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漂うヒト。


自身に対しての
絶望感とか、失望感とか
そう言うものに近い感情に呑まれて帰路に着くのが日常だった。


“普通の人の感覚というものを知りたいと思う。
でも私にはそれがわからない。”


「今日もそう、もう少し頑張れたら良かったのに」
気張って挑んだ分、それは跳ね返って来て
なぜこうも上手くいかないのかと自責に潰れそうになる。


それが私の日常。
わからない。何も知れない。こんなにも望んでも。






不思議なことが起こった。ここ最近急に
あぁ今日の私は、結構その「普通の人だったような気がしたなぁ」と思う事が
ほんの少し現れる日が出てきた。

周囲に溶け込むのを巧みにやってのける意味ではない。
逆に浮いているかもしれない、いや寧ろそれでいい。

劣等感を抱かず、孤立しない位置に
気張ることも気負うこともなく気づけばいられる事。


それでも元々がゼロを通り越してマイナスだったから
その感覚を知ったところで意図的に上手く出来るようになった訳ではないし

周囲の人とは全く関係のない条件として
元々が重い性格をしているから、それが出てきた日は人の顔も見られない程
人の中にいる事が辛くて色々がダメだ。





違和感が、認められなかった。
頭で考えれば異物感こそ自然なことで
そんな簡単な事だったのに。
それについて考える、「それ」の概念が今まで私には無かった。



劣等感への執着が
新しいものに異物感と同じものに錯覚していたのかもしれない
ような気もする。




あぁ思えば小学2年生くらいだったかな。
その頃に自分は少しおかしいのかもしれないと思い至った。
でも何がどうおかしいのかはその頃はわからなかった。


人混みに呼びかけても応えが一切ないのが恐ろしくて
元々の自己嫌悪が強すぎたから多分自分を守る事を優先するしか無かった。
必死に取り繕ってでも、ゆっくり馴染めば良いなんて考えつかなかったんだよ。

いっそ初めから誰もいなければ良いと思うようになった。

捨てる生き方と病気の話

 
 
自分に、これっきり朝日が訪れないかも知れないと
その恐怖を目の前にしたとき、
それはどれほどのものなのだろうと考えが止まらなくて。眠れなくなってしまった。
 
 
昨日ようやく早寝が出来た。
それ以前、制作も手に付かず3日間を無駄にした。
吸収しきって落ち着いたから、今はもう制作に戻ってる。
 
 
 
 
 
公開記事で細かく話すは初めてになります。
 
 
 
私は昔から心臓が良くなかった。
 
胸痛と不整脈なんてしょっちゅうで
特に精神的に疲れてしまったタイミングで、眠る前の真っ暗な時に痛み出せば
このまま眠ってしまったら、いけないような
もうニ度と目を覚ますこと叶わなかったらどうしよう、と恐怖を感じる事は人よりも沢山あった。
と思っている。人のことは知らないけれどきっとそうだ。
 
本当はなんの事もない。病気ではない。
 
心臓弁膜症と言う心臓の弁に異常がある病気(完全治療法は手術のみ)の手前で
症状は出ているけれどほんの微弱だから、あえて名前を付けるならこの病気の類ってだけ。
 
私の場合は弁に穴が空いていて、僅かに血が逆流し続けているから雑音が起こる。
健康診断では毎回必ず心雑音、要検診で引っかかった。
日常生活に支障はないし、進行もなければ、治ることもない。
今はもう病院通いはしなくて良い。
 
 
ただそれだけでも、たまに
ほんとにたまに恐怖で眠れなくなる時があって
「いいやそんなことは無いのだから、思い込んだら逆に自己暗示にやられてしまうから
変なことを考えずに寝よう、もう寝よう、明日起きられるから、」
そう自身に言い聞かせて眠る。勿論翌朝、目が覚めてはネガティブはどこかへ消えてしまっているから
そんなに深刻じゃない。
 
 
 
 
でもそんな私と違って
余命宣告をされるって言うのはそんなもんじゃないんだよなって。
この3日間に考える機会があって。
 
 病気っていうのは、孤独なんですよ。
どれだけ一人じゃなくても、闘う時は結局1人で臨まなきゃならない。
だから。


 
 
確か私が初めてこの病状を発症したのは小学上がりたての頃だ。
自分に何が起こったのか解らなくて、夜中に救急車で運ばれた。
 
あれは、今思えば不整脈で倒れた訳じゃないんだよ。
早鐘と一つ飛ばしを始める心臓があまりにも恐ろしくて
自分の体がおかしくなって、どうしちゃったんだろうって。
死んじゃったらどうしようって、今私なんて思った?「死」?、嫌だ、気持ち悪い、って
 
あれは完全にパニックを起こしていただけだった(爆)
 
当時はそれに気づかないで、気持ち悪くなって息が出来なくなるのが病状だと思っていた。
ちゃんと大きな病院で精密検査を何年も繰り返す内にそれはなくなって
ただの不整脈と胸痛だけが残った。
 
 
あれがパニックだったのかと後々理解してから、なんとなくパニック障害の人の気持ちも解るような気がした。
 
それほどの恐怖は確かに経験はした記憶はあるけれど。
 
 
 
でも、と。
ずっとずっと考えてた。
 
 
 
 
 
 
 
 
最近ね、本当に思うんですよ。
私が今ここにいるのは、ほかの選択肢を全て捨ててここにいる。
 
 
数年前、親と酷い言い合いをして反対を押し切って聞かなかった。何年も険悪になって、
口を聞いてもらえずに、怒鳴られて、叫び散らされて
どうしようもなく苦しくて自分の部屋の壁を破壊したり、自虐行為に走ったりもした。
高校は県で有名な進学校だったけれど
私1人がこの道をえらんだから、他は全員進学か浪人、就職も少しはいたかな?
とにかく学校でも白い目でしか見られなくて。誰かといてもどこか独りぼっちだったし、
初めてのバイトの面接は、「こんなに良い学校に行かせて貰いながら進学しないなんて、親不孝物」だとか
「きっとみんなはあなたの苦労に同情してくれるかもしれないけど、そんなのみんな建前だ」とか、爺さんに尽く説教され、
帰りの電車で泣きながら帰ったくらい、進学しないことを批判された(笑)
 
私はそれでも良かった。どうしても、どうしても。
だからまず地元で一人暮らしをして、親を納得させて、
私は上京した。
 
 
 
 
いつもそう。何もないときはどんなに焦っても長らく何もないくせに
チャンスはまとめて同時にやってくる。できることから順番にやるんじゃない。
全て、掴めるとしたら今しかないチャンスで。私はそれを捨てる選択をしなきゃならない。
 
全てにおいてそう。
晩婚の両親は同世代の親御さんより早く、帰る度に老けて見えるし
私は上に書いたこともあって一緒に住んでいる時に仲良く出来なかったから
せめて今くらい近くに住んで時を過ごしたい。けれど
今の制作を選んで私は帰らない。帰ってきてくれと言われても
食いしばる思いで。
 
 
 
若い頃から親に良いよ良いよ言われて気ままにあちこち回って経験を積んだ大人。
そういう人は、行動力はあるくせに本当にいざという時まるで動けない。
もがき方を知らない。
 
自分の意思で何も捨ててこなかった人って言うのは、そうなってしまうのかと。
受身として失って後悔するのか、意思を持って捨てて覚悟をするのかの違いなのかな?
 
 
 
 
ほんとにさ、この年になって
選ぶために捨て続けなきゃならないんだなって
つくづく思って
 
こんなにも時間が流れるのが哀しい。
 
 
今ここにいるために捨ててきた全てを忘れてはならないのだと思う。
いつか出会う物の為に、私はこの大事な今をも捨てられる日が来るのかな。
 
でも最終的に行き着くのはどこなのか、何なのかそれはきっと解ってるんだ。
今はまだそうじゃないだけで。
 
 
 
 
 
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