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結局のところ




何かしら考えていると、子供じみた言葉ばかり浮かんでくる。
何で、とかどうして、とかそういうことばかり。

姉に嫉妬という言い方は多分相応しくはないんだろうな。
姉ばっかり、だとかずるい、というのともちょっとだけ違って、
単純になぜ、私は姉以上に幸せになってもいけないし、
姉以上に成功してはいけないんだろうとか。
そういう、価値の違いについて何でという言葉ばかり浮かぶ。


私が小学生の頃、姉が登校拒否になって、
でも私は普通に学校へ通っていて、その時が最初の何でだった、というか。
何でお前は普通に学校へ行っているんだと叱られて、
家で笑うと、姉がつらい時に笑うなんて何てひどい奴だ
何様のつもりだと殴られて怒鳴られて。

段々学校でも人が怖くなって、誰とも話さなくなって、
学校へ私も行かなくなって、
その時、ほんの少しだけ、学校へ行かなくなれば
私も落っこちたんだから怒られないかなぁ、なんて
期待したとこも覚えている。
結局喜んだのは姉だけで「あんたが私以下になっていくのが楽しい」と
ずーっと姉が笑っていたくらい。
そこからは「失敗作」と呼ばれることしかなくなって、
口を開けば、親に向かって敬語を使わないなんて何様だと
物を投げられて、敬語で話せば馬鹿にしてるのかと怒鳴られた。


祖父母の電話も嫌だった。
姉には電話をかわってというのに、私にはかわらなくていいと
電話を切った。
私とたまに話しても、姉の名前を呼ぶことが多かったから
私の存在をあまり認識していなかったのかもしれない。
今ではそこまでではないけれど、
やはり長女優遇が意識として強いから、
何でも私に話がまわってくるのは最後だ。


普通に普通に普通に生きたい。
普通に普通に普通に。


全部きっと昔のことで、
今は昔ほど母親もひどくないし、姉は私を溺愛していたりする。
父親とは縁を切ったけれど。

きっと昔のことで、じゃあ今から普通に何ともなかったように
薬にも頼らず、人を怖がらず、生きていけるのか。


それができたらよかったのに。
いつになったらそれができるのか。


将来結婚して幸せになりたいなあなんて思うのに、
私も26だし、そういうことがあってもいいのに、
人といるのが怖くてできない。
私の普通のふりを見て、本当に普通だと勘違いしてくれた方々に
たまにモテることがあるけれど、
断ることしかできないなあ。
皆には選り好みのしすぎだとか、求めるレベルが高すぎるんじゃないかと
笑われるけれど、そうじゃないんだとは言えない。
相手が悪いんじゃなくて、私が全部悪い。


昔のこと。昔のこと。
昔っていつから昔なんだろう。

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