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マルチ商法

所詮、私は知人にとって大した存在ではなかったのである。


私の計何時間にも及ぶ説得に一切耳を貸さなかったKは、その後、別の友人から「無理じゃね?」と言われあっさりと「マルチ無理かなと思ってきた」と報告してきたのである。

私は困惑した。
私といううるさい部外者から活動を邪魔される事を防ぐためにそう言っているだけなのではないか。誰かがKにそう言っているのではないか。
そもそも、別の友人に言われた事というのが私が大まかに示した事実とほぼ一致するものだったのである。

それで納得しなかったから私は悩んでいたのではないのか。他人から言われれば理解できてしまうのか。これは私という存在がKの中で余程軽んじられているのか、私の言うことに説得力がなかったのか。

また、私が言ったことに納得しなかった時点のことを指して謝るのかとも思ったが、そうでもない。私の説得は、時間は、労力はなんだったのか。私だって否定的な意見を他人に伝えることは極力避けたいのである。その苦痛を耐えKに現実を伝えた努力はクソの役にもたっていないわけである。


さらにKは、落ち込む私に「自分への信頼が地に落ちているようだから、もうあなたには他愛もない話しかしたくない」と(冗談交じりながらも)伝えた。



この短期間で、私はKに何度嘘をつかれているのか。
それを許していく過程において、1度たりとも疑うことは許されないのか。



私の何がKをそうさせてしまっているのか。

続・まるうぇい

先日に続き、マルチ商法に手を染めた知人について考察する。
このエントリーより、知人の事はKと記す。

それに際して、Kとの間柄について少しだけ改めて考えることにする。

数年来の知人であるが正直、私がKに救われたことは一度や二度ではない。Kが私に対し何か具体的な救済の手を差し伸べてくれなくても、その存在が私を救ってくれたことを含めれば、私が救われたのはKに足を向けて眠れないような回数となる。



それだけに、出来ることなら縁を切りたくはないのだ。



理想としては、Kがマルチ商法から足を洗い、これ以上関わることなく、私やほかの友人達とはこれまでと同じように関係を続けていくという状況が一番に挙げられる。

しかしながら、それが難しいとしか言えないのが現在の状態である。


現在のKは、私を始め友人達とは少し距離を置いている。というより、セミナーや勧誘のために意識が外に向き、そちらへ割く労力が増えているのだ。


私は、Kと話し合いの席を設けた。


LINEや電話では真意が伝わらないと判断したためである。


そこで、私はKにいくつかの条件を提示した。

・セミナーやマルチ関係の旅行に行かない
・友人関係を犠牲にしない
・マルチ商法に関する活動について、私に報告する
・法律は絶対に守る


以上を守った上で、活動してくれる分には構わない。だが上記を破るような活動には感心できない。人としてやめて欲しい。そう伝えた。

そして、これまでマルチ商法に関わるにあたってのKの言動、とりわけ私に嘘をついてまでマルチ商法に手を出した事によって私の中のkへの信頼は地に落ちた。
これからは信用を取り戻すために行動してほしい。

と、私はできる限り本心をKにぶつけた。話をした様子からすると、Kは私の言ったことを理解してくれたように思う。

これからはKの行動を見守る事にした。もしかしたらKを見限って、縁を切って生きていくことになるかもしれないという不安がぬぐい去れないが、もう私にはできることがあまりないように感じる。

まるうぇい

知人がマルチ商法に入会した。

それまでの知人は、マルチ商法やネズミ講、また新興宗教の類に否定的な考えであった為、私は知人の性格を誤解していたのかと吃驚した。
私もまた、例外や許容部分はあるにしろ関わりたくはないといったスタンスだったが、知人は私よりももっと嫌っている・偏見を持っているという印象であった。
しかし、その偏った見解が知人をその世界に踏み入れさせたのかも知れない。現実よりもさらに悪いイメージを持っている物の現実を見た時に「思ったより悪いものではない」と感じる事によって、「これは悪い物である→自分の考えは間違っていた→これはいい物であった」と印象づいてしまったと仮定すれば、辻褄が合う。


知人がまず、プライベートでとある人物と関わりを持ち始めた時、私の中では不安が頭を擡げた。しかしそれはなんの根拠もないただの「不安感」そして「勘」であったため、私は何かを口に出すことを控えた。

次にその知人は、アムウェイに入会したと私に報告した。私の中では、「やはりあの時思った事を口に出すべきだった」という後悔と、何よりただ吃驚する気持ちがあった。
私は知人に否定的な気持ちを伝えた。その会社が過去、また現在においてどのような問題を抱えているかを訴えた。知人の性格・性質と照らし合わせてそのリスクとメリットの釣り合いがどのようなものであるか伝えたかった。そして最後に、自分に相談もせずにその決断を下した知人を少し、批難した。

その時に返ってきた答えは、「付き合いのようなものだから、人に迷惑はかけない。ちょっと試してみて、商品価値を見い出せなければやめる。」といったものだった。

その時私は納得した。その答えが、私の思っていた知人の性格と一貫したものだったからである。
心配するほどの事ではない。知人は私に迷惑をかける気もないし、リスクも現実も知っている。その点において知人が世間的に偏見を持たれるような行動をするはずがない。疑ってしまってむしろ申し訳ないことをした、と。



さらに時が経ち、知人からの連絡は目に見えて減った。SNSなどを眺めながら、知人の発言もすくなくなっていることに気付いた。
まさか、と思った。
俗にいうセミナーなどに通い、洗脳され始めているのでは、と。

しかし知人が私に「付き合いだから」と応えた時に、「信用してほしい、心配しないでほしい」という気持ちであったと、私は推測する。
事実、そういった点において知人は強い人間だと認識している。胡散臭い説法や講釈に対し、自分の意見を以て立ち向かえるタイプなのだ。

私の中では「突如沸き起こる曖昧な不安」と「知人の性質を踏まえ推測される事実であろう事柄」の間にギャップが生まれた。
要は、「危ない気がする」という気持ちと、「奴に限ってそれはない」という思考が相反しており、自らの言動が二進も三進も行かなくなったのである。


そして、知人からやや間を置いて電話が鳴らされた。
簡単な連絡とたわいも無い雑談をして、私たちは電話を切った。

普段であれば寝不足であったり疲れている時知人は「こんな事があって、」と自らの近況を教えてくれる。しかしその時は、私に自分が疲れていることを示しながらもその原因に言及することは無かった。
私も何も、追求しなかった。私がそういったマルチ商法の類にいい印象を持っていない事を気遣って、嫌な気持ちにさせないためにあえてセミナーへ行ったことを話題に出さないでいてくれた可能性があるからだ。

特に電話では、メールやラインと違って一呼吸置いてから冷静な返信をすることが難しいし、実際に対面するのと違って表情や仕草からなにかを読み取ることもできない。だから私は、なにも追求はしなかった。


そしてその時の電話の用件というのは「来週予定していた友人複数名での飲み会に行けなくなるかもしれない」というものだった。
その理由にも、知人は触れなかった。
知人は「行けるかどうかはっきりしたらまた連絡する」という旨を私に告げた。



その後、「セミナー(に行っているのか)?」という文章を、私は知人に送った。

既読が付くも、返信はなかった。
私は念押しでもう一度、問いかけた。

少しして、知人からはそれを肯定する返事が来た。更に続けて「人と居て返信が遅れた」と。

その「人」というのは、知人を引き入れた例の人物だったのだろうか。または、セミナーで知り合った同志であったのだろうか。
私の中の「嫌な予感」は、理性を押しつぶす程大きなものとなっていた。知人への"信頼"と、まずいことが起きる前に引き止めた方がいいのでは、という"不安"の間で、均衡が崩れ始めていた。
これ以上何かあったらさすがに言及しなければならないと、頭の中で警鐘が打ち鳴らされた。





そして後日、めっきり減った知人からのライン通知が鳴った。

「お前が以前購入を検討していた商品の購入を少し待ってくれないか」

という連絡であった。

以前から買い換えようと思っていた物品があり、それについての話である。
もっといいものを自分が紹介できるかもしれない、と。


正直、来たか、と思った。


しかし、相手は知人である。
本来であれば無視するかやめてくれと訴える所であるが、それはしなかった。それまで私の思っていた知人の性格を考えると、「実際に私の検討していた商品よりも優れたものを見つけてくれた」という可能性があったからだ。誤解で人を傷つけたくないので私は話を聞く事にした。

しかし知人からは「自分も今それについて調べているところだ」という追記もあった。商品の内容を把握していないのである。
さらに考えてみれば知人は、「私が何を買い換えるのか」は知っていても「実際に買おうと思っている商品の機能性」は知らなかったのである。

これにより、知人が「お前が買おうとしている商品よりいい物を見つけたんだ」というつもりで連絡してきた訳ではないことを確信した。

つまり、知人は私のために連絡してきた訳では無い。とすると、自身のため、つまりはMLMの商品の斡旋のためだという可能性が高いだろう。





これまで、私の中での知人のイメージはある程度固まっていた。

しかし、私に相談もせずアムウェイに入会した事、セミナーへ通っていることに敢えて言及しなかった事、先に決まっていた友人達との集まりよりもセミナーを優先しようとした事、連絡が明らかに減っている事などの事実により、悲しいかな、心の中には少なからず知人への不信感が生まれていた。

そこへ、商品のあっせんである。
知人と私の関係は、別のものに変わり始めているのではないかと感じた。

と、そこで"アムウェイには私が買おうとしている家電"の取り扱いがないことに気が付いた。
私が買おうとしているのは空気清浄機や、浄水器ではないのだ。

少し前の私であれば「良かった、知人は私にアムウェイの勧誘をするつもりではない」と安堵しているところだったかもしれない。

しかしこの時頭によぎったのは、つい最近「その家電」を扱い始めた、別の会社であった。
述べるまでもなく、その会社も、マルチ商法を扱うとしてアムウェイやニュースキンほどではないが有名なものである(この会社に関してはここでは名前を述べたくないので、以下においてBとする)。

まさか、マルチ商法を掛け持ちしはじめたのであろうか。掛け持ちというのも妙な言い回しであるが、社会構造を考えれば複数の仕入れ先を確保しておくのは経営として正解になる場合がある。知人の性格上、それは大いに有り得る事だと思った。

しかし、知人がアムウェイに足を踏み入れたその時に私は、そういった事は相談して欲しかったと、気持ちを表したつもりだった。
だからこそ、その時点まで"掛け持ち"の可能性を頭に浮かべなかったのである。そんな事があれば私に報告してくれるだろうと。

だが、知人がBへの入会を誘われた場面を想像すると話が変わってくる。
Bに知人を引き込もうとしている人間からすれば、勧誘の対象が「一旦知り合いに相談してみるよ。」などと言い出したら何とかしてそれを止めようとするはずである。新事業だとか今しかないだとか、偏見だとか誤った情報だとか、いろんなワードを繰り出して知人ひとりにその決断を迫るはずである。
むしろ、「相談の対象なら目の前にいるじゃないか」とでもいった具合であろうか。





話がだいぶ逸れてしまったが、知人は久々の連絡に際してBの存在を私に示した。

とりあえずの懸念として、知人が洗脳され始めている可能性が大きい。私は知人に、少し攻撃的な返信をせざるを得ないと感じた。



「その商品というのは、入会しなくても買えるのか?」と、私は返信した。



「それってもしかしてまたマルチじゃないの?」とか、「買わせようとしてるわけじゃないよね?」とか、そういった返信をする選択肢もあったが、私は敢えてここで挑発的な態度をとった。

感情的になった訳では無い。
知人が「そういうつもりじゃないよ」とか、「ごめんね」とか「事後報告になって申し訳ない」とか、「マルチの商品だというのを隠すつもりはなかった」とか、言い訳をしてくれればと思った。
少なからず私の中の不信感と警戒心、そして嫌悪感に気づいてやり方がまずかったと感じて欲しかった。


それに対して返ってきたのは、「そんなに自分の事が信用できないのであれば縁を切ってもらって構わない」という、さらに攻撃的な返信であった。


これが赤の他人であれば、逆ギレかよ、と笑う事も出来た。
普段の関係性を鑑みて、からかうなよと笑い話にしてくれた方が、よっぽど救いがあった。



マルチ商法のセミナーや会員(ディストリビューター)の間においてしばしば、「勧誘をきっかけに人との関係が悪くなることがあれば、所詮その人物とはその程度の関係性なのである」といった主張を目にすることがある。
私の目には、知人がその考え方に飲み込まれてしまってるように映った。



「自分の事をマルチ商法に染まった馬鹿だと思っているのか?我々の間には信頼というものはないのか」という知人の主張に対し私は、
「信頼を自ら壊したのはお前だ」という思いから「信頼を取り戻す努力をしていない人間の台詞ではない」と伝えた。




そして私は後日、知人と会う約束を取りつけた。
また、知人が欠席しようとしていた飲み会にも参加するという旨の連絡もあった。

現在の所、進展はここまでである。
追記において、今後自分が知人にどうなってほしいのか、また、知人のみに起きていることについての推測・考察を行おうと思う。
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