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たましいのみみ。




わたしは死んだ人を眠る前に思い出してから眠る。いま、それはまだ片手の指でとうに足りるにんずう。
しかしいつかはだれかを取り零してしまうのかな。ああ、きのうはあの人を忘れて眠ってしまったんだと悔やむ朝がくるのかな。それともそれを思い出す朝が来なくなるのかな。

悼む人は死を巡り続ける。それは「悼む」という後ろ指を指されるような行為からは程遠い言葉を借りた自慰に近いものなのかもしれないとふと頭の横ぎわで思った。(でも自己満足とはちがうんだろうな)

魂の耳、がもしほんとうならば素敵なことだとおもった。もし大切なだれかに唐突に訪れた最期だとしても、相手に想いを伝えることができる。しかし一方で逝く側であるならば伝えることはおろか、感情を共有することも叶わない。
でもきっと結局はそれでいいのではないかなあ。生きる人はこれからも生きていかなければならないのだから。


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きみに咲くLotusよ

話題:写真。




永遠、もどこかいじらしい響きを持つずっと、ということばも
それが指し示す絶対的なものなど存在しないのだとおもっていた

けれど、信じてはいたかったのだと、ふと改めて気づかされた
さいきんはそんな日々の連続。




ずっと一緒にいたいとおもうこともずっと忘れずにいようとおもったことも
そのことばも気持ちもかけがえのないものではあるし、うつくしくもある。

けれどそれは空気のなかに放ってしまえばただのうつくしいものではなくなり、必ずだれかにいつか痛みをもたらす約束ごとに変わってしまう




わたしはそれをしんじていたかったし、やっぱりいまでもどこかであきらめられずにいる。
けれどいちど揺らいだことばはもうきっと元には戻れないんでしょう。




創希さんおげんきそうでなによりでした(´・ω・`)
ブログの更新がなかったしみくしも放置されていたのでドキドキしておったのです。ドキドキ。(笑)




きっと、のほうが意味としての拘束力はつよいのにどうして ずっと、を絶対のように錯覚していたんだろうなあ

C3POがキラカワ


話題:花の写真


満開の桜の木の下にはうつくしいしょうじょが埋まっているといい
そうして花が散るころにはしょうじょも老いて
またつぎのはるが訪れると去年よりずうっとしょうじょはうつくしくなるから
桜は年を経るごとにうつくしくなるにちがいないのだ



やるきくれ




あざぜるさん5話5回目なうううう!!!みんなかわいいよううぅ(ToT)

爽やかじゃない神谷さん!!!に最初は泣きたくなったこともありましたがいまはむしろもっと言って(u_u*)状態ですタイヘン

ふんふん(=´-`)(=´、_、)ってしてるべるぜぶぶちゃんまじかわ!!
たまにあざぜるさんもめちゃくちゃかわいく見えるときがあってなんか悔しい




あしたはES送るますのん!

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