私は今回のレポートを書くにあたり、速水御舟の「炎舞」を選んだ。私は以前、実物ではなく図版ではあったが、この作品を初めて目にした瞬間に引き込まれるような強い衝撃を受けたのを覚えている。描かれているのは炎と蛾の群れのみであるにも関わらず、酷く印象に残った作品であった。気にはなっていたが今まで調べる機会もなく、速水御舟についても何一つ知らなかったため、この機会にきちんと調べ考察してみようと考えた。

 「炎舞」は重要文化財に指定されている。1925年に製作され、大きさは121×53cm、絹本著色で現在の所蔵は山種美術館である。
 縦に長い長方形の画面全体を埋め尽くすように燃え盛る炎と、その炎の光に吸い寄せられ群がる蛾が9匹描かれている。炎は、画面下部では燃え盛る炎の本体が紋様を描くように細かい装飾的な表現で描かれている。写実を追っているというよりも、どこか古典的で装飾的意味の強い表現であるように感じる。対してその炎の上部では、巻き上がる火の粉の描写がこの空間の風の動きすら感じ取れそうなほど巧みに描かれている。柔らかく、繊細に描かれた火の粉の柱は画面上へと伸び、巻き上がり上空へと続く様子が伝わってくる。この長く伸びる火の粉の様子から、激しく燃える炎の様子が強調されている。
 9匹の蛾の周囲もぼんやりと赤く染まり、炎の光の反射する様子とその熱を伝えてくる。薄く炎の赤に透けそうな羽のが、蛾が羽を忙しなく羽ばたかせながら炎に翻弄される様子を表現している。どの蛾も羽を大きく広げた状態でそれを正面から見たような、張り付けられたような構図で描かれているがそれに違和感を感じないのは、炎の装飾的表現と相まってどこか現実離れした雰囲気が感じられるからであろう。しかし蛾自体の描写は非常に写実的で、御舟が他に描いている蛾のモチーフの作品やデッサンと通じる。
 「炎舞」は写実性と装飾性が同時に表現され、独自の雰囲気を醸し出している作品である。本によると、この頃から御舟は徹底した客観的写実の追究(細密描写)から離れた作風を描くようになったという。
 「炎舞」が描かれた1925年の夏、御舟は家族と共に軽井沢で過ごし、そこで得た様々な自然的な題材の一つが、この炎に群がる蛾であったという。


 御舟の初期の作品から順に見ていくと、その画風の変化の大きさに驚かされる。御舟は40年という短い生涯ではあったが、その間に産み出された作品たちは年代によって様々に変化している。
 1920年前後の作品を見ると、西洋画法を取り入れてからまだそこまで時が過ぎていなかったのか、全く違和感のないデッサンと質感、光の表現に満ちている。そこから数年程しか経過していないにも関わらず、「炎舞」では全く異なる雰囲気の作風へと変化していっている。初め見た時は、本当に同一人物が描いたものなのだろうかと疑ったほどだ。これらの変化から、様々な技法や画家の作品を取り入れ続けた御舟の抱いていた、絵画に対する興味と情熱が伝わってくるようだと感じた。
 写実と装飾性の過渡期であると感じられるのが、前述した通り、炎が流紋線のように装飾性に溢れた表現であるのに対し、その他火の粉や蛾が細密な写実表現である点である。作品全体としては一見装飾性に富み平面的とも思えるかも知れないが、よく観察してみるとこの作品の中には確かに空間と空気の流れが存在しているのである。炎の明るさが目立つため分かりにくいが、背景の闇の中には恐らく自然が広がっているはずである。四方から炎に向かい飛び込んでくる蛾の存在が、画面内に広がる空間の存在を強調しているように感じる。
 装飾の持つ平面性と、写実の持つ立体性、その二つが混在している事がこの「炎舞」の持つ不思議な魅力を産み出しているのではないだろうか。





【参考】
・20世紀日本の美術6 1987年 小池賢博 集英社
・原色日本の美術30 1972年 河北倫明 小学舘