ガサの日に春君がたまに咳き込むのが気になっていた。いかにも喉が痛そうな咳き込み方。心なしかいつもより煙草も吸ってない。僕の風邪が理恵さんに移り、その後梶君に伝染。梶君は回復したようだけど、春君に移っていても可笑しくない。
「春君。」
部長室に書類を持ってきた春君を呼び止める。
「何だよ?」
言葉はいつも通りなのに視線が弱い気がする。そして僕の答えを待つ間にまた咳き込むのだ。
「具合、悪いんだよね?」
「・・・別に。」
咳き込みながら答えたって説得力はない。ただ春君は具合が悪くても素直には認めないのだろう。
「戻る。」
追求しようとするのと同時にノックが響いてしまい、春君は課室に戻ってしまう。入れ代わりに入ってきたのは理恵さんだった。
「お疲れ様です。倉林、しっかり慶護の風邪を貰ったみたいですね。」
「あ、やっぱり?」
「動きも鈍いですし。あの咳。あれは高熱出すのも時間の問題ですよ。」
「だよね?後でここに来るように伝えてくれる?」
「解りました。生姜を入れた雑炊。喉に効きますよ。」
梶君の分の書類も一緒に出してさり気なくアドバイスをくれる。僕達の事は言ってないはずだけど、そこはやはり女性の直感なのかもしれない。生姜入りの雑炊。僕に作れるか考えるけど。解らなければ理恵さんに聞けばすぐに解るだろう。理恵さんがネタにするのは梶君だけだし。変に気を遣う事もない。
「鳥肉と相性が良いんだっけ?」
心配しながら少し笑ってしまうのは、隠しているつもりで完全にばれている春君の可愛い意地のせいなのかもしれない。
「寝る。」
半ば無理矢理家まで連行したけど、春君はリビングに入るなり寝室に行こうとする。
「ダメだよ。栄養摂ってお薬飲んでから寝なさい。」
「食いたくない。」
「明日使い物にならなくなっても良いの?」
「・・・だるいんだよ。」
一時の沈黙はある意味素直な反応だ。
「いいから。ほら、ここに座って。はい、体温計。食べ易いもの作るから熱を計っておくんだよ?」
眉間に皺は寄せているものの春君も自分の体調不良は察しているらしく、僕の指示に従ってくれる。春君が体温計を脇に挟むのを確認してキッチンに入る。雑炊くらいは作れるけど、生姜はどの状態で入れると効果的なのか迷ってしまう。春君はいよいよしんどいらしく天井を仰いでいる。キッチンの死角で理恵さんにメールを送った。すぐに返信が来て熱が上がるようなら水分補給と同時に汗をかかせた方が良いとアドバイスが添えられている。
「さすが理恵さん。」
呟いて多めの生姜を磨り下ろす。料理は嫌いじゃないけど、こうやって気を遣うメニューは意外と大変だ。普通にそう言う料理を作っているのであろう理恵さんに感心しつつ味見する。これは風邪じゃなくても美味しく食べられそうなレシピかも。
「春君、できたよ。熱、何度だった?」
電子音を聞き逃したのか春君は体温計を挟んだままだった。それを取り上げると八度を越えている。
「食べられるかな?病院行こうか?」
「・・・行きたくねえ。」
緩慢に動いて雑炊に手を付けるけど明らかにきつそうだ。九度を越えたら病院に連れていこう。取り敢えず食べている春君を観察する。
「一応この薬を飲んで様子を見ようね。上がるようなら病院に行こう。」
薬を差し出すと春君は緩慢に頷いている。きっと考えるのも億劫になっているのだろう。僕自身が病気に疎いからこう言う状況はなかなか判断に困る。八度六分。僕なら平気だけど春君の様子は平気そうではない。一応一人前食べた春君はミネラルウォーターで薬を飲んでいる。
「・・・寝る。」
「もう一枚毛布を出そう。温かくしないと。」
寝室に向かう春君と並んでしまっていた毛布を取り出す。すぐに横になる春君に毛布を掛けて額に触れた。心なしか顔も赤い。瞳が潤んでいて、不謹慎だと思いながらそそられる。余程きつかったのか春君はすぐに眠りに就いていた。無防備な寝顔。看病に良いものは何だろう?携帯を取り出してプロとも言える理恵さんにメールを送る。
「ただの水ではなく食塩と砂糖を小さじ一杯ずつ加えたものを飲ませると良いですよ。飲みにくい場合はレモン汁を加えると飲み易くなります。病院に行く際は飲ませた薬を持参する方が処方が正確になります。後は愛情を注ぐ事。か。さすが理恵さん。」
この時間でも丁寧な返信をくれる使える部下に今度何かを贈った方が良さそうだ。キッチンに戻って時計を確認する。一時間したら水分補給と同時に熱を計らせよう。上がっていたら病院だ。後は愛情を注ぐ事。メール通りの特製ドリンクを作って寝室に戻る。眠る春君の頬を撫でてそっと隣に寄り添った。
一晩春君に寄り添い、何とか下がった熱に安心した。まだ若干声が枯れているけど「悪い。」と小さく呟いた春君に穏やかな気持ちで微笑んだ。春君なりのありがとう。それくらい僕も察している。
「無理は良くないからね。今日はデスクワークでおとなしくしてる事。」
「張り込みは?」
「迷惑ついでに理恵さんにお願いするよ。」
「・・・ついで?」
首を傾げるのも無理はない。春君は気付かれていないと思っているし、僕と理恵さんのやり取りも知らないのだから。
「次長だもの。部下の不調くらい察してるよ。春君は一時安静だよ。」
「あの女に借り作りたくねえ。」
今更だと思いつつ、この意地っ張りな可愛い恋人を納得させる言葉を考えた。