蛇の目。隠密の医療機関であり、毒を得意とする薬師たち。彼らは夜目がきき、嗅覚と味覚に優れているものが多い。
蛇の目に属するものは個別の名を持たないとされている。故に、彼の名前も蛇の目だった。
「おーい、またそんな所にいたのか?」
「何処にいようと僕の勝手でしょ……」
「何処にいてもいいけど、返事くらいはしてほしいもんだけどな」
「僕じゃないと思って」
「嘘つけ。わざとだろ」
御神家付きのこの蛇の目は、他の蛇の目と同様に暗く人の目につかないところを好んだ。白々しく視線を逸らすその少年は、悪びれる様子もなく紫音に背を向け歩き出した。紫音は肩を竦めると、その少し後ろについていく。
「機嫌が悪いみたいだな」
「ボーマンのお陰でね」
「ああ、勝手になんかしたんだっけ?俺も詳しく知らないけど」
「血を抜いたんだよ」
採血かなにかか、と思ったが紫音は言葉を返すのを止めた。蛇の目の表情はまさに鬼のような形相で、ひと睨みで相手を呪い殺せるのではないかというほどに歪んでいた。何をそんなに、と内心で単純な疑問を持つ紫音に、蛇の目は察しがついているとでもいうように話し出した。
「たかが血、って思ってるんだろう」
「いや。血を使ってあれこれする奴は多いからな。俺には分からない価値ってのがあるんだろ」
蛇の目は暫し沈黙した。半目の表情は妙に淡々としていて、先程までの変容が嘘のようだった。呼吸すら感じ取れないような静かな沈黙。それに紫音は何を言うでもなく、ただ蛇の目の歩調に合わせて向かう場所も知ることなく歩いた。
蛇の目は、死者のように肌が白い。通っている血が本当に赤いのかと疑ってしまうほどに、彼らはいかに動こうと、その皮膚が傷を負うまで、血色というものを殆ど感じられない。
「僕らの血は特別なんだ」
何かを塗っているらしい淡く赤みがかった唇を微かに動かして、消えそうな声で言った。自身の体を確認するように手首を見る。真っ白で血管すらも見えない腕。しかし蛇の目には、自らの血管もその位置も、全てが鮮明に見えていた。
「僕らには毒の類いは効かない」
「そうらしいな」
「余程の技術者でないかぎり、まず僕には毒は効かない。薬の類いも。効くように自分で体を調整しないことには、およそ効果を発揮しないようになっている」
ふむ、と紫音は言葉を脳内で反芻する。毒に対する抗体が多いとか、効きにくいという話かと思ったが、蛇の目の話では体の調整をしないと大概のものは弾いてしまうらしい。
彼らの薬は特別だった。付き合いが長ければ長いほど、その薬の質は高くなる。専属として御神家以外に殆ど注力しないのは、そのせいもあった。他に向かえば薬の質は変わる。質が下がるのではなく、ただ効果だけが下がる。その質を御神家に傾倒させ続けることで、最高の状態ですぐに提供できるようにする。
蛇の目の薬は基本的に効果が高い。紫音も使ったことがあるが、性質を傾けていなくとも十分過ぎるほどの効果があった。
「その僕らの薬でさえ、蛇の目同士では殆ど効かない。ただ、血を使うことで、効き目を飛躍的に上げることができる」
「ほう」
素直に驚いた。そんな話をしていいのか。紫音がぱちぱちと目を瞬かせていると、蛇の目が不機嫌そうに睨んできた。続けてどうぞ、と紫音が促すと、蛇の目は再び前を向いて話し出した。
「自分の血は、いわば通行証。僕も自分用のには自分の血を混ぜる。逆に言えば、分かっている人間の手に自分の血が渡ると、僕は簡単に脅威に晒されるわけだ」
はーん、なるほど。耐性を無効化する素材が、知らぬ間に他人の手に渡り、それを使われる。何の用途かも分からず、保管のセキュリティーも分からない。そりゃあ渡したくないわけだ。
紫音は納得したように頷くと、ボーマンの事を思い出し、心の中でも手を合わせた。後程、間違いなく毒を仕込まれることになるであろう研究者は、それすらも喜んで受けるだろうなと思いながら。
廊下の向こうで該当の研究者の声が聞こえ、紫音の口から乾いた笑いが漏れた。それと同時に地を這うような低い声が自分の隣から聞こえ、紫音は諦めるように目を閉じた。
「程々にしとけよ?」
「殺さなければいいんでしょ?それは僕の専門分野だよ」
いや殺さなければいいってわけじゃないだろう。止めようとする紫音を後目に、蛇の目はその恨みの矛先にまっしぐらに歩いていく。歩いているように見えるがその速さは走っている速さに近い。
今日も賑やかだなあと思いつつ、紫音は彼らのいる部屋を避けて別の場所へと向かって行った。