今晩和、けんこーです。
少しだけお久し振りです。
氣付いたらエムブロさんに訪れていなかったな、と思い、特に意味無く更新してみました。

生きてはいます。
元氣です。
2022年に入ってから、人生初かと戸惑うレベルでずっと眠いです。
氣付いたら1日が終わり、且つ数日が過ぎております。こわ。

とは云え何だか思い付いた事をツラツラと書き溜めてはいるので、その内長文の備忘録が投下されることでしょうごめんなさい。(ん?)




〜此処から備忘録に近い独白(想定外に長くなったのでワンクッション)〜




本日は瀕死(キャパオーバー)のゆずぽんと少しだけお会いしました。
彼女には「私の世界そのもの」と公言する程大好きだった親友がいるのですが、
数年前までは会う度(詰まりほぼ毎日)彼女についての話を聴いており、ゆずぽんとの会話(寧ろ彼女からの話題)の7〜8割はその親友さんについてでした。
が、1度喧嘩別れ(意訳)をしました。
しかしその後、ゆずぽん自身が内省の果てに本氣だして自己肯定感を上げたりした結果、なんやかんやで今はとても素敵な元サヤに収まっています。
それが確か一昨年のこと。
今、ゆずぽんと手前が話す内容は、ゆずぽん自身の話(個人事業主としての未來含む)やお互い楽しかったことの話がメインです。
勿論そこに親友さんの名前は度々登場しますが、赤の他人である手前に「親友が何をした」とか「こんな人だ」とかそう云う登場の仕方では無くなりました。
「2人がお互い何を目指していて、こんなミーティング(※2人は月例会議的に月一回お互いの進捗報告や現状相談の場を設けている)をして、こんな話に成った」
と、云う「それを受けてこうしようと思ったんです・思ったんですけど如何ですかね?」みたいな形で名前を聞きます。

一種の共依存に似たかつての彼女たちの関係が、こんなに強く健やかなモノに変容したのはとても素敵なことだな、とふと思いました。
そしてその目撃者に成れた手前は何だか幸福者な氣もします。



何故こんな話を長々したかと云いますと、本日彼女と話している中で、彼女が
「私が思い描くこの未來の中に、如何頑張っても、Y(親友)とけんこーさまがいないと、私困るんです」
と云ったからです。
「素敵な人もだいすきな人も沢山いるけど、私が心から引き上げたいと思って公言してるの、Yとけんこーさまだけだもん」
と云われ、感動では無く何だかとても不思議な氣持ちに成ったのです。
要は「ん?何で手前がYさんと同じところに入ってる?」です。
否、勿論とても有難い事なのですが「虚無を具現化した存在こそ我」と云うくらい余りにも手前は虚無なので、兎に角「なんで?」で頭がいっぱいに成りました(笑)。
「自惚れで無ければ何故かなつかれているな」と思ってはいましたが、そこまでとは。
逆にこんなにも虚無な人間は珍しいだろうからそれが新鮮なのか……?


お手紙やメィルをくださる方も手前にとても優しい言葉をくださるので、
手前は「よく解らんけどあるかもしれない手前の小さなヨイところ」を見付けてくださる人に巡り会えているのかもしれません。
そう考えたらなんだかとても恵まれているなぁと、ぼんやり思った夜でした。





そんな訳で、ここ数日で2通のお手紙が届いてはっぴーです。(大胆な話題変更)


そして添付は1/17日生まれの友人へのプレゼントです、めっちゃ過ぎてる(^○^)