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何でも、かんでも(書いています。)少し昔の九州弁です。「何でも関電」、関西電力さんのキャッチ・フレーズと間違えないでね。
今朝の大阪(東部)は、いつもの穏やかな天候とは打って変わり、生温かい風が雨とともに吹きつけています。
北朝鮮による拉致被害の問題は、最近はあまり話題にも上っていないようになってきた感じがしますが、他人事ではないと実感する記憶が思い出されます。
1975年〜1980年頃に私の家内の、子供が生まれて30歳になろうとする年代の実体験です。当時は神奈川県に住んでいました。
@家内と子供(赤ん坊)だけが居る家に、住宅の訪問販売員を装った目付きの険しい男が2人来て、トイレを貸せと言って、足先で扉をこじ開け無理に上がり込もうとしました。
「無理に入るなら警察を呼びますよ。」と言ったら扉をこじ開けようとする力が緩んだので押し返して扉を閉めた。
A外出しようとしたら、家の前に待ち構えていたように男が1人居て、「○○大学の正門はどこですか?」と訊ねるのです。
「この道をまっすぐ降りていったら左手にありますよ。すぐ分かります。」と答えたのですが、「車に同乗して案内してくれ。」と車に引きづり込みそうにするのです。同乗の男たちが3人もいました。眼が釣りあがった顔だったそうです。危険と感じた家内は必死の力を出して逃げました。
B病院に行ったら、1人の男が「よう、久しぶり。」と馴れなれしく声をかけてきました。全く見覚えの無い男でした。「診察終えたら待っているよ。久しぶりにドライブでもしよう。」としつこく付きまとうのです。
家内は年配の看護士さんに助けを求めました。看護士さんの「知らない人だと言っているじゃないですか、あまりしつこいなら警察を呼びますよ。」という言葉に目付きのするどい男は退散していきました。
C近所の女性から「いいアルバイトがあるよ。」と、この頃、声をかけられることが多かった。温泉場のパーテイホステスの仕事だった。
ただのストーカーかなと思っていたが、拉致のさかんな年代だったこと、プロ的な手口かなと思えること、あの手この手を使っているように思えることから、的を絞った拉致事件未遂だったかなと思う。
拉致事件は本当にあったんだと実感する出来事だった。日本政府の対応は極めて手ぬるいと思う。本気で対応してくれない政府に対する被害者の家族の怒りは増しているだろう。
消費税がどうこうよりこういう問題に先に対応すべきではないだろうか。この問題に関して、北朝鮮と仲良しだったはずの社民党の福島瑞穂さんはどうして何もしないの。
性 別 | 男性 |
誕生日 | 6月7日 |
地 域 | 大阪府 |
血液型 | B型 |