話題:疲れた
先週から疲れやすくなったように感じる。休む時にちゃんと休まなかった代償か。ちょっとしたことでとても疲れる。一日終わるあたりはぐったりしてしまう。いまも疲れて動きたくない。感情の動きが激しいのも原因かもしれない。一昨日から家族から馬鹿にされる。もう何年もそうだけど。とても疲れる。僕は自分の感情を話すことがあまりできない。何年も抑圧してきたので、感情すらなくなってしまった時期もあった。いまはリハビリのつもりで、外出して色んなことをしている。外出先で「思いを話しなさい」とか言われる。僕の最も困難なことだ。感情がないのに感情を話しなさいと言われる。理解できない。理解できないとも伝えられない。伝えられるのは、ずっと後になってからだ。だから、その場その場で感情を伝えられないもどかしさを、常々感じる。このもどかしさのために、何度死のうと思っただろう。それほどまでに、苦しい。仕方ないからなるべくもやもやした気持ちをどうにかしようと、blogなり日記なりに書いている。それでも、辛いことは辛い。
みんな何気なく会話しているのかもしれない。それが僕にはとても大変なことなのだ。なるべく人と接したくないのも、大変だから。考えるだけでも嫌になる。でも、生きてはいけないそれでは。話さなければ。だから生きづらい。
話題:メンタル
言葉が通じない。自分の言ってることが通じない。感情も通じない。僕は一応分かるように説明しているつもり。でも、相手が理解しようとしてくれなれば、仕方ない。ずっと努力を続けてきたけど、もう根負けしそうだ。僕の言うことなすことは、家族には通じないんだ、僕が努力しても仕方ないんだ。しかし、僕は何のために説明しているのだろう。もうそれさえ分からなくなりつつある。家族に分かってもらえなくても、いい。僕は僕のために生きていくんだ。たったそれだけのために。僕は生きているんだ。いつか理解できる時が来たら、「そうだ」と言おう。それまでは自分のために生きよう。家族の許可がなくても、僕は生きていける。4年前は誰かに許可されなければ生きていけないと思い込んでいた。でも、いまはもう違う。僕は僕の許可、いやそれさえなくても、生きていける場合だってある。
だから根負けではない。負けではない。勝ち負けではなくなったんだ。勝たなくても負けなくても、生きていくことができる。そのルートを見つけた。家族に理解されなくても生きていける。
僕の言ったことや感情は、「僕」が生きているから通じていないだけなんだ。誰にも替えることのできない、「僕」がいま生きているんだ。