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R.W.Eの言葉



「内なる自己が確信することを表出させよ。それは普遍的な知であるからだ」


「詩人や賢者の世界の輝きよりも、内なる心を通じてひらめく心の煌めきを見いだして注目することを人は習得すべきである」


「内なる声が自然に湧き上がった時は、反対する声が大きければ大きいほど、なおさらそれを聞き入れるべきだ」



R.W.E“SR”

坐禅のテクニック〔急と寛〕 

・急とは(過緊張)

禅定に入ろうと努力するときに気が上方に向かいがちで、胸が急に痛むことがある。
そのようなときは

一度その心を寛がせ解き放した上に、
気は皆流れ下る、と思うがよい。

それで患いは自然に終わる。


・寛とは(だらけ)

心がだらけ、体は前に傾くような心持ちになり、或いは口から涎が流れ、或いは心が暗くなったりする。
そんな時は

姿勢をきちんとしなし
心を引き締め、
心を一つのものごとに集注し、
身体をしゃんとする。

これで治る。

Oの言葉



「私が瞑想またはクンダリーニ、スピリチュアルな訓練のテクニックと呼ぶものは、存在しないものの探求を本質的に意味する。あなたの見たものは存在さえしなかったということにあなたが確かに気づく日、すべてのテクニックが無意味になり、すべての手段が役立たずになる。

その日、あなたは病気が偽りだったこと、そのための治療法も偽りだったことを実感する」

『SI』P.142

メモ 芯を作るムーラバンダ

ムーラバンダで会陰と臍の奥を結ぶ

中心軸が意識される

背中側のバンダが重要

坐禅のテクニック「浮」



浮というのは、坐禅をしていて心が好んでゆれ動き、体もまた落ち着かず、つい他のことを考えてしまうことである。これを浮という。

そういう時には、

心を下方に向けて落ち着け、
精神を臍に集注し、


乱れがちな思いを制するのである。

心の在りかを定めれば、心は安静になりやすい。

要するに、沈ならず浮ならず、これが心が調った相である。


『T台S止観』P.46
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