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何でも、かんでも(書いています。)少し昔の九州弁です。「何でも関電」、関西電力さんのキャッチ・フレーズと間違えないでね。
東京の世田谷で、幼児の声がうるさいからと、保育園建設に反対運動をやっている老人たちのニュースを見た。他の地域でもこのようなことが起こっているらしい。昔は静かだったのにと幼児の声がうるさいと言うことが、「政治基金をごまかしてはいけない。」というような正義の発言をしているかのように、得意げに語っているじいさんとばあさんを見て腹が立ってならない。お前さんたちも、可愛い子供の頃があったのを、もうろくして忘れてしまっているのか?先生に「しーい」と手を口にあてて言われて、おじけづいたように黙る子供たちが不憫でならない。
町に子供たちの声が響き渡るのはその地域が活性化している証ではないか。むしろありがたいと思うべきだろう。深夜までうるさいのではなく、昼間の限定された時間帯だけではないか。身勝手な老人たちがなげかわしい。共同で生活している現代社会では少々の我慢をするのは人として当り前のことだ。
私の住居の傍には幼稚園がある。可愛い声が響いてくる。騒音ではなく、私には音楽のように聞こえているのだが。夕暮れにも公園で「あの子が欲しい♪あの子じゃ分からない♪」という歌声が聞こえてくる。老人にとっては癒しの風景と思うのだが。
自分のことは棚にあげる勝手もうろく馬鹿老人たちは反省すべきであろう。
色んな騒音を思い出す。
私が幼児の頃住んでいた田舎の家のすぐ前は神社だった。秋祭りが近づくと、「まーつり来んかい、はよ来んかい、甘酒作って待っとるばい♪ドンドン」という、青年団員の下手な太鼓の練習音が深夜まで響いて眠りに付けなかった。でも、お祭りが来る期待と喜びで私の胸はいっぱいだった。
大学生の頃、間借りをしていた家の真上は、板付(福岡)空港の滑走路への浸入ルートの延長線上にあった。当時は在日米軍のジェット機や輸送機、民間航空機がすぐ頭上100m位を轟音を響かせながら飛んでいた。時には米軍パイロットの顔も見えた。確か夜10蒔になると福岡から東京に飛ぶ最終フライト「ムーンライト」の少し軽やかな騒音が時間を告げてくれた。子守唄のように眠りに誘われたものだ。
騒音も考え方次第では楽しい想い出になるものだ。