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孫にお別れに来た魂

私の父が亡くなった時、私の息子が体験した本当の話です。私の父母は福岡県、当時、私たち夫婦は神奈川県、息子は(仕事の関係で)大阪に住んでおり、私の父と息子(孫に当る)が会うことは極めて稀だったのですが、死の直前、又は直後に、父の魂が孫に会いに来たに違いないと思われる実話です。
      
東京から息子の居る大坂に大勢の関係者が来てレコーディングをする予定になっていた大切な日が父の葬儀の日に重なってしまいましたが、関係者の理解を得て、息子は福岡で行われた葬儀に参列することができました。火葬場で父の遺体が焼け終るのを待っている時のこと、大勢の親類たちの世話などが一段落した頃を見計らったように息子が「ちょっとお父さんいい?」と呼ぶのです。
 
「実は、すごく不思議な話なんだけど。おじいちゃんが亡くなった昨日の朝のこと、僕は仕事の疲れのためか、仕事関係の夢を見ていたんだよ。ところがいきなり場面が変わり、ソファーに座っている僕の前に小さな男の子がちょこちょこと駆けてきたんだよ。見たことのない子供だったので、(夢の中でも)そばに居たA(妻)に「この子、誰?」と聞いたんだよ。するとAは当たり前のような表情で「なんで知らないの。この子、俊雄じゃない!」と言うんだよ。「俊雄って、おじいちゃんの名前じゃない!」と応えたトタンにまた夢の場面は元の仕事関係に戻ったんだよ。そして朝になり目が覚めてひょいと携帯電話を見たらお父さんからの緊急メールが入っていておじいちゃんが亡くなったと知って本当に驚いたよ!だから、決まっていた仕事の予定を変えてもらってでも何とか来たんだよ。」と言うのです。
      
脳梗塞で父が亡くなったのは午前3時半〜4時頃だったようで、早朝に母が気が付き、父母と同居している(私の)妹から電話を受け、すぐに大阪の息子に知らせたのですが昏々と眠っているのか、マナーモードにしていたのか、電話に出ないのでメールを入れておいたのでした。父の魂は、息子の私を飛び越えて、子供の姿になって、孫にお別れの挨拶に行ったようです。人が死ぬ間際に挨拶に来たという話は昔からいっぱい聞いてきましたが、身近にこういうことが起きたので、やはり魂やテレパシーはあるのかなと思った次第です。2001年10月の実話です。余談ですが、息子のところには、この後、男の子が誕生しています。    
 

手を合わせて「いただきま〜す。」 ???

どうでもいいと言えば、どうでもいいんだけど、最近気になって仕方がない。
 
テレビでご馳走を食べるシーンになると、出演者が一斉に両手を合わせて、「いただきま〜す。」とお辞儀をしてから食べ始めるシーンが気になって仕方ない。ニュースなどで一般人が写る場合も真似しているかのように、そのようにしているのが多い。「手を合わせて拝んでから食べるのはお坊さんだけでいいんだよ。」と言われて育った私には、何か腑に落ちない。以前はテレビや映画でも、あのようなシーンはなかったように思うが、どうしてだろうかと考えてみた。太平洋戦争後、幼児教育が復活し、お寺が幼稚園を経営するのがブームになった時期があった。その頃、食事の時間に、お坊さん(園長)や保母さんが、坊さん方式の丁寧な合掌してから食事を始めるという作法で教育し、それが学校などにも広まったと推測できるのではないだろうか。一見礼儀正しく見えるし、文句を付ける筋合いの内容ではないことから、どんどん作法として拡大してしまったように思う。礼儀正しく見えるんだから、止めるべきだと言うつもりはないのだが、一斉に「いただきま〜す。」合掌し、人によってはパチンと手までたたいて食べ始める仕草は少し滑稽に見えるんだけど。。また、最近は外国人(特に欧米人)が、手を合わせてお辞儀して挨拶をする風潮が多いけど、これも、「いただきま〜す。」の影響ではないだろうか。文化は違和感なく自然に正しく伝わっていってほしい。
 
ここまで書いたところで、少し疑問(質問)が沸いてきた。
@複数だと、合掌するが、単独(ひとり)の場合は、合掌なんてしてはいない人がほとんどではないだろうか?いい人に見られたいという心境が、いい人とパターン付けられた仕草をさせるのか?
A文化だとしたら、地方や個々の家庭によって方法は異なるのではないか?(私の一族の場合は軽くお辞儀して「いただきます。」と食事を始める。)
B個人の信仰心、家の宗派によって異なるのかも知れない。
Cキリスト教徒の人はどうしているんだろう?
Dもしかして、テレビの演出のためだけにやっているのかも。一般人もテレビカメラで撮られる場合だから真似ているのかも。合コンなどでも、礼儀正しく装うためにそうしているのかも。要するに他人に見られるから、格好を付けているのかも知れない。現実に合掌&「いただきま〜す。」をやっている人はほとんどいないのが事実なのかも知れない。
 
私の勝手な意見を書きましたが、皆さんは合掌して食べていますか?ご意見などお聞かせ下さい。(コメント欄で。また、合掌はおかしいと思う方は「拍手」を。)

ミエナイチカラ 不思議な縁

今や昔ですが、1960年代後半のヒット曲、石田あゆみさんの「ブルーライト横浜」を聞いて横浜に憧れていた私は(本社は東京だけど)横浜に事業所のあった会社に就職し福岡から出てきました。新入社員教育も終わった5月の連休に、まずはお登りさんは横浜を見物しておこうと、横浜駅前から(当時はあった)市電に乗り元町方向に向かっていたのですが、途中窓からふと見上げた丘が何かとても気になり、登って横浜港を見渡したくなり、(京浜急行の日の出町駅付近で)市電を降り、その丘に引っ張られて誘導されるように登って行きました。すると丘の上は予想に反してかなり広い墓地でした。でも見晴らしは良さそうだったので墓地の中を歩き、奥の方の位置に到達しました。まだ高層ビルはない時代で、沢山の住宅もなく、横浜港にあった三菱造船所などがよく見渡せました。1969年(昭和44年)のことでした。私の大好きな崎陽軒のシュウマイ弁当がまだ250円位だったような。。
      
 家内は、横浜生まれで偶然に私の勤務していた事業所に近い高校に通い、この事業所への就職を勧められたそうですが、「私は東京に勤めたい!」と主張し、東京大手町の会社に就職していたのですが、結局は(東京での偶然の出会いで)この事業所に勤めていた私と結婚することになったのです。これからが本題です。結婚してしばらくして家内の実家の法事がありました。車で連れて行かれたお寺の周辺に見覚えがあるような気がしたのですが、法要が終わり墓地(横浜市保土ヶ谷区久保山墓地)に向かって10分ほど歩いて行った時に驚きの光景を目にしたのです。何とその場所は私が横浜港を見渡すために何かに導かれるように辿り付いた場所だったのです。そして家内の実家の累代のお墓は私が立って眺めた位置のすぐ左下だったのです。それから何度も法事の度にその場所に通うことになりました。
     
勤めていた会社では様々な職種を担当したので、私の勤務地も横浜、東京、海外など目まぐるしく替わりましたが、最後に勤務していた場所は、この墓地からも見える横浜みなとみらい地区のランドマークタワーの傍にある3連の高層ビル(1990年代に建設)の32階にある部屋だったのです。昔、眺めた三菱造船所の跡地の辺りです。
 
皆さんも人それぞれの様々な出会いに縁の不思議さを感じたことはありませんか?30歳代に勤めていた会社の属するある公益法人(当時の通産省関連団体)に出向したことがありますが、そこで席を並べた他社からの出向者の方の奥さんが私の(福岡の)高校のクラスメートだったり、お遍路旅関連で知り合いになった方のお住まいが私たち夫婦が住んでいて息子もそこで生まれた横浜市港南区のすぐ傍の地区だったり、関西にお住まいのお遍路関係の本の著者の女性の方の出身高校は私の高校の傍だったり、福岡の幼馴染みのお姉さんが(私が住んでいた)湘南の同じ団地の、同じ棟、同じ階段に引っ越してきたり、枚挙にいとまがないほどご縁を感じる出来事が私にはありました。自分の意思で自分の人生を選び歩いているつもりでも、結果として考えると、何か「見えない力」(縁)に絡まれているように感じますね。
 

釣りに行きたいなあ 釣り宿の思い出

不思議な体験はもっと沢山しているので、これからも書き続けていきますが、今日は息抜きの話題です。

ふと振りかえったら、私の思い出は、あんなに忙しく熱心に働かざるを得なかった仕事に関することではなく、仕事を離れたら次第に、釣り宿に通った思い出になってきているのを感じています。仕事人間だったはずが、実は釣りキチに過ぎなかった!思い出の船宿(主な釣り魚、思い出)をあげてみます。私はいつも仕立て船でなく乗合船に乗っていました。
 
@三浦半島 松輪港 棒面丸、かねだい丸(大アジ、釣りの後、釣り宿のおばあちゃんが毎回手打ちのうどんをご馳走してくれた。)
A三浦半島 長井港 はら丸 (カツオ、シイラ。初めて乗った釣り船。「飛び出せ釣り仲間」という釣りテレビ番組に同行し、取材されたことがある。)
B葉山 あぶずり港 たいぞう丸 (タイ、釣れたことはない。いつもボウズだった。)
C茅ヶ崎港 まごうの丸 (タイ、烏帽子岩の廻りで釣った。)
D平塚港 正三郎丸、浅八丸 (カツオ、マグロ。実際にはアジと鯖しか釣れなかった。)
E大磯港 予宗丸(大アジ、イナダ。家族的で親切で、近いので頻繁に通った。立派なタイを釣ったこともある。)
F小田原 早川港 坂口丸、富三丸 (大アジ、よく釣れた。息子は幼稚園の頃から同行した。カツオの大釣りをしたことがある。相模湾一帯に真イワシの大群が入り、1ケ月ほど
大釣りが続き休暇を取り連日通ったこともあった。)
G真鶴港 笠島丸 (タイ、ここだけはタイを釣ることができた。)
Hb伊豆半島 伊東港 はるひら丸 (イサキ、タイ。)
I伊豆半島 富戸港 庄吉丸 (イカ。夜釣りの後、着替えていたら警察に不審者と間違えられたこともある。)
J伊豆半島 稲取港 晃山(こうざん)丸 (金目ダイ、クロムツ。良く釣れるので、毎週必ず通った時期があった。3Kg級の金目ダイ、黒ムツを計23枚釣ったこともある。船宿の奥さんが釣りの後、鍋物で昼食をいつもご馳走してくれた。温かい船宿だった。)
K伊豆半島下田 須崎港 山庄丸 (タイ、イサキ。親切でのんびりと釣りを楽しめた。)
 
釣り宿では、出航する前から同船者たちと釣り自慢めいた四方山話をしたり、帰港後は釣り逃がした残念話をしたり、楽しく過ごしたものでした。同行した息子が小学生の時、イナダ釣りで竿頭(一番釣れた人)になったら、帰りの船内では(自称)ベテランの釣り師たちに囲まれて得意気だったこともありました。クルーザーを持っているけど、ひとりではつまらないから乗合船に乗る金持ち、部下に荷物持ちをさせて乗合船に乗る会長さん風の老紳士、下手な振りしながらばんばん釣りまくる料理屋のおかみさん、色んな人たちがいました。そう言えば、叔母が亡くなったからと休暇を貰い、釣りに出かけた翌日、出社したら、スポーツ新聞の昨日の釣果欄に竿頭として私の名前が掲載されていて冷や汗を掻いたこともありました。(何回叔母を殺してしまったことか。)
 
今年は、平塚沖が大好漁とのニュースを聞きますが、もし、今も湘南地区に住んでいたら、そして元気なら、居ても立ってもいられないだろうなと思いを馳せているところです。各船宿の船長たちも、受付の奥さんたちも、顔見知りになっていた常連客の皆さんたちも、もう年取ったろうな、元気かなあ。(もし上記船宿の近況をご存知の方がございましたらぜひ教えて下さい。)
 

人魂を見た人

人魂、火の玉を見たという話は昔はよくあったようですが、ある大学教授がプラズマ説を唱えられてから少々世間の関心は薄くなってしまったように思えますね。でも、私の身内や知人には実際に見た人がいます。まず、私の叔母の話です。本人も大秀才だったそうで、その息子(=私の従弟)は国立大学の教授でもあり、理性を持っているはずの人物ですが、何度か火の玉を目撃しています。そのひとつを紹介します。ある夕方ふと自宅の窓から斜め向かいの家を見るとその家の軒先の前にバレーボールほどのサイズの橙色の火の玉が勢いよくグルグル回りながら浮いていたので目を凝らして見ていると、しばらくしてすーっと移動を始め、同じ高度を保ちながら横に飛んで去って行ったとのこと。その時には尾は引いていなかったそうです。翌朝、その家のご老人が(ちょうど叔母が火の玉を見た時刻頃)病院で息を引き取られたとの話を聞いたそうです
 
次は、私の家内の父(=私の義父)が亡くなった夜のこと、すぐ近所のオジさんが深夜トイレで小用をたしていると、窓から見える家内の実家の屋根の上に黄色の火の玉があり、それがすーっと町内の屋根屋根を辿っていくような感じで飛んでいき、驚いたオジさん(長年船乗りをしていて世界中を股に掛けて活躍した勇敢な海の男だったのに)はオシッコをトイレの中に撒き散らしながら腰を抜かしてしまったそうです。

人魂はプラズマなのかも知れませんが、たとえ小さくても魂(心)のエネルギーが遺体からプラズマとなって分離して去って行くのかも知れないというのが私の仮説です。プラズマを発生させるエネルギーは必ずしも大きくなくてもいいのではないでしょうか。肉体とは別に魂(心)が存在しているのかも。
 
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