あなたの反論する言葉の一欠けら
あなたの批判する言葉の断片が
一種の毒や棘を持ってしまうのなら
残念なことだ
折角の正しさも、あなたが使う言語暴力の所為で汚れてしまう
あなたが人に何かを示すなら
言葉を美しくすることだ
破壊だけに使われる言語が
正しく在りたいと歎く前に
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いくらその人の信念だからといって、汚い言葉で批判や主張をしますと、何だか勿体ない気がしてしまうんです。
身近な人に対する怒りをその人に見えない場所で、隠しながら言う分には良いと思います。そこで傷付くのは自分だけですから、それをしっかり、その気持ちをしっかり受け止められるなら、若しくはそうするための方法なら良いと思います。
ただ人に対して何かを言うならば必要だと感じるのですよ。丁寧な言葉は。
感情的になるのは誰にだってありますし、私だってこうやって話しているときは何かしらの感情が生きています。
とどのつまり、何かを言うときは貶めたり、蔑んだり、服従させたりしたい、という感情を捨てていただきたい。せめて相手にそう思わせるような口調はしてはいけないと思いますし。
って母ちゃんが言ってたようなキガス(´ω`)
管理人ママンは言葉に厳しいお方なのです。とか言いながらプギャーしか最近私言ってませんがね←
こっからちょっとしたダークな理想論をしていきます(´・ω・`)ノ
昨日からずっと考えていた事なのです。
今、なんだか暗いご時世になって、被災地の農家の方が自ら命を断った、というニュースがありました。
管理人は如何なる理由があっても自殺者は出てほしくないわけです。何でそうしてしまうのか、理由はあるのでしょうが、否、それに理由は無いです。死ぬことに理由が有りますかね。理由は生きている人だけが見出だし抱くもののように感じます。
そしてこうした話をすると
「どうしてそうなったの?」
「こうだからだよ、きっと」
「ああ、なら仕方が無いね」
、って成りますよね。
理由を聞いて納得してしまいます。けれど、そこで納得することは何だか嫌な気分になってしまいます。死ぬことに意味を出したがるような気がします。
自然死や事故死(殺人然り)や病死では何故死を選んだかについて、当然のように語りません。語るのはその人が如何に素晴らしかったか、対して加害者、病魔は如何に卑劣か、です。
「何故生きない」
とよく管理人は言ってしまいます。こうすると、君は人の気持ちが解らないのか、と言われてしまう訳で、しかもその反応は正しいです。
私はそうして亡くなった方に対して、私だったらという単語は使いません。その人を理解できるのはせめて身近な人であって、遠目で見ている我々に何が解るのか、と考えてしまいます。
何に対して哀しいのか、正直私にも解りやしませんが。
「死ぬ」のは「当然」で、
「生きる」のには「無感動」なのでしょうか。
「それで死ぬのは仕方が無い」とは言って、
「それで生きるのは仕方が無い」とは言いません。
何が仕方が無いのか、死に価値を見出だしたり、無に価値を見出だしたり、そして心なしかそれを人は感動し共感するように見えてしまって、しかも私はそう言われたら頷ける気がします。
何故ですかと聞いてはならないのは何故でしょうか。
こうして感じてしまうのが哀しいですね。昨日からずっと考えてしまいました。
理想論ばかりで現実を見ていないと言いますが、現実主義者が何時現実を見ているのですか(´・ω・`)
理想論も現実論も似たり寄ったりです。仮想の世界に対して現実的に思うのならば、現実の世界に対して理想的でもあながち間違えでは無い気もしますし。
プギャー(´Д`)
脳みそパーンッです←
管理人にはまだ早過ぎる題材だ!
もっと経験積んで来る!人生には詰みたくないが!
世界をどこまでも愛して死んでやんよ!この命尽きるまで!
そうしたことをとんでもなく叫びたくなった管理人であった。
皆様それではよしなにっ!