全人類はあまりにも苦しんでいる
この苦しんでいる全人類を救いなさい
これがあなたの特別な天命です
自分一人、また自分と相対者、もしくは子供一人幸せにできないことが多いのに全人類とは、
人を疑えば、苦しみを覚え、
人を裁けば、耐えがたくなり
人を憎めば、もはや私には存在価値はない
しかし、信じてはだまされ
今宵、手のひらに頭を埋めて、苦痛と悲しみに震える私
(ある人と固い約束をしたけれど、簡単に破られてしまった。
破られたばかりでなくその人間が私を誹謗中傷し、陥れようとしている。この時私の心にはその人を疑うという心が湧いてきた。
それでその人の存在によってあまりにも非情なので、苦しみを覚えている。
そしてさらに私の心にはその人は悪い人だと思う気持ちが湧いてくる。裁きの気持ちが湧いてきた。
だから耐えがたい気持ちになる。
そればかりかその人に対する憎しみの気持ちが自分の中に湧いてきてしまう。だけど、憎しめば私には生きる価値がないと思うので、それを越えながら再度愛そうとするのだけど、また簡単に裏切られてしまう。
だからあまりにも切なくて苦しいので、顔を腕に埋めて泣くしかない。)
一般的には人から裏切られたとき、裏切った人間が憎くなる。そしてその人間は悪い人だと裁きたくなる。
かつ、その人が私を苦しめたと普通は思う。
その中でこの詩ね深みはこうだろう。
苦しんでいるのは、騙された本人である。
それは人が自分との約束を反古したとき、疑うという心が湧いてくることに苦しみを覚えたこと。
だから、その人自身に苦しんでいるのでなく、裏切られても愛さなくてはならない自分の心の中に『疑う』という心が湧いてきてしまったその事、自分に苦しみを覚えている。
そして私を裏切るその人は悪い人間だと裁いてしまうその心が湧いてきてしまう自分に耐えがたくなっている。
例えば一本のボールペンでさえ文字を書けば、それによって『為に生きた』という価値がそこに生ずる。
全てのものに価値あるといった場合、常に何事かの為に生きた場合である。
一本のボールペンでさえモノを書いて価値が生じます。
では、モノを動かしている器用な5本の指を動かす人間の価値はどこに生ずるのか。
それは人の為、世の為に生きたときその人の価値が生じます。
人間は愛して為に生きたとき、その価値が生ずるようになってるのに、その自分が人を憎んでどうなる。
だから、人を憎んだなら、私の生きる価値と存在理由がなくなると嘆いている。
そうなれば間違っていたのは誰なのか?
私を騙した人間か?
私を騙した人間をうたぐっている自分が間違っているのか。
これの回答が続きの詩にある。
間違っていたのか
そうだ、私は間違っていた
だまされても、信じなければ、
裏切られても、赦さなければ、
私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
涙をふいて、微笑んで迎えるのだ
だますことしか知らない者を裏切っても、
悔悟を知らない者を
おお主よ!愛の痛みを!
私のこの苦痛に目を留めてください
疼くこの胸に主のみ手を当ててください
底知れぬ苦悩に心臓が張り裂けそうだ
(決着を着けなくてはいけない、間違っていたのは誰なのか。それは私の約束を裏切った者ではない。裏切ったその人を疑い、裁き、憎んでる自分が間違っていたんだ。
そう、間違っていたのは私である。どんな場合であっても人は信じ続けなければならない。そして赦し続け愛し続けなけなくてはいけないのに、疑っている自分が間違っていた。
そう思いながら必死に愛そうとするけど、また裏切られる。それでそれでもなお、愛そうとするが、また捨てられる。だから心臓が張り裂けそうになる。
神様、どうしてもその人を愛したいので、手を差し延べてください。そうして手を差し延べてくださったときに神様は愛の手を自身の心臓に当ててくださった。
そのとき不思議なことに自分の為に尽くしてくれる人だけに微笑みはあるはずなのに、裏切ることしか知らない人がいる。裏切っても悔いるということを考えことさえない人がいる。
その人が近づいたときにまるで私の為に尽くしている様に微笑みを向けることが出来るようになった。
こうして私は初めて勝利者になった。
裏切られてもその人を愛したときに初めて私は勝利を得ることが出来た。)
されど、裏切った者らを愛したとき、
私は勝利を勝ち取った
もし、あなたも私のように愛するなら、
あなたに栄光の王冠を授けよう
(勝利とは何か、相手を武力や力で抑えつけることではない。それは敗北だ。むしろそういう気持ちを抑えてなお愛し続けたとき、初めて愛の勝利者になった。
だから、裏切られても愛そう。
あなたが私と同じように裏切られても裏切られても変わらなかったら、愛の栄光の王冠を授けよう。)
身近な夫婦や家族でさえ裏切りがある中で、それを越えて愛するようになる。
また国へ行き、国に裏切られ捨てられ、場合によっては牢獄へ入れられても、その国への愛は全く変わらずにその国を愛し続けた。
それは愛されても裏切られても変わらないという心を定めたので、人類を救うという道を出発することが出来た。
わたしたちも、人間関係の中で幸せになろうとするなら、ただ一つ、自分の心に打ち勝たなければならない。
それは真の愛で愛さないかぎり、ただの愛では変われない。
裏切られて変わるような心では人を愛する事は出来ない。
全てを赦し受け入れて初めて幸せを手に入れる。
『私を憎む者までもひたむきに愛そう』
『幸福も不幸も私の心の在り方次第』
怨みの心は放射能よりも怖い。
身体を侵すものは、確かに身体を侵し、病気の原因と成り得るが
怨みという心は、心を冒すものである。
身体には霊魂というまのが存在し、人間は死と共に霊魂となって永遠の世界へ行く。
この霊魂の中にしっかり持っていくものが心の有様
怨みの心は死と共に全く消えることはない
あの世に自分の怨みを持って行くということ。
つまり、生きても幸せになれず、死しても幸せにはなれない。
心のどこかに怨みが有る限り、怨(えん)に触れてこれが浮上し、必ず苦しくなる。
そこでどうやって自分の怨みを消すのか。
裏切られても愛おしいと思う心、
我が子だと思って愛すること。
ただひたむきにひたむきに愛してゆくだけ。
私を憎む者までもひたむきに愛せる心になれたらこの世に敵はいません
その様な心に自分の心を変えていく。
霊界の天国へは一人では入れない
神様に祝福されなければ入れない
怨みがあっては入れない
神様はその人に合った言葉を授け、人を与える
またしてもノート忘れた…
話が深すぎて理解するの難しい´`