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諦めという名の希望


心が壊れてから自分自身を知る為、そして知ってもらう為に書いていたこのブログ。

今のじんは周りからみればだいぶ落ち着き、両腕にミミズ腫れのように残る数十本の傷跡を見なければ普通の人に見えるまでになった。

でもじんの心は壊れたまま。

いや、今まで傷つかないように自分で作った厚い殻を母親に壊されただけだったのかもしれない。

そして意識的に隠してきた子供の時からの気持ちを少しずつ自分なりに整理する事で、新しい殻を作ろうとしている。

たとえそれが「諦める」という作業でも、やらなければ未来は見えてこない。

人はどうしても諦められない思いが誰しもあると思うが、私の場合は「両親」という「存在」だった。

私の中で長い年月をかけて作り上げてしまった理想の「両親」

じんがずっと欲しかったもの。

それはただの「理想」であり「現実」ではなかった。

今のじんには現実の両親はあまりに受け入れがたい。
だから「両親」という「存在」を諦める事で自分の中で納得させようとしている。


この「諦めという名の希望」に支えられて、少しずつ回復出来たらと思っている。

それにはこのブログは必要のないものなので、今日でやめようと思う。

ここを閉じる事で私の中の「両親」も死ぬのだ。

じんが現実を受け入れて、「本当の愛情」を理解出来る日がくる事を願って…。
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