今日は3ブロックの日で8面サイコロの目が「2」でしたのでここで書きます。
3月30日に祖母が旅立ちました。
先日お通夜と告別式、
さらに初七日の法要まで無事終了しました。
もう一度元気に家に帰ってくることを願ったのですが、
3月に入ったあたりからいい話が聞けなくなり、
亡くなる3日ほど前に病院から最後通告を受けました。
そして前日に病院から呼び出しがあり、
親と弟が病院に向かい、
私は自宅待機という形で待っていました。
そして30日の朝に眠るように亡くなったそうです。
悔しい気持ちもありますが、
それ以上にご苦労様でしたという感じのほうが強かったです。
4ヶ月前3時間半の緊急手術を受けて、
その後回復に向かっていると思われたのですが、
やはり年齢が年齢なだけに体力的に限界だったようです。
でも祖母は本当によく頑張りました。
だからやっと休ませてあげることができたという想いです。
何とか天国に向かってほしいです。
私は祖母が亡くなったと言う知らせが届いてから動き回りました。
はっきり言って何がなんだかわからないぐらいでした。
ただ今はとりあえず一通り終わってホッとしているところです。
しかしこれから役所などにも行きますし、
四十九日法要に向けて集めるべき書類や、
さまざまな手配などまだまだ落ち着いている暇はありません。
ブログで日記を書いたのも一週間ぶりです。
とりあえず録画しておいた高校野球もまだ見ておりません。
さらに年度が替わったのでそれに対する対応もできていません。
ですがそれは私がうまく時間を作って行えばいいことです。
お通夜や告別式にはたくさんの人が来てくださいました。
本当に祖母は好かれていたのだと実感しました。
にもかかわらず私だけが足を引っ張ってしまったことは否めません。
祖母に迷惑を一番かけたのは私ですし、
何も恩返しできなかったのも悔しい気持ちでいっぱいです。
ただ今後の私の人生で、
今天国に向かっている祖母が喜んでくれるようなことをすることが、
何よりもの恩返しだと考えております。
祖母は桜が大好きでした。
満開の桜並木の中を最後通って火葬場に迎ったのが、
祖母の人生の最後のご褒美だったのかもしれません。
不思議と松たか子さんが歌う、
「桜の雨、いつか」
の歌詞がぴったり当てはまる感じがしました。
どうか祖母にはゆっくりと休んで、
いい形で天国に行ってくれるよう、
心から願って止みません。
今後私たちは生き続けます。
まずは四十九日までしっかりとやるべきことをこなし、
四十九日の法要をしっかりと行うことが今の務めと考えております。
私は祖母のように人から好かれるような人間ではありませんが、
祖母から学んだ向上心と初志貫徹の精神は、
今後いい形で自分に取り入れたいです。
祖母が無事に天国にたどり着くよう願い、
私もできる限りの事を行いつつ、
これからも一歩一歩ではありますが前へ進んでいきたいと思います。
もっと自分を知り好きになるためにもまずは自分から動き出そう。