言葉にしたいと、思ったこともあった。
例えば音声として、例えば文字列として、感情というものを一般的な形で表現できたなら、私は今、自分が何を考え、何を思い、何をしたいかが理解できたのではないか。
それができないのは私の頭の悪さ故か。なんともおかしな話だ。何が何だか分からないというのに、何も分からないままに私は飛び降りようとしている。
落ちるのだろう。そこにあるはずの恐怖も、痛みも、私には遠い。頭は冷静、といったところだろうか。私は私がしようとすることを理解していて、それをどこか遠い話のように無責任に見つめていて、今終わる全てに納得している。
きっと思い詰めていたと報道されるだろう。誰かのいじめの話が引き合いに出されたり、誰かの家庭のいざこざが照らし合わされたりするのだ。私の知らないものが、私の景色を語るのだ。
それは、とてもありがちな風景で、私を塗り潰し消していく濃い毒のような色。中毒にも似た症状で、多くは貪られていく。
そして誰かが気づくのだ。この中身の本当の味は、どんな味がしたのだろうかと。
中身など知らなくても人はいくらでも消費できる。気まぐれに表示を見てあれこれ言うのが楽しいらしい。
恐らく私も、そうして消費される。
何かに変わっていく。
そう考えると、どうでもよくなる。
私は私を大事にする必要などないのだ。
私は笑う。一生分の笑顔だ。
何も感じなくても、こんなことができるという無意味の象徴。
(私にさよならを言えるのは、やっぱり私だけなんだね)