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ホラホラ、これが僕の骨だ

中原中也の詩「骨」の冒頭部分。
最高。
1行でこんなに狂気を醸せる中原中也本当にすごい。好きだわー。
他の詩よく知らんけど笑

ふと、思い出して詩集読み返したくなった。

へらへら笑いながら自分の死骸を指差す不幸な男。もうぞくぞくするくらい最高だよね。
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死にたい自分へ


ほら、また死にたいなんて、駄々こねる。
今それどころじゃないの分かってる?今やらなきゃいけないこと、どんだけあると思ってんの?
死にたがるばっかりで、問題解決しようとしない自分じゃあ毎日毎日上手くいかないの当たり前だね。
周り見てごらんよ。
周りと自分の違い分かってる?てゆーかそもそも他人に興味もててる?
興味もててるって思ってんの、自分だけだよ。周りはあんたの事認めていないし、優しい人は辛抱強く叱ってくれてるけど、ほとんどの人はとっくに見限ってるよ。
周りがこんなに手を尽くしてんのに、自分全く成長してないんだから。
自分呆れられてるんだよ。わかってる?
死にたいなんて自己対話しかしてないもんね。周り見てない人間が人の輪に加われるわけないよね。
あなたは人をイライラさせてるの。自覚ある?
まじで人間向いてないし、そもそも死にたがる時点で生命体向いてないよ笑。

DNA一つ残さずこの世から消え去りたい。

遺書の書き方

長い間、罪悪感を抱えて生きて参りました。
この罪悪感を解決すべくもがき、念願叶って今の仕事に就き、生き甲斐を求めて働いて参りました。
しかし、息をするように死にたいと願い、楽になりたいと叫ぶ己の心を叱咤激励する事に疲れてしまいました。
いつ、衝動に駆られるやも分かりませんので、最悪の場合を考慮し、遺書をしたためている次第です。
私は罰を求めているようです。優しくされればされるほど、己の罪悪感はぶくぶくと肥り、より残酷な仕打ちを望むようになりました。この罪悪感の正体は、これまで蓄積された負の経験、コンプレックスのようで、具体的な形をもっていません。不意に漠然とした罪悪感に襲われて死にたくて死にたくて堪らなくなります。かつては問題なく自制出来ていたのですが、最近は1人の時は奇声を上げてのたうち回り、人前で平気なフリをするのも多大な労力を要する有様です。
このように不安定な私がここまで生きる事が出来たのは、間違いなく、不器用ながらも愛情深い両親、そして多くの大切な友人のおかげです。
私は恵まれています。
この遺書が誰にも読まれることなく、皆と天命をまっとう出来ることを祈っています。
そして、不運にもこの遺書を受け取ってしまった場合、最期まで大切な人にとんでもないご迷惑をおかけして、謝罪のしようもございません。ひと足先に楽になっています。
恥の多い生涯を送ってきた私ですが、振り返ればその恥こそが己を魅力的に飾るものであり、屈辱を感じながらも生き抜いていた時分こそが、人生で最も強く格好よく輝いていたように思います。
私の人生に関わってくださったすべての皆様へ。感謝の気持ちをもって筆を置きたいと思います。
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