ」

「そんな、当然です。私達も頑張って先生の期待に応えます」

そんなアイナの優等生発言が好印象だったのか、レオライナーはよしよし、と笑った。

「それじゃあクラスに案内するよ。ついておいで」

職員室をあとにして、これから通うことになるクラスへと案内された。












クラスでの自己紹介を終えると同時に、生徒達が大挙してアイナとルシフェルを囲んだ。

「光の神子様と同じクラスになれるなんて夢のようです!」

「私達をどうかお救いください!」

とまるで宗教の教祖様にすがるような勢いである。それもそのはず。彼らは幼い頃より闇の化身が世に現れ、そして自分たちと同じ世代の神子が降臨することを聞かされて育ったのだ。そんな待ち焦がれた存在がまさか同じクラスになるなんて!と半ば狂気すら感じる。

たじたじした様子を見せてはいるが、満更でもないアイナ。

「私達、同い年じゃない。みんな喋り方も気にしなくていいわ。仲良くしましょ?」

ちょっと違うけど。と内心舌を出す。何せ18歳と27歳である。

アイナの提案を皆嬉々として受け入れあの神子様と友達になれるなんて!と皆の頭の中は兄弟、はたまた別の学校の友人に自慢することで頭がいっぱいだ。

「あの、ルシフェル君って呼んでもいい……?」

ルシフェルの側に寄っていた女生徒が、頬を赤らめながらそう提案する。アイナは少しム、と口角を下げた。

(私の攻略キャラクターに女だしてるんじゃないわよ、モブ女)

と中々にキツイ悪態をつく。

ルシフェルは気にするでもなく「ああ」と短くそう答えた。もれなくその女生徒だけでなく、他の女生徒も頬を染め黄色い声を上げた。

ルシフェルは綺麗な顔をしている。そしてクールな態度もそれによく似合っていて、一日目からすでに女生徒たちの注目の的だった。対するアイナも男子生徒から明らかに好意的に「アイナちゃん」と呼ばれるも、そこに何のときめきもない。

(モテるのは嬉しいけど、攻略キャラクター達じゃないと意味ないのよね)

皆覚えられないようなボヤッとした顔してるし、と辛口に評価する。

だがルシフェルは違う。

この世界がゲームだと知らぬが故に他の女生徒にうつつを抜かすことも有り得る存在なのだ。攻略キャラクターはヒロインに一途であるべき、というのがアイナの心情。横から出てきたモブに取られるのは我慢成らない。

アイナは立ち上がり、ルシフェルの腕を掴んだ。

「皆、ごめんなさい。今から少し二人で話があるから席を外すわね」

神子たちの話に入り込める訳もなく、喜んで送り出すクラスメート達。

授業が始まるまでと庭園まで引っ張って行った。

「どうした?」

「いえ、ね。こらからの私達の身の振り方を考えなくちゃ」

「身の振り方?」

「私達ってば、曲がりなりにも神子でしょ?慎みを持つべきだと思うの。クラスメートと遊びに行ったりだとかは魔の化身を退治してから考えましょ?あ、アルフレド様とか、今から関わる男のひと達は仕方ないとして」

「今から関わる……?ああ、あの王子が言ってた生徒会のメンバーやら騎士団長やらのことか」

「そうそう、息が詰まったら私が一緒に遊びにいってあげるから」

これから深く関わるのは攻略キャラクターの男性のみ。女性キャラクターは一切出てこないのだ。アイナは男性と遊ぶが、ルシフェルは女性と遊べない。何ともズルい提案である。

それでもルシフェルは別段気にするでもなく頷いた。

「もともと誰とも遊ぶ気なんかない。俺はさっさと役目を終えるだけだ」

「あなたって淡々としてるわよね……もしかして、終わったら元の世界に帰れると思ってる?」

「どっちでもいいが………帰れないと知ってる口ぶりだな」

「え……?!ええと、確かアルフレド様が言ってたのよ!帰った神子は居ないって」

「ふーん。だったら事が終わって住む場所と生活手段さえ提供してくれたら文句ないなこっちは」

話せば話すほどルシフェルは淡々
、というよりむしろ冷め切っていた。元の世界に何の未練も愛着もないように。アイナもそこは気になるところで。

「ルシフェルって、元の世界嫌いだったの?」

「別に。どっちでもない」

「普通親に会いたいとか、友達に会いたいとか思わない?」

「思わない。軍での生活が長すぎてそんなもの麻痺した。元より根なし草だからな俺は」

「根なし草……?」

その意味がよくわからなくて首を傾げる。そうは言っても大学生。まだ子供の域なのだ。ルシフェルはくす、と笑った。

「知らなくていいこともあるんだよ。あんたも」

だがアイナはと言えば、初めて見たルシフェルの笑みにドキッと胸を高鳴らせていた。

(かっこいい……)

普段表情を崩さない人間が見せる笑顔ほどときめくものはない。それと同時に意味深な台詞。謎の多いキャラクターほど魅力が深まる。明らかに、アイナがプレイしたバレンシア学園の神乙女には登場しなかったタイプのキャラクターだった。

(ダメよアイナ!私にはアルフレド様という心に決めたお方がいるんだから)

心で叱咤しつつも、顔はデレデレ。説得力のない娘である。

「そろそろ戻るぞ」

「あっうん」

ときめきを感じつつ、初めての授業を受けるために小走りで教室に戻った。









大学生と軍人が異世界に呼ばれまして1

大学生と軍人が異世界に呼ばれまして






目を覚ませば、そこは異世界だった。







美しい装飾に彩られた白を基調とした部屋。同じく白を基調とした、座れば滑らかな心地のソファーに一人の少女が腰かけていた。

肩に掛かるサラサラの黒髪。大きめの黒目。肌の白さがそれを更に愛らしく際立たせている。

少女はキョロキョロと落ち着きなく辺りを見回して、傍目から見ても興奮しているのがわかる。遂には立ち上がって部屋をくるくると歩き始めた。

そうこうしている内にドアのノックする音が聞こえ、少女はビクリと肩を震わせ慌てて元いた場所へ座りなおす。ささっと乱れた髪を手櫛で整えるのも忘れない。
小さく控えめに「はい」と応えれば扉が静かに開く。

現れたのは輝くような白金(プラチナ)の髪を揺らし、鮮やかな蒼を讃える瞳の少年。人好きのする柔らかい表情はその者の内面を如実に表しているようだった。

少女はその姿を見や否やキラキラと目を輝かせる。

言葉を先に開いたのは少年のほうだった。

「お待たせして申し訳ありませんでした。何せ城中大騒ぎだったもので……」

本当に申し訳なさそうに頭を下げる少年に少女は慌てて首を振る。

「とんでもありません!私こそ、来たばかりなのにこんなによくして下さって……」

少女の目の前には温かい紅茶と色鮮やかなクッキーがあった。過去形なのは、それが既にきっちり完食済だからである。

言葉は丁寧だが口端にクッキーのクズが付いている辺り余り様にはならない。

目を丸くする少年の視線に気がつき、自分の口元を真っ赤になりながら慌てて拭った。

「ごめんなさい……っ私ったら美味しくてつい……」

そんな少女の様子に不快感を示すでもなく、少年はクスリと上品に笑って見せた。

「気に入って下さってありがとうございます。パティシエが喜びます」

その柔らかい陽射しのような笑顔に少女は頬を赤らめた。少年は扉を閉め、そして改めるように少女にうやうやしく頭を垂れた。

「父が………王が只今他国へ渡っております故、私などでは役不足なのは承知しています。その上で無礼をお許しください」

一呼吸置いた後、少年は力強い言葉で続けた。

「私はバレンシア王国の第一王子、アルフレド・バレンシアと申します。光の神子の再来、筆舌に尽くしがたいほどの歓びに震えております」

そして、と少年は凛とした顔を上げる。

「この国をどうかお救いください、光の神子様」

少女はその光景に目を細め、小さく微笑んだ。







少女の名は愛名。

年齢は18歳。比較的仲のよい両親のもとに産まれ、一人っ子故に制限されることなく自由に育ってきた。そんな少女にはある熱狂的な趣味があった。

「まさかバレンシア学園の世界に飛ばされるなんて……夢みたい……!!」

彼女のために用意された部屋は一人部屋と呼ぶにはあまりに広く、生活に必要なものはなに不自由なくすべて揃っていた。

据え置きのお菓子や、化粧品。クローゼットにはどんな趣味にも対応出来そうなドレスの束。本物の宝石があしらわれた小物入れには、これまた美しいアクセサリーが幾つも入っている。

愛名はそれらを一通り堪能した後、四回転ほど転がれそうなベッドに横になり枕を抱えてぐふふと下品な笑いを噛み締めていた。

「異世界ものとか、転生とかやたら流行ってたけど、まさか本当にこんなことがあるなんて……」

そう、愛名は別の世界から来た少女だった。

大学の講義が終わり、何時ものようにバイトへ向かうために自転車を走らせる愛名。途中の踏み切りで電車が通りすぎるのを待っている時、高速で通りすぎていく電車から突然強い光の反射を受けて堪らず目を閉じた。

ようやく目を開いた時すでにそこは踏み切りではなく、花と緑とお城の佇むファンタジーな光景。それが目の前一杯に広がっていたのだ。

「死んだわけじゃ、ないんだよね……」

確かめるように体に触れ、何ならついでに頬もつねってみる。

「痛いわ……やっぱり現実なのね」

だがそう呟く愛名の瞳に絶望の色など微塵もなくむしろ輝いてさえ見える。普通ならば知らぬ場所に一人放り込まれ怯えるはずなのだろうが、この広い部屋も城も、実は見るのは初めてではない。

それもその筈。

この世界は、愛名の趣味であった所謂乙女ゲームの世界。

中でも一番やり込んだ恋愛シミュレーションゲーム『バレンシア学園の神乙女』というタイトルの世界そのままなのだ。

ゲームのヒロインは光の神子としてこのバレンシア王国に召喚される。三千年前、突如闇の化身と呼ばれる化物が現れ世界を蝕んでいた。しかし闇の存在に既存の魔法は効かず一度世界は滅びかける。

そんな時、偉大な賢者が召喚魔法にて異世界から呼び出した者には、闇を打ち消せる光魔法が扱えた。滅びかけ絶望した世界に光が降り注ぎ、そして世界は救われた。

偉大な召喚士は再び闇の化身が現れた時は、異世界から光の神子をお呼びしなさいとこのバレンシア王国の王家に言い伝えさせた。そしてそれは千年周期にやってくる。

愛名が呼ばれたと言うことは、つまりそういうことなのである。

学園に通いながら自らを磨き闇の化身と戦う。普通の暮らしをしてきた少女には荷の重い話なのだが、愛名にはその部分はいまいち現実味がないもので。

そして転生ものも見尽くしてしまったせいか、さして驚きも沸かずにストンと胸に納得が下る。頭のなかには今から繰り広げられる学園生活でいっぱいだった。

「あぁ……アルフレド様が現実に、目の前に現れるなんて……」

数多の乙女ゲームを制してきた愛名だが、中でもアルフレドは特別な存在だった。乙女ゲームを初めて手に取った時、初めてプレイした想い出のキャラクター。メインキャラクターは強気な俺様として描かれることの多い昨今、アルフレドは優しく、誠実で、民のことを誰よりも想っている。現実世界の女の子が最も理想とするキャラクターだった。

どんな新作が出ようと、流行りに一時流されようとも、愛名の中でアルフレドは不動の恋人。その人が目の前に現れたのだから、興奮せずには居られない。

「私の想いが現実になったのね……神様、ありがとう……」

アルフレドのような人が現れたら……アルフレドのような優しい人が。むしろ、アルフレドが現実に存在したなら。

そんな妄想を幾重重ねてきたかわからない。現実にアルフレドのような人間は勿論存在せず、それが普通だとも受け入れていた。

しかし、想った人は今目の前にいる。

「待っていて、アルフレド様。私あなたのルートは本当に数えきれないほどプレイしたの。必ず后になってみせるわ」

愛名は起き上がり、決意を固めたようにグッと手を握りしめた。

「それに……他のキャラクターにも逢えるのよね……」

アルフレド一筋とは言え、勿論他のキャラクター達も攻略済。どんな性格をしているのか、どんなものが好みなのかは把握している。浮気する訳ではないが、それなりにモテてみたいと思うのは乙女の心情。

「だってゲームの世界ですもの、ちょっと他の男に好意を持たれるくらい良いわよね」

フフっと別の楽しみも沸いて、愛名は再びゴロゴロとベッドを転がった。

思い浮かべる攻略キャラクターたち。

生徒会長であるアルフレドの下で働く三貴族の少年達。大人の余裕と色気のある教師。バレンシアを守る堅実な騎士団長。隠しキャラである闇の貴公子。

アルフレドが突出してはいるが、他のキャラクター達も一度は恋人になったことがあるわけで。愛着は他のゲームの比ではない。

「みんなとは友達以上恋人未満で遊んで、最後はアルフレド様と結婚よ!最高じゃない!」

愛名も若い年頃の少女。そんな邪な想いを抱くのも致しかたないことで。自分を巡って男が争い合うなど一度は夢見るシチュエーションだった。

「ええと……ちゃんと思い出すのよ愛名。確かこの世界に召喚されたヒロインは次の日から学園に通うことになるのよね……」

そうゲームの流れを思い起こしていると、窓の外が何やら騒がしいことに気がつく。














双生の星




ガタンと馬車が揺れる。

春の温かな陽気の微睡みに浸りながらその揺れに目を薄く開く。

「まだ寝ていていいぞ」

隣で柔らかく微笑むのは、ルシフェルと現在恋仲であるオズマ・ランディールだ。ルシフェルは自分がいつの間にか眠っていたことを自覚して背筋を伸ばす。

「悪いな……眠ってたのか」

「構わん。長旅に付き合わせているのは俺の方だ。それに………お前の寝顔を眺められて幸せだ」

そんな歯の浮くような台詞を天然で垂れ流す恐ろしい男に、ルシフェルは呆れと共に肩を竦めた。

「そういう言葉は基本女にしか言わないほうがいいぞ」

「な……っ、お、お前以外に言うわけないだろうこんな事」

ようやく自覚したのか今更恥ずかしがるオズマに、今度はルシフェルが思わず笑む。

ルシフェル達が今向かっているのはオズマの故郷であるメルシエという村だ。ただの村ではない。そこは代々国に仕える由緒あるランディール家を公爵とした、幾人も優秀な騎士の若者を排出したきた歴史のある場所である。

農業も盛んな村の収穫祭にオズマにどうしてもと誘われ、この度ルシフェルもついていく事になったのだが。

「お前が休暇を取るなんて珍しいって、アルが言ってたぞ」

「…まあな。収穫祭もだが……前からお前に俺の故郷を見て欲しいと思っていたんだ」

「ふーん……故郷ね」

外の景色を眺める。

黄色の美しい花がまるでオズマを歓迎するように花道を作っている。

しばらくその景色に目を細めていると、それらしい建物が見えてきた。

「あれがメルシエ村の風車だ。古いがまだ現役みたいだな」

「到着したのか?」

「ああ。のどかで、いい村だぞ」

「……そうか」

オズマの温かな表情に、故郷ではいい思い出が多いのだろうとルシフェルは少しの憧憬を覚える。自分の記憶の中の故郷にいい思い出などはない。過去を捨て去った己からすれば、帰る場所があるオズマを少しだけ羨ましくも思った。


















「オズマ坊っちゃんお帰りなさい!」

村の一番奥にある一際大きい屋敷。そこに馬車をつけ、案内されるまま屋敷に足を踏み入れた途端に黄色い声がオズマを歓迎した。若い使用人から、老齢の庭師までが嬉しそうにオズマを取り囲む。

その中の五十代の、恐らく一番ベテランであろう使用人の女性がオズマの手を取った。

「急にお帰りになられると聞いてびっくり致しました。皆首を長くして待ち兼ねておりましたよ」

「すまないミランダ、たまには故郷の収穫祭を手伝いたくなってな」

「オズマ坊っちゃんが帰られると聞いて奥様が跳び跳ねて喜んでおられましたよ!」

「そ、そうか……母上は今どこに?」

「旦那様を引っ張ってどこかへお出掛けになられました」

「遅かったか……あれだけ何もしなくていいと言ったのに……」

はあ……、と指で額を抑え深い溜め息を吐く。ふと、使用人達が後ろに立つルシフェルに気がついた。

「オズマ坊っちゃん、その方は?」

「ああ……この人はルシフェル。収穫祭を手伝いに来てくれたバレンティノの学生だ」

「ルシフェル・レイアートです。お世話になります」

この世界に来て半年。未だ光の使徒などと何度呼ばれても慣れないし、わざわざ言いふらすことでもない。むしろ知られたくないとルシフェルはオズマに事前に釘を刺していた。ルシフェルを光の使徒だと堂々と紹介したかったオズマだが、ルシフェルがそれを望まないならばそれに従う他ない。

オズマの紹介ににこやかにルシフェルの手を握るミランダ。

「メイド達を取りまとめさせて貰っているメイド長のミランダです。ルシフェルさん、ようこそいらっしゃいました」

「収穫祭を手伝うのをとても楽しみにして来ました」

そう答えた途端にミランダは半ば興奮ぎみに握った手をぶんぶんと上下に振る。

「若いのに手伝いだなんて偉いわ!それに見たことないくらいとっても綺麗な子!そう思いませんかオズマ坊っちゃんっ」

ミランダがキラキラとルシフェルを見つめ他意なくそう振るものだから、オズマは思わず頬を染めながら咳払いした。

「ミ、ミランダ。そのへんでいいだろう。そろそろ手を離してやってくれないか」

「あらっ私ったら!ごめんなさいね、若い男の子の手なんか久しく握らないものだから」

やだーと手をヒラヒラさせ年相応のジェスチャーを加えながら離れる。ルシフェルは構いません、とその陽気さに密かに心和ませた。

「オズマ坊っちゃん、お帰りなさい」

奥の部屋から駆けてきたのは初老の男性。ロマンスグレーの品のある紳士だ。

「今帰った。元気だったかフェリス」

「はい、とても。オズマ坊っちゃんも以前よりもより精悍な顔つきになられましたね」

「たかだか二年だ。そこまで変わりないだろ?」

「いえ。このフェリスにはわかります。もしや……」

何か言い掛けた言葉の先を何となく察したオズマは、それを遮るように荷物をドンと置いた。フェリスはハッとして、直ぐにルシフェルに一礼する。

「お客様を前に申し訳ありません。わたくし、この屋敷に仕えさせて頂いている執事のフェリスでございます」

「ルシフェル・レイアートです。この数日、お世話になります」

「ではレイアート様、荷物は我々が部屋に運んでおきますのでオズマ坊っちゃんとお部屋でしばらくおくつろぎ下さい」

「ありがとうございます」

「宜しく頼む」

執事のフェリスはペコリと一礼し荷物一式を先に部屋へと運んでいく。通された客間のソファーに座りルシフェルは部屋を見回した。

「立派な屋敷だな。流石は候爵様の家」

「候爵と銘打ってはいるが昔から贅沢とは無縁でな。父がバリバリの武人で華やかな世界に興味が無いのが要因だが」

「勿体ないな。財も貰っているだろうに」

「何より立派な武人を排出するのが生き甲斐の人なんだ。財はほとんど必要な道具や弟子を食わせるために使っている。俺達も昔はその中でコッテリ絞られて毎日泣かされたものだ」

「…………俺達?」

「ああ……いや、何でもない」

達、という言葉に違和感を感じ不思議に思うも、ノックの音に消されるほどの些細な違和感で。

「紅茶とお菓子をお持ちしました」

「すまない。置いておいてくれ」

フェリスは丁寧に、テーブルの上にティーカップと皿に盛られたクッキーを並べていく。

「……父上達はいつ戻るだろうか」

「恐らく奥様のお買い物があと一時間ほど掛かると思うので、最低でも二時間はお戻りになられないかと」

「そうか。お前の見立てはいつも正しいからな」

「いえ。オズマ坊っちゃんが久方ぶりにお帰りになられて皆本当に喜んでおられます」

「俺も元気な姿が見られて安心した。夕食を楽しみにしている」

「シェフと相談致します。レイアート様はお好きな食材と何かお嫌いな食材はございますか?」

「ないです」

「畏まりました」

にこりと微笑み、姿勢の良いお辞儀をしてフェリスは部屋を後にする。ドカッと隣に座ったオズマの脚をぽん、と蹴った。

「慕われているんだな、オズマ坊っちゃんは」

「おい茶化すなよ。……まあ、皆俺が子供の頃から屋敷に仕えてくれている者ばかりでな。既に家族のようなものだ。フェリスが初めてこの屋敷に来たのは確か俺が五歳の頃だったか」

紅茶とクッキーを口にしながら、ルシフェルは懐かしむオズマを眺める。

「帰る場所があるのはいいもんだな」

「お前にもあっただろ?」

「俺は故郷を棄てたクチだから。軍隊がすべてだった」

そんな話をしたことが無かった事をオズマは今になって思う。ソファーに預けていた身を思わず起こした。

「家族は?」

「父親はさっさと死んで、母親は子供を捨ててどっかの富豪と再婚。兄は警察官で…まあ器用な奴だから逞しく生きてるんだろ」

そう淡々と他人事のように語るルシフェルにオズマは目を見開く。

「すまない…知らなかった」

「何で謝るんだ?どうせこの世界に来た時点で、俺とアイナに故郷は無い。むしろ別れを惜しむ相手が居ない俺のほうが気楽なもんだ」

肩を竦めて何でもない風のルシフェルにオズマは堪らない気持ちに駆られる。

「寂しくは……ないか」

「全然。俺は欠落した人間だから」

「お前は欠落してなんかない」

「さあ?俺の胸の内なんかお前にはわからないだろ?」

体を近づけオズマは真剣な顔でルシフェルを見つめる。

「俺がお前の帰る場所になる。俺の帰る場所も、お前だけだ」

熱い瞳で見つめられ囁かれるも、ルシフェルは感情のこもらない言葉を返す。

「涙の出るようなお言葉どうもありがとう」

「……本気で言っているつもりなんだが」

不満そうな顔をする男の首に両腕を回してルシフェルは挑発するようにくす、と笑った。

「馬鹿だな。前から言ってるだろ?俺は根なし草」

「ルシフェル……」

色香に当てられうっとりとルシフェルを見つめる欲情の瞳。自然とその腰を抱き締める。

オズマの後頭部を優しく、いやらしく撫で誘うような指先。

だが囁く言葉は残酷で。

「他にいい男が居れば、お前なんか直ぐにサヨナラだ」

うっとりとした瞳も、ルシフェルの言葉に途端ギラギラとした色を浮かばせる。

オズマは己のことを冷めた人間だと思っていた。

愛や恋などという浮わついたものに興味も沸かず、女性との交流の場に誘われても断るのが常。堅物過ぎると同僚たちに心配されてきたものだった。

ひたすらに武を磨き続けること。

バレンティノ王国を守るために皆の手本のような騎士であり続けることだけが生き甲斐であり、それが自分の人生だと信じて疑わなかった。

故に親から幾度結婚の話を持ち掛けられても、どんな美しい女性を紹介されても心動かない。むしろそれを面倒に思って父や母をずっと避けていたのに。

だが、今はどうだろうか。

この妖艶な恋人を前にすると箍が外れ自制が効かなくなってしまう。誰かのものになるなど、想像しただけで己がおぞましい化物になってしまう気さえした。

「俺は……お前を手放す気なんかない」

「俺に決定権はないのか?そんな一方的な男は嫌いだ」

「どうしたんだルシフェル、何故そんなことを突然……」

不安感から腰を強めに抱き締める。その圧迫にルシフェルは小さく息をついた。

「別に……ただ言ってみたかっただけだ。気にするな」

オズマの頬を撫で、その唇に唇を重ねる。そうすれば、オズマは少しだけホッとしたようにそれに応えた。

ただ本当に思っている。

オズマを真に愛する女性が現れれば躊躇なく離れよう、と。

こんな関係はいっそまやかし。

一度離れてしまえば、なんてことはなかったとオズマも思うはずだと。















収穫祭は三日に渡って開かれる。広大で肥沃な土地に育った麦を村の皆で文字通り収穫するのだ。

その前夜祭が今日の夜行われる。日もそろそろ暮れ始め、しかし村の広場には炎魔法で灯りが点され準備は着々と進んでいた。豪華なバイキング形式のご馳走や、後で打ち上げるのであろう花火がこれでもかと揃えられている。

オズマに案内され、賑やかな広場を眺める。

小さな村と侮るなかれ、そんな言葉がふとルシフェルの頭に浮かんだ。

流石は多くの騎士を輩出するだけのことはある。周りを見渡せば鍛え抜かれた若者が精力的に参加している。他所からやってきた盗賊が金目当てに襲おうものなら、つついた藪から飛び出すのは蛇ではなく熊だ。

「若者がこんなにいる村も珍しいな」

ぽつんと溢したルシフェルの言葉にオズマは可笑しそうに同意する。

「普通は大きな街へと出ていくものだからな。この村は例外だ。逆に多くの若者が志願しにくるものだ」

「そんなに来られたら村が街になるんじゃないか?」

「すべてを受け入れる訳じゃない。定員は毎年決まっている。父の眼鏡に敵った者だけが入村を許されるようになっている」

オズマの父。

出掛けているらしくまだ姿は知らないが、屈強な騎士を育成しているほどだ。見た目は想像に難くない。

「お前の父親も騎士団長だったのか?」

「ああ。祖父が亡くなり十年前に引退したが、今でも戻って欲しいと言う声は少なくない」

「そんなこと言われて嫌じゃないのか」

現団長はオズマだ。それを聞いて不快に思わないのだろうか。

ルシフェルの視線にオズマはああ、と思い出したかのような声を上げる。

「俺も父の下騎士団に所属していたからな。比べられるのもむしろおこがましいくらいだと思っている。父はそれほどに優れた武人だ。俺程度、まだまだ敵わないさ」

自分の父親を尊敬し称える息子も珍しい。そういえばアルも父王に憧れ尊敬していると目を輝かせながら言っていた。

父の記憶が曖昧なルシフェルからすれば、自分が知らないだけで普通はそんなものなのか?と少し首を捻る。

「そういえばお前の両親はまだ帰らないのか?」

「………ああ。そのようだ。お前を早く紹介したいんだが」

「間違っても恋人とか言うなよ」

「なっ……そ、それはだな……」

途端に慌てるオズマにルシフェルは溜め息を吐いた。

言っておいて良かった。

会って早々「付き合っています」なんて公表されようものなら二度とこの村の敷居は跨げないだろう。

「どうせなら愛嬌たっぷりの可愛い女を紹介してやれよ。俺みたいな無愛想で、しかも男を紹介なんかしてみろ?俺はお前の父親に殺される気しかしないぞ」

「そんなことはない。俺は二人を信じている」

「受け入れてくれるって?無理あるだろ」

オズマは心外だと言わんばかりにムッとする。

「父も母も話のわかる人だ。きっと理解してくれる」

「もしかしてお前、そのために俺をここに?」

「…………………………………そうだ」

たっぷりの沈黙の後、肯定される。

はあ、と今度はわざとらしく肩まで竦めて見せる。真っ直ぐであることは勿論長所だが、ここまで尖れとは誰も言っていない。

「収穫祭とやらはついでだったんだな。呆れる」

「故郷を見て欲しかったのは本心だ。祭りも勿論お前と参加したかった。ただ……まあ、挨拶は早いに越したことはないだろうと……」

「俺お前のプロポーズ断ってるだろ」

「そ……!それは、そうだが……付き合っているのは確かだ。恋人を紹介して何が悪い」

開き直ったなコイツ、とルシフェルはやれやれと内心首を横に振った。

「もし誤って恋人だなんて紹介してみろ。俺は一人歩いて城下まで帰るからな」

何かを物凄く言いたげなオズマだったが、後ろから声を掛けられそれは叶わなかった。

「オズマ坊っちゃん」

フェリスだ。

「申し訳ありません、ちょっとよろしいですか?」

「あ、……ああ。すまないルシフェル。ここでちょっと待っていてくれ」

ルシフェルに後ろ髪を引かれる想いをしながらも、呼ばれるままオズマはフェリスについていった。

そうこうしている内にあっという間に空は闇色に染まり、点されている炎魔法がようやく本領発揮とばかりに温かく辺りを照らす。

待っていろ、と言われたものの周囲を散策するのは許されるだろう。

ルシフェルは目的もなく歩き始めた。

皆顔見知りである故に、見たことのないルシフェルを村人達は時々チラチラと気にしている。かと言って声を掛けられる訳でもないのでこちらからも敢えて触れない。

ドンっと背中に誰かがぶつかってくるまでは。

まあまあな衝撃が背中を走る。ルシフェルは何事かと視線を素早く巡らせた。

「ごめんなさい……!!!」

だが直ぐに慌てたような謝罪が飛び込んできて、思わず耳を塞ぎたくなるほどの音量に目を剥く。

「急いでたもので……怪我はないですか!?」

ぶつかって来たのは肩まであるサラサラの赤毛を揺らす綺麗な女性だった。年は自分より少し上だろうか、とぼんやり考える。

「大丈夫です。あの、拾います」

女性が落とした荷物を拾い土埃を払う。

ようやっと真正面からルシフェルの顔を見た女性はまあ!と口に手を宛て驚いていた。

「あ、ごめんなさい。この辺じゃ見ない方だったので驚いてしまって」

「友人に連れられて今日から手伝いに来た者です」

「そうだったんですか。収穫祭なんて基本身内だけで楽しむ祭りなので、外から来た方が参加されるのは珍しくて」

「そうなんですか」

耳に髪を掛けた女性はありがとうございます、と荷物を受け取った。そのまま去るかと思いきや話を続けるようで。

「年はおいくつですか」

「………………17です」

27歳だと言いたい所だがフェリス達にも学生と言ってしまっている。多少老けて見えるだろうが、誰もが十代だと疑ってないだろう。バレた時が後々面倒そうなので統一するに越したことはない。

ルシフェルが年齢を口にするや否や女性はそうなのね!と明るく笑った。

「私より随分下じゃない。落ち着いてるからちょっと下くらいに思っちゃった」

正解だと言ってしまいたい。27にもなって17と言い張るのも中々メンタルを使う。

そんな事はつゆとも知らず、女性は手を差し出した。

「来てくれてありがとう。私はレミリア。どうせ狭い村なんだからまた会うことになるじゃない?先に自己紹介しておきましょう?」

どうやら明るい赤毛に霞むことなく、性格までも明るいらしい。ルシフェルは合理的な提案にそれもそうですね、と細い手を握った。

「ルシフェルです」

「宜しくねルシフェル。それじゃあ私はこれで」

ニコッと人好きのする笑顔を見せ、レミリアはまた慌てるようにどこかへ走り去って行った。

香水だろうか。甘い果実のような残り香がそこに暫く漂った。

さて、と何事も無かったようにルシフェルは再び散策を始める。

賑やかな広場から少し外れれば、そこは静寂に包まれた麦畑が視界一面に広がっている。

明日はこれを村の者総出で刈り取る作業が始まるのだ。

おおよそ同じ高さに成長した麦が風に煽られ同じ向きに靡く様は美しく荘厳でもある。明日には無くなってしまうと思うと、多少の勿体なさを感じた。

ふと、人影を見つけ目を凝らす。

広場では皆あんなに楽しそうに準備をしているのにこいつは何をしてるんだ、とルシフェルは不思議に思う。

だが直ぐに見知った顔だと気がつき、気安く話しかけた。

「お前、フェリスさんに呼ばれてどこかに行かなかったか?」

静かな通路にその声はよく響いたらしい。ゆっくり振り返りルシフェルを見る。

「こんなところで何やってるんだよ。もうすぐ前夜祭も始まるみたいだし、見に行かなくていいのか?」

「…………………」

話しかけても、返事がない。

確かにこちらを見てはいる。顔もよく見える。だがルシフェルを見るその目が、いつもと何か違う。

「…………?」

違和感を覚えるも、こちらに向かい歩き始めた姿に肩を竦める。

さっきの言葉….恋人として紹介するなと言った事を引きずっているのか。

それともフェリスに何か重大なことを告げられたとか。

まあ、本人に聞けばわかる話だ。

「オズマ」

そう声を掛けた瞬間、オズマは笑った。それは何時もの、どこか暖かさを滲ませる笑みでは決してない。ルシフェルは歩を止めた。

何かがおかしい。

だがオズマはずんずんとルシフェルに近づき、とうとう目前まで迫った。

そして。


「誰かと思ったが、お前オズマの知り合いか?」


オズマの、知り合い。

その言葉の意味がわからない。

どう見てもオズマは目の前の男だ。

まるで本人ではないような言葉が飛び出る違和感。

不可思議そうに訝るルシフェルの表情にオズマはさも面白いと言わんばかりに笑った。

笑い方すら何時もと違う。どちらかと言えばオズマは上品に笑う。今の笑いは……どこか下品だった。

「オズマ?」

確かめるように名を呼ぶと、オズマは首を横に振った。

「誰だか知らねぇが、俺はオズマじゃねぇぞ」

「オズマじゃない?」

「あいつから聞いてねーの?まあ、別にダチとする話でもないもんな」

頭を掻きながらなんとも間抜けな欠伸を一つ。何もかもがオズマと違うその仕草。それもその筈。

「俺の名は、テオドア・ランディール。オズマ・ランディールは俺の双子の兄貴だ」

初耳だった。

兄弟がいることすら知らなかった。

驚いているルシフェルの肩を、テオドアはバンバン叩く。

「はは!驚くなって!これでもオズマに間違えられることは滅多にないんだぜ?」

「俺には瓜二つにしか見えないんだが」

まだ驚いているルシフェルの様子に、テオドアは仕方ねぇなと腕を掴んだ。そのまま広場へと二人で向かう。

そして炎魔法で照らされたテオドアの姿に、ようやく合点がいった。

決定的に、色が違う。

さっきは暗がりでまったく分からなかったが、テオドアは身に纏う甲冑やマント。そして髪もすべて真っ黒だった。

「これでわかったろ?兄貴は金髪で俺は黒髪。顔はそりゃ一緒だが、見間違うことはねぇだろ」

「……確かに」

ようやく納得したルシフェルは、その顔を改めて見つめる。手を離したテオドアもルシフェルを見下ろした。

「お前兄貴のダチか?」

「ああ。収穫祭を手伝いに」

レミリアには敬語が咄嗟に出たが、オズマに似ているせいで言葉が普段通りになってしまう。

だが微塵も気にしていないらしいテオドアはへえ、と感嘆の声を漏らす。

「あんだけ王都から離れたがらねぇ堅物の兄貴が、ダチを地元に招待ねぇ。珍しいこともあるもんだ」

「たまには息抜きでもしたいんだろ」

「んな訳ねぇよ。兄貴には実家に寄りたがらねぇ理由があんのに」

「?そうなのか?」

「つーかさ、お前誰?」

思い出したかのようにテオドアは改めてルシフェルをまじまじと見る。そういえば自己紹介していなかったことを思い出す。

「ルシフェル・レイアート。一応バレンティノの学生だ」

「学生?へー、あいつそんな年下とダチな訳?妙なこともあるもんだな」

「……まあ色々とな」

「俺今帰ってきたばっかなんだが、兄貴は一緒じゃないのか?」

「フェリスさんに呼ばれてどっか行った」

「屋敷に行くっきゃねぇかな」

「……いや、どうやら戻ってきたみたいだぞ」

タイミングよくオズマが広場へ戻って来るのが見える。兄弟の感動の再会だな、とルシフェルは見物気分だ。

オズマはルシフェルを見つけると嬉しそうに手を上げて合図する。だがふと、隣に目をやった瞬間その場に足を止めた。

不思議に思いルシフェルはテオドアを見る。

その顔は不敵に笑っていた。

「よお、兄貴。久しぶり」

「テオドア……」

「何年ぶりだっけ?俺が屋敷を出る前には兄貴ももう居なかったしよ。四年くらいは軽く経ってるよな」

「収穫祭のために帰ってきたのか」

「そうそう。まさにその通り。大好きな故郷の一大イベントだもんな」

「……嘘をつけ。村に居た頃サボって良く父上に怒られて居ただろう」

「ははっそうだっけ?」

ルシフェルは二人のやりとりに何となく訳ありなものを感じた。それが何かは皆目見当もつかないが、和やかなムードとはとても言い難い。

その会話を蚊帳の外で眺めていたルシフェルの肩を、テオドアに突然組まれる。

「帰ってきたところで、丁度お前のダチに出会ってよ。楽しくお喋りしてたとこだったんだぜ。なっルシフェル」

「別に楽しい会話はなかった気がするが」

「そんなこと言うなよ、寂しいだろ?」

わざとらしく顔を歪めるテオドアに、顔は瓜二つでもキャラは真反対だと内心ごちる。

ふとした瞬間、オズマに腕を掴まれ怪力にこの身を引っ張られる。

「行くぞルシフェル。父上と母上がもう帰って来るらしい」

「……ああ」

握る力は心なしか、強い。

引かれるままついていく背中に、楽しそうなテオドアの声。

「後で俺も挨拶に行くって言っといてくれ」

その言葉に、オズマは何も返さなかった。