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人間の話をしている。

前半は真面目ですが後半失速した挙げ句ゲシュタルト崩壊する予定である!

話題:最近読んだ本
[人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス/フロイト著 中山元訳]

〔今読んでる本〕
[善悪の彼岸/ニーチェ著 中山元訳]

久し振りに文学のお話でも致しましょう致しましょう(o´∀`o)ノ
タイトルは「神様のカルテ2」から取りました。あれは良い台詞だった!




さて、実はフロイト先生はもう読み終えていたのですが、ごたついて居ましたので。
フロイト先生はやはり楽しいです。まぁ内容が内容でございまして、あまり細かくは御紹介出来ません。

全体で言いますと、皆様が一番気になる自殺願望、鬱病、人間の破壊欲などを中心にした論文ですね。

まず第一の「人はなぜ戦争をするのか」では、アインシュタインへの手紙として載っています。人には元より戦争をしたがる衝動があるのではないか、という問い掛けに心理学的アプローチでフロイトが答えるというものです。
兎角簡単に、人間が平和や共同体での団結を維持する為には戦争は残念ながら必要不可欠なものであるようです。どこか違う共同体と争わなくてはならないわけです。
しかし古代の戦争にはそれなりのモラルが有り、ある意味では敗者も勝者も利益を得ていたというのです。捕虜という形で生かし、何かしらの目的を持って行われていたのです。
が、フロイトやアインシュタインの生きた時代の戦争、第一次、第二次の戦争は戦争としてのモラルが(一般的モラルは戦争のモラルとは違う。一般的モラルでは人殺しは重罪だが、戦争のモラルでは美化さえもされている。)完全に崩壊したのです。悪意や殺意、憤怒や憎悪によってのみ戦争を行ったわけです。ここには他者、他国民を一人残らず殺すという信念さえありました。
人間が共同体でなかった原始時代は欲の侭人を殺してきました。戦争さえ美化していたのですから、人間には元より攻撃衝動があるのは当然と言えば当然です。しかし、完全な善人が居ないのと同様に完全な悪欲というものは無いのです。人が自分で考えずに流され、共同体の悪意の侭呑まれているから肥大化し、同情すらない戦争が起こったのです。
 戦争に対して反戦したい欲というものも人間にはあります。それは戦争が如何に愚かで残酷かを理解しているからというのももちろんありますが、逆に戦争に対する美意識を嫌悪する故に戦争を嫌っている場合が有るとフロイトは言います。所謂アンビヴァレンツですね。どちらに属するかは個人によって違うのでしょうが。以上が第一論文です。


第二、第三論文は自殺願望や鬱についてです。鬱については皆様基礎知識は御有りでしょうから割愛致します。少しばかり詳しく語るとするならば、裏切られた若しくは失った対象を影として体内に作ってしまい、その影が自我の良心と一体化し、罪悪感を生み出し病むということです。例えば配偶者を失います。哀しみに暮れ、一時自我が分裂してしまいます。そこから立ち直れない人は、分裂が著しくなり、やがて配偶者の影を体内(自我)に作り出します。何故ならば人には元よりアンビヴァレントな欲が有り、対象への密かな憎悪があったことを知っているからです。死んでしまえと望んだ気持ちがどこかに有り、実際に死んでしまうと自責にかられ、カニバリズム(人を食べる行為)的な欲に基づいて自分の中に他人の意識を生み出すわけです。
そこから体内の他者が自我を告発(アンビヴァレントな感情に対する告発)し、分裂していく中で自分を見失うそうです。

管理人の個人的意見ですが、管理人は鬱病の方に対する社会の偏見が苦手です。誰しも精神的な病は有りますから、身近にいらっしゃるならば支えることが当人の為だと思います。直ぐに距離を置いて、危険だと思うのは勝手ですが言うのは止してあげてほしいです。
そういった意味でも心理学を学んでいると対象方法が解る、と親愛なる教授が言っておりました(o´∀`o)ノ

次に自殺願望でございますが、自己保全を望む人間が何故自滅を望むのかについて言っております。これは体内の他者を殺す事からきているようです。もっと難しい言い回しをしていますが、字数が不安なので割愛致します。


最後の論文は精神分析の新しい見解についてです。エスや自我、超自我の力の欲動、力学的な見解ですね。こちらは心理学の精神分析を読んでから読む方が解りやすいです。フロイトさんは知ってる前提で言ってきますから。

ふはっ\(^0^)/
ノンブレスッ!!

DOUTORのカフェプリンで舞い上がった結果これだよΣ(°д°;)
カフェプリン……不本意ながらうまかった!何故私が珈琲好きか精神分析してやろうかぁ!

そこに珈琲があるからだよっっうわなにするやめろごめんて

日常の管理人と何かに対して説明する管理人差がめちゃめちゃありますからね(o´∀`o)ノ
皆様二面性ありますから仕方が無い!←


あとはニーチェを読んでいますが、ニーチェさんはいつまで経っても痛快ですね!大好きです←←
大好きです(大事なことなので何回でもry

まぁつまり!人を愛して自分を愛しましょう!
愛が世界が救うって言えちゃう恥ずかしい奴ので!(o´∀`o)bグッ

嗚呼ヤハリ恥ずかしい←
失敬致します!今日はもう更新しないで不眠症になるまえに寝ます\(^0^)/課題ェ……

自分で考える愉しさを

「自分で考える」ことさえ出来れば揺るがない。


話題:最近読んだ本
     ↓
「永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編 カント著 中村元訳」 光文社


解説まで読み終わりました。楽しかったです(o´∀`o)
解説読んで⇒本文見返して⇒解説⇒考察
簡単に言いましょう!管理人は哲学書で「神」云々出る度立ち止まる人間です(゜∀゜)
管理人は見せ付けるような神様が大嫌いですから。人間が認識や想像出来ないモノがソレです。言葉やイメージ出来ないモノがソレです。仮の名で自然がソレです。創造主も天国も地獄も無いのだよ!という。
全く、自然やこの世に敬意を払えと、そんなことはいいです←
その内嫌というほどこれについては考えます←

とりあえず本の内容の紹介をば。

カント哲学の入門書と言ってもいいかと。光文社の純粋理性批判を読む前に読んだ方がいいですね。
カントはとんでもなくキラキラした理想論を掲げます。
ただし理想で終わらず、それを如何にして実現するかについて考察しているようです。啓蒙についての話を序盤でしておりますが、啓蒙の話はもうしたので割愛します(o´v`o)
「永遠平和のために」という論文がカントの真髄。まずは常備軍という自衛隊や軍隊を撤廃すること。こうすることで隣国は互いに軍による驚異を感じずに済むし、且つ、互いに軍が無いので下手に行動しないようになる、といったように。
そうすると戦争は出来ません。けれどカントは戦争が無い状態だと人々は堕落してしまう、と考えます。ある程度の紛争や戦争は逃れる事は出来ないし、そうした事柄があるからこそ団結や善意が芽生える。そう考えたようです。
そして例えば平和と言えどいつまでも人間が生きていたら、親子と言えど殺し合いを始めかねない。今のように短い人生でもこれほどの悪徳や未来の享楽の為の不正が行われているのだから当たり前だ、とも言ってます。
理性的に行動できる短い人生があれば、更に自分の子供が居れば必ず望むべき時代がくるのです。子供は先祖が築いた歴史や文化を繰り返していく生き物であるからです。
純化した理性を駆使し、自ら考える力を身につけることが最重要だそうで。

カントは未来や過去に訴えかけません。同世代への同時代への呼び掛けを止めない哲学者でした。「いま・ここ」の哲学をいつまでもしていた哲学者であり、驚くほど輝く理想論を展開しつつ、それの実現を強く信じる哲学者だったそうです。
平和に対する情熱は誰にも負けないもののように感じましたね。
ただ宗教に重点を置いたり、認識出来るのは現象だけで物質は理解できないというのが管理人とは仲良くなれない思想でしたね。プラトニズムを更に強化して高めたのはカントなようですし。
あとは随所随所でそうかなって思う箇所がありましたね。「自分で考えれば揺るがない」と言っていた彼の思想にこれはこれで合ってる気がします。
読んで鵜呑みしないでいる自分の発見があり、何となく嬉しかったですね(´v`)b

まぁ絶賛ニーチェ主義且つ「コギト・エルゴ・スム」連呼人間なので!!
死ぬときになっても世界を愛しているといって死ねたらいいです(゜∀゜)
そのために今を生きるぜ!

ということで本紹介は以上です(´∀`)ノ

皆様、本日もよしなに!
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