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嫌いな奴ほど傍に置け

悪い奴じゃないのだけれど、ちょっとなぁって言う存在程
ある程度のことは言い合えるようにしておける努力はした方が良いと思う。

いろんな人に当てはまる訳ではない、
下手な奴が無理にそうすれば確実に争いになる、
例えば昔の私みたいな奴。

嫌いな奴の信頼を見つける。
嫌いな奴に信頼して貰う。
軽い悪態程度では崩れない程度のちょっとした信頼。
立派な所だけ褒め合う関係より
それこそ良い友達になる可能性は高いや。

そんなに難しいかな?

難しいね、今まであまりにも難しかったから
こうして初めから距離を置いてきた。

出来そうなら、やってみれば良いんだ。






そもそも、私が先ず偏った性格してるから。
お先に距離置かれる可能性とてもとても高い。
私が先にそんな距離を置く相手を許さないと始まらない。

嫌われたから嫌い、に違和感を覚える。

表現の在り方


仲間を探すビラを配っています。
ボーカルとしてのメンボがメインだけど、ただ組みたいのではなくて
バンドマン以外にも生き方そのものとして表現に向き合う私の在り方を知って欲しくて
オモテ面に私の絵の方の代表作が載せてある。
アクセス先のHPは音源制作の告知も載せてある。

印刷しては一つ一つ手作業で切って、
裏に毛筆にアクリル絵の具でメッセージ、ボールペンで追伸、
それからもう一枚追加で私の絵ではなくデザインアートを宣伝する紙、
これをまとめて一セット。

掛け持ち勤務だから、休める時間なんて限られているけど
仕事で外出するタイミングでお願いに回る。折込の場合は。
勿論、ビラからのアクセスは殆どありません。解っていてそれでもやっている。

その、アクセスの見込めない一回の配布で印刷代もお金も時間もかかる。
1日眠らないで書いても60枚が限界だった。








全然人前に立つ機会を掴めないし、一向に広がらない中で

今出来るもどかしい程に小さな発信を続ける事は本当に心が折れそうで

その辛さに、ならいっその事と感覚や熱意が麻痺しかける。
その中で

その人同士は繋がっていない筈の私の周りの複数の人、
それは本当に限られたたったの数人だけれど

その人たちが同じ内容ととれる言葉を言ってくれている事に気付いた。

だから、これは今の私がようやく得られた評価の
世間体の、繋がり稼ぎのお世辞ではなくて
私自身が信じて良い評価だと
縋り付くほどに哀しく、それでもなんとかやれているよ。



君の表現はもっと人に前に出るべき、知られて欲しい、とか
もの作りとは暫く離れていたけど君を見てまたやってみたんだ、新しくやってみたんだ、とか

この2つ。これだけは確かに。
あぁ嘘じゃないんだと思える確実な言葉で
色んな言い方で、この内容を言って貰える。



私の作品は一部の人間しかわからないような物事を
更に言葉としては伏せて遠まわしに言っている部分もあるし
内容的に、
大勢の人間から評価される訳じゃないし、
もしそんな事があろうことなら逆に困ってしまうモノだけど

本音は、本当に、ちょっとでいいから同じ人間を捕まえたいし、
その為にバンドの形で人前にでるチャンスが欲しいと、準備は絶えず進めている方だと思う、
そうやっているから次に繋げる事に何度も失敗して余計に嘆く

ただしやり方(主に性格)に難有りって奴ですね。
どんどん人と知り合って仲良くなる姿勢を持つ、のが苦手で
そこをどうにか補おうと今凄く必死。





人には、気が向いたら応援(実質的な協力を)して貰えると嬉しいな、って言うけど
それは、ごく一部の人にしか言えない。

自分の表現のブランド化を目指して進んでいる人には言ってはいけない事。
だと私は思っていた。

名前、はその人が背負っているもの。
それは名前を連ねたいなら前提として在るべき結果。

前提を築けていない私の名前でその人のブランドを汚す訳にはいかない。
それは人々の内の評価。


昔言ったことを、ここでもう一度書こうかな。
人は、自分を示す名前があって、その名前を周囲に呼んで貰う中で
その名前である存在と言うものを確立していくような生き物。

人にその名前を呼んでもらえない存在は、ただの定まらない存在ですらない。

哀哭、鏡、は活動名として使っているけど
活動名として見留められるような呼び声(評価)は得ていないから、ね、



先ずは私の個人名ではなくて
先にバンドの名前を呼んで貰える日を追いかけ続けてるよ私は。


ははは。




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