集団に生きる

小山田圭吾の一連のやつについて見えるのは「俺は決して虐められる方じゃなかった、寧ろ虐める方の立場でしたよ」というアピールで、ずっとそうやってつまんないポジション取りとか箔とかを気にしたまま大人になっちゃったんだなという気配であって、最悪だ!と叩ける感じじゃないじんわりとした虚しさの温度だ

回想録

寒さには「北緯が高い」「標高が高い」「湿度が低い」で違った体感があると思ってるんですけども、私は標高が高い寒さが苦手なようで、数年前に福島の道の駅しもごうに行った際はまだ10月半ばだったが本当に具合が悪くなる程身体の全部が冷えた
生きてりゃ辛い事の一つや二つあるものだけれど、思い出すだけで頭が拒否する屈指の嫌さだった
北緯が高い、湿度が低いについては割合平気なんだけれども、青森出身の知人は「雪国生まれなのに笑われちゃうけど、関東の空っ風が辛すぎる」と言っていた
福島旅行ではその後街中で人間の温かさに触れられたので、全体的には良い思い出になっている
もしもまたしもごうに行けるのなら今度は重装備で挑みたい
昼間、エアコンの冷たい空気を浴びながら反芻してた

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